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楼門復元が完成した阿蘇神社へ参拝(2023/12/19)
2023年の旅生活、終盤はキャンピングカーの冷蔵庫の載せ替えに1ヶ月近くを要し、また腰痛+両膝痛から歩行困難になったりと怒涛の日々でした。
帰路は高速道で一気に南下し、12月1日に熊本・菊池に到着したものの何やかんやで旅日記がなかなか進んでおりませんが、いったんワープして12月19日に阿蘇神社へ参拝したときの様子をお送りします。
●倒壊前〜修復中の写真
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その前に、かつての姿を御覧ください。
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熊本地震が起こったのは、2016年4月14日と4月16日。
この写真の、およそ3ヶ月後です。(その日、わたしは既に旅に出ていて津和野にいました。)
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阿蘇神社は身近で、いつでも行けると思っているし特別に写真を撮ろうと意気込んでもいないので、今となっては「ちゃんとした」写真がないのが悔やまれます。
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2016年8月の時点では、まだ一の神殿・二の神殿・三の神殿および拝殿は倒壊したままでした。
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倒壊した神殿の建材を保管所に移動。
国指定重要文化財は、一の神殿・二の神殿・三の神殿、楼門、神幸門(みゆきもん)、還御門(かんぎょもん)の6棟。
建設当初の通りに復元しないといけないので、技術と時間が必要となります。
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瓦解した一部は、駐車場に併設の観光案内所で展示されていました。
鬼瓦は「瓦」ではなく銅板であることなど、解説もしてくれていました。
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まだ神殿および拝殿は再建中。こちらの仮参拝所から参拝しました。
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楼門再建にあたって素屋根(覆屋)が組まれ、正面には楼門がプリントされていました!
復旧工事の進捗状況は、阿蘇神社 公式ウェブサイトにて随時、報告されています。
●過去ブログ記事
↓興味のある方は、こちらの過去ブログ記事もどうぞ。
・2010年03月23日【阿蘇神社 火振り神事】
・2016年05月17日【阿蘇神社と国造神社へ参拝】
・2016年07月28日【阿蘇神社おんだ祭】
・2019年01月23日【阿蘇神社へ初詣】
●修復された楼門
楼門の復旧工事が完了したのを記念して、地震で倒壊した拝殿の古材をリサイクルした(再生紙)御朱印帳が1500冊限定で頒布される(8,000円)とのニュースを見て、是非にと予約しました。
そして、受取日は2023年12月19日に指定。この日が“一粒万倍日”だったから選んだのですが、まさか当日に雪が降るとは!
朝から「阿蘇は一面、銀世界」というニュースが各局で報道されていて、父も「路面が凍ってるのでは」「電話して延期しては?」と心配してくれたけど、むしろ「この日」に雪が降るなんて、天からの恵みじゃないの♪(能天気)とウキウキしながら向かいました。
菊池市は粉雪が舞ったりしていたものの積もってはいなかったので油断していたら、二重峠トンネルを出たら雪国。テンション上がる〜!(バカです)
11時頃だったので溶け始めていたのが幸いでした。雪は雨となり、しとしととあたりを潤しています。
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第1駐車場に停めてすぐに「おぉっ」と眼を見張る。
熊本地震から7年8ヶ月、ついに復旧した楼門の勇姿がそこに!
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ちなみに阿蘇神社の境内は、このような配置となっています。
(第1駐車場も有料になりました。駐車場に関しては最後に記載しています。)
今さらですが解説。
阿蘇神社(阿蘓神社)は全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社、肥後一の宮。
御祭神は健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめとする阿蘇十二神で、御神体はもちろん阿蘇山。
その阿蘇山の北麓に鎮座し、南には阿蘇火口を望み、北には速瓶玉命(はやみかたまのみこと/健磐龍命の子)を御祭神とする国造(こくぞう/くにのみやつこ)神社が座しています。
社伝では、孝霊天皇9年(紀元前282年)6月、健磐龍命の子で、のちに初代・阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)となる速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が両親を祀ったのに始まると伝えられています。
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鹿島神社(茨城県鹿嶋市)、箱崎宮(福岡県福岡市)と並んで「日本三大楼門」のひとつに数えられている荘厳な楼門を中心に、左に還御門、右に御幸門があります。
この左右の門は年に一度「御田植神幸式/御田(おんだ)祭」の日にしか開くことはありません。
御田植神幸式は7月28日に開催されます。
・御田祭|阿蘇神社
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北門守社の手前には神池と一之神陵(しんりょう/みささぎ)。この寒さでも鯉が元気に泳いでいました。
健磐龍命が、江戸時代に雷霊と共にお降りになったと言われる神杉(幹根のみ)が保存されています。
樹齢約700年。落雷による火災の跡が確認できます。
南門守社もあり、どちらも御祭神は豊磐門戸神(とよいわまどのかみ)と櫛磐門戸神(くしいわまどのかみ)です。
健磐龍命の妻・阿蘇都姫命(あそつひめ)の陵墓、二之神陵もあります。
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間近に見上げる楼門。ほぼ元の木材を使用しているので、まったく違和感がありません。
2023年3月に期間限定で一般公開されたのをニュースで見た時は、屋根の銅板がピカピカに輝いていましたが素屋根が解体されて風雨にさらされた途端に変色したようです。
この日は薄っすら雪が積もっていたので、それはそれで雰囲気があって画になります。
巨大な扁額の文字は有栖川熾仁親王の御染筆。
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長年の侘びた佇まいが懐かしく感じます。
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色鮮やかな新しい建材も、やがて馴染んでいくのかな。
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最初に楼門が建造されたのは、江戸時代末期の嘉永3年(1850)。
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軒下には防鳥ネットと、炎センサー、煙感知器も取り付けられています。
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伝統的工法を踏襲しつつ、耐震補強のために新しい技術も取り入れられているそうです。
施工上、困難を極めたのは、従来の部材で骨組を組み上げつつ、震度7の地震に耐えられるように元はなかった耐震鉄骨を骨組の中に納めることでした。文化財建造物保存技術協会(文建協)と対応策について協議を重ねた結果、部材の加工を最小限に留め、楼門の文化財としての価値を棄損することなく、無事に修復を果たすことができました。
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倒壊してしまった部材、膨大な量に一つ一つ番号をふりながら分解し、回収。どの場所にどの部材があったのかを地震前の写真と照らし合わせながら確認するという途方もない作業。その数、約11,000点!!
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さらに部材一つ一つの欠損部などを修繕して、それから組み立て。とても丁寧で根気の要る作業です。
そのお陰で、解体した部材の約7割をも再利用することができたそうです。
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楼門の復旧工事中に、基礎石を支えるために地中にも基礎石があることが分かったり、石造唐居敷の下の礎石(そせき)上面に石工の名前や出身地などが彫られていることが分かったりと、新たな発見もあったそうです。
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ところで楼門の北側に設置されていた「龍頭の額」(魔除けの龍/剣)は、ほぼ無傷で見つかったというニュースを見たけど、どこに保管されているんだろう。聞こうと思っていたのに失念してしまった。
ネットで調べても出てこないし、年始の忙しい時期が明けたら電話してみよう。
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神殿および拝殿と、その両側の翼廊は2021年7月に再建されました。
旧拝殿は戦後の昭和23年(1948)完成で指定文化財ではなかったため、元の建材を再利用せず、新たに県産材が約8割ほど使用されました。
その際、「貴重な古材を廃棄するのはしのびない」と再利用が模索され、今回の古材御朱印帳プロジェクトが始まったのだそう。
御朱印帳の中面が古材を原料にした和紙で、表紙と外袋は天草ヒノキの間伐材から作った木糸生地でできています。
御朱印帳の写真は撮っていません、あしからず。
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拝殿や斎館は「重要文化財」の指定を受けていなかったため元の部材を活用する必要がない反面、国からの補助金が下りません。そこで「指定寄付金事業」特例措置を活用しての再建となりました。
拝殿正面を飾る大注連縄は、氏子さん達「一の宮町大注連縄伝承会」が練り上げました。
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写真:左側が拝殿、右側が楼門。正面に聳えるのは(左から)大欅、高砂の松、大銀杏。
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時折、屋根から「スサッ」と雪が落ちてきます。
そんな音が耳に入るほど境内が静かなことに、厳かさを感じました。
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神道の結婚式で歌われる浪曲「高砂(世阿弥:作)」で有名な『高砂の松』。なぜ阿蘇神社の境内にあるのか、こんな由来があります。
宇治友成は、世阿弥の創作した能『高砂』に登場する人物である。
『古今集』を撰集された醍醐天皇の時代、それまで阿蘇神社の神主であった友成は、上洛中、播磨国(兵庫県)加古郡の高砂の浦で、和歌の神である老人夫婦に出会う。老翁は高砂の松の精霊、老婆は対岸の住吉の松の精霊である。
友成は、「高砂の松と住吉の松とは場所が離れているのに、なぜ相生の松(あいおいのまつ/雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの)と呼ばれるのか」と問う。
二人の精霊は、友成の問いに対して「相生の松」のいわれを教え、人の世を言祝(ことほ)ぎ、国土安穏を祝うとともに、『万葉集』の昔と変わらず歌道が繁栄する今の帝の御世を讃える。
友成は、高砂の松の実を受け取り、阿蘇神社の境内に育て、これを「高砂の松」と呼んだ。
願掛けしながら男性は右回りに2周、女性は左回りに2周すると良縁に恵まれるとか。
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こちらの「願かけ石」は、往時、御祭神である阿蘇大明神・健磐龍命が諸々の願いを込めて祖神の霊に額(ぬか)づかれたという「霊場の岩石」の一部と云われ、古来より神石として伝承・保存されてきたものです。
「祈念にあたっては先ず心に願い事を念じ、この神石を撫でること三度、更に願い事を唱えるべし」とあります。
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願掛けと言えば、今年は身体のメンテナンスをして登山を再開したい。
そして今回、いただいた古材御朱印帳は、山岳信仰の神社に限定しようと思ってます。
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久しぶりに門前町・一の宮門前商店街も歩いてみた。
今日は大雪のニュースもあって観光客が少なく、閉まっているお店も多かったです。
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「水基(水飲み場)」は「猿田彦の水」「文豪の水」「金運の水」など名前が付けられています。
この通りだけで14ヶ所、神社周辺あわせて33ヶ所も点在しているらしい。
湧き出る場所によって微妙に味が違うので、飲み比べてみるのも楽しいですよ。
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楼門の竣工をもって「完全復旧」と報じられましたが、今後も引き続き楼門接続回廊・透塀(すきべい)の工事が始まります。
すべてが蘇る日が楽しみです。
●駐車場とアクセス
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駐車場は6:00~18:00。
普通車:最初の30分まで無料、以降1時間ごとに100円。
大型車(車高2.4m以上の車両、マイクロバス、キャンピングカーなど)は第1および第2駐車場には停められません。
阿蘇市一の宮町中央駐車場:最初の3時間まで2,000円、以降1時間ごとに1,000円。
JR豊肥本線「宮地駅」から徒歩15分。
九州産交バス「阿蘇神社前」から徒歩1分。
・GoogleMAP
熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
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