れいわ新選組という掴めない幽霊みたいな存在を考える 〜本当に山本太郎現象は起こっているのか〜

れいわ新選組という幽霊

野党界隈に幽霊が出る、山本太郎という幽霊である。

 たいそうな書き出しだと自分でも思うが、山本太郎氏及びれいわ 新選組の最近の勢いを形容するのは「幽霊」という言葉しかないのではないか。

 まず断っておくが、私は政治学者でも社会学者でも政治家でもないので、そういった権威による山本太郎現象の考察を求めている人がいるのなら、ネットで少し検索してくればたくさん出てくるのでそちらを参照してほしい。

 私は、右派左派問わず盛んに試みられている山本太郎の勢いの説明ではなく、本当に勢いがあるのか、というところから見ていきたい。要するに、今の山本太郎現象、本当に起こってるの、ということである。

 政党の勢いを見るのに必要なのは数字だ。厳密に言えば、世論調査での支持率の推移。それ以外の数字(例えば演説での動員数)に頼ると、全体を見誤る可能性もある。例えば2016年の参院選で三宅洋平さんが選挙フェスで集めた人数は政治関係者を驚愕させたが、実際には当選ラインに遠く及ばなかった。 三宅洋平さんの支持者は選挙フェスに積極的に行く習慣があったというだけで、その人数を持って潜在的支持者(選挙フェスに来なかった人)の数を判断することはできないということだ。実際、情勢報道において三宅さんは当選圏内に浮上しなかった。あれだけ人を集めてても、である。

 山本太郎現象がいったい何なのか、ということに多くの識者が食いつき、さまざまな考察を披露されている。これはなぜか、それは誰もこの現象の実態を把握できていないからだ。

 要するに、れいわ 新選組の支持率がわからないため、判断材料が寄附金の総額しかなく、それが「高い支持の裏付け」なのか「コアな支持者が金を出しているだけなのか」の判別がつかないことが、山本太郎氏やれいわを予測できないダークホースに仕立ててあげている、ということだ。

 実態がつかめず、人によって評価は野党第一党より人気とも泡沫レベルとも言われる、これを幽霊と言わずしてなんと言おうか。

 論じたところで世論調査が出るまでは正体が分かるわけがないから、好き勝手皆が論じているのだ。そして皆が話題にすることによって、さらにその幽霊は大きくなっていく。その正体を見ることができるのは、選挙前の情勢報道を待たなくてはならない。そしてその正体がわかった時にこの現象は落ち着きを見せるだろう。

では実態はどうなのか

 では現時点で令和はどの程度の支持を得ているのか。それをはかるのは寄附金の数しかない(不正確を承知で言えば政党支持率のその他の政党欄を見るのもいいかもしれない)

 だが、寄附金については詳細をホームページで公開していないことなど(つまり何人が平均何円寄付したかはっきりしない)ことから疑問符を浮かべる人もいる。仮に寄附金の公表額が正しかったとしても、それをもって政党の勢いを論じるのは早い。

 なぜれいわに寄附金が集まったのか、それを論じるにあたって、日本にクラウドファンディンングの文化が根付いたことに目を向ける必要がある。

 ウィキペディアによれば

クラウドファンディングとは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である

とのことだ。要するに、商品というよりも理念や計画、事業に金を出すシステムということだ。

 日本では2014年に規制が緩和され、そこから様々なプロジェクト(アニメ化から病院まで)がこれによって資金の調達を成功させ計画の実現に至っている。最近では音喜多駿氏がクラウドファンディングによって資金を調達し、新党「あたらしい党」を結党している。

 クラウドファウンディングの浸透は、政党という理念の集合体への寄附の増加の土壌が出来始めたということを示していないだろうか。例のあたらしい党は実際に1000万集め、統一自治体選挙で公認候補者を実際に立てた。

 条件さえ整えば多くの支持者に金を出してもらう環境は出来ていて、あとは起爆剤さえあれば爆発的に献金額は増える、そう捉えることはできないだろうか。

 要するに、山本太郎氏は寄附の数で活動規模を決めるという一種のクラウドファンディング的手法によって、支持者が金を出すきっかけと環境を作り上げたのだ。

 だからこそ寄附金の総額をもって支持の拡大と結論づけるのは危険ではないか。私はこの寄附金の数は、ポピュリズムの台頭というより政党への個人寄附の文化が根付く土台ができたことを示しているように思う。他の党も手法さえ間違えなければ、もっと小口献金の数を増やすことが出来るはずだ。

 ただ、ネット上では太郎支持者を多く見かける。これは党勢拡大の証拠だろうという人もいる。だが、東京新聞の街頭アンケートによると、れいわ 新選組を知っていたのは市民連合を知っている人より少なかったという。

 無党派層の中には、立憲民主の名前すら知らない人もいる。れいわとはメディア露出が比べ物にならないほど多い立憲でも知らない人は少なくない。街頭アンケートを鵜呑みにするのは危険であるが、れいわの狙いである棄権層に浸透しているとは言い難いのではないか。だから山本太郎氏はポスター貼りを第一にしているのだろう。名前を覚えてもらい、選択肢を増やすために。

 野党支持者の疲れと棄権騒動

 では今ネット上を中心に見かけるれいわ支持者は何か。それは、既存野党に疲れた人たちではないか。

 12年の下野以来、民主系は多くの選挙で負け続けた。その中で負け続けることで現戦略への不安が生まれ、そんな現在を批判してくれる人への支持につながる。そして負けていた側を批判する側に回ると楽なものだ。負けているのだから悪いところは多いし、何より元々その陣営にいたことでその悪いところを無意識にわかっていたことが多い。だから批判される側からする側に回れば、解放感と安心感で満たされるのだ。そっち側が負け始めるまでは。

 思えば12年以降、没落した民主系に変わって野党内で勝ち組になったのは共産、そして一瞬だけ希望、立憲と続く。だが、今の立憲も勝ち続けているとは言えない。野党内で勝っている、勝ちが見込めるからそこを応援していた層がれいわに移り、負けている方を泥舟と批判していると考えれば納得がいく。

 全てのことは勝ちたい、勝ち馬に乗りたいということで説明がつくのではないだろうか。

今回の山本太郎氏の問責の棄権はそういった既存野党(=負け組だった自分達)を否定して、勝てそうな道を示し支持を増やすという山本氏のストーリーの一環による行動だろう。今はそれでいい。だが支持率の判明によってその正体が明らかになった時、もしれいわが勝ち馬じゃないと判断されたら、いったいどうなっていくのか。支持率からも本物だと分かれば、野党はどう再編されるのか、全く読めない。

まとめ

山本太郎現象は、その規模が分からず幽霊のようであり、それがさらなる期待感につながっている。既存野党ではどうせ負けだろう、だから未知の(=勝ち馬かもしれない)党に期待しようというのは間違いではない。だがその層は、正体がわかって期待感が落ち着けば離れるだろう。

選挙に勝てるからではなく、本当に消費税をゼロにしてほしいから山本太郎を支持する、そういう本物の支持層がどれくらいいるのか、その答えが出流日が楽しみだ。




 

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