15日目。

幸せの価値観が違ったのかもしれない。
昨日眠りにつく時ふとそう思った。

人によって何を幸せと感じるかは大きく変わってくる。

私は幸せについて多くを望まない
美味しいご飯が食べることができ、
隣にパートナーがいて、
半年に一回くらいのペースで旅行かどこかに行ければいい
何気ない毎日を過ごすことが幸せだった。

でもそれは当たり前のことで、
幸せに感じない人もいるだろう。

タワーマンションに住んで、コース料理を食べることに幸せを感じ、
外車に乗ったり、海外旅行に2、3ヶ月に1回行ったりして
ようやく幸せを感じるかもしれない。

この価値観が違ってくると確かに一緒にいることはできないと感じた。

私が当たり前のことを幸せに感じるのは
幼少期の家庭事情が原因だろう。
両親は仕事をしていなかったが、
世帯収入が少なく、両親はしょっちゅう喧嘩をしていて、
時に子供の前で殴り合いの喧嘩するくらいだった。
泣きながら喧嘩を仲裁することもあった。

ガスや水道も止められることも多々あり、
何度か近所の銭湯に入りに行くこともしばしばだった。

幸せへの視座が周りより低いが故に
今当たり前の生活ができていることに満足してしまっているのかもしれない。
頑張る理由がないのだから。

一緒に生きていくことは想像の500倍難しい。

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