見出し画像

書き手と編集

 現在は「辛口OK」のレビュー依頼はお受けしていないので、noteの感想文では基本的に作品の良いところをご紹介しています。プロアマ問わずどんな作品にも良いところがあり、同時に、より面白くできそうな伸びしろもあるものですが、良いところをさらに伸ばすほうが次からも楽しく気持ちよく作品を書けますし、作品のインパクト自体も強くなります。多少の欠点を埋めたところで、及第点を超えてプラスにするには少し道のりが遠く、書き手本来の良さが活きません。だから辛口OKのレビューって、ものすごく神経を遣いますし、難しいんです。

 ところが先日、面白かったこの作品に、ためらいながらもこんなコメントを残させていただきました。

 現在は修正されているようなので、修正以前の誤字を紹介するのは気が引けるのですが、本来なら「膠着状態」と思われる箇所が「硬直状態」になっていたのを指摘したのです。

 オチまで読み進めれば、わざと「硬直」とした言葉遊びである可能性もなきにしもあらずで、単純誤植の疑いをご指摘すべきかどうか、コメントを書き込む前はとても悩みました。なにしろ、単純な誤字の指摘など取るに足らない重箱の隅をつつくようなことで、作品自体の面白さにはなんら影響ありません。誤字が多すぎれば読者が離れてしまうのは当然としても、多少の誤字なら誰にでもあるものです。
 プロでさえ原稿の段階で誤字があることは珍しくなく、指摘するたびに、編集というのは嫌な人種だなぁと思ってしまいます。プロの作家に何度、憎たらしく思われたかわかりません。

 ですが、これまで複数の作品を読ませていただいてきて「この力量ある書き手ならば指摘しても大丈夫だろう」と踏んで書き込みました。

 すると、どうでしょう。
 こんな答えが返ってきました。

反省して、明日は1行目から盛大に誤字をかます予定なので楽しみにしていただければ。

 予想の斜め上を行くコメントに、少々面喰らいました。どういう意味なのかも十全には判りません。しかし、その翌日に投稿された作品の一行目で、その謎は氷解しました。

 これを読んだときには思わず嬉しくなってしまいました。noteには、書き手と編集のこんなつながりかたも有り得るのですね。

 その男はシマウマの背に捕まっていた。

 普通に考えれば「捕まっていた」は「掴まっていた」の誤字となりますが、これは敢えての表現で、読み進めていけば文字通り間違いないことが判る。そして、それがしっかりと二重構造のオチにまでつながっていく。一晩でこの創造性の高さはすごいと思います。

 大抵は「誤字の指摘ありがとうございます」で終わりそうなところ、はつみさんはそれを逆手にとって「じゃあ明日は冒頭から誤字をかますような作品を書きます」と宣言されたわけです。それはいわば、自分で自分に制約を課す「言葉の強制力」です。

 言葉によって他人になにかを強制するのは難しくても、自分に対してなら、それは明らかな実効力を持ちます。
「武士に二言はない」
「男に二言はない」
 といいますが、性別関係なく、発した言葉にはそれなりに責任が伴います。それでも自分を裏切ることはいくらでも可能だし、誰に被害が及ぶわけでもないにせよ、自分で自分のアジテーターとなるために、今日はこれを書く、明日はこれを書くと宣言してみることは、技術向上のために有効な手立てではないでしょうか。

この記事が参加している募集

note感想文

サポートは本当に励みになります。ありがとうございます。 noteでの感想執筆活動に役立てたいと思います。