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死体派宣言と呼びかけ


 『死体派』は5月初め、文芸誌の立ち上げメンバーが集まり、結成された。『死体派』の由来は、ルイ=フェルディナン・セリーヌの『死体派』から引用したものだ。『死体派』は“開かれた集合”であり、“青年雑誌”を目指すものだ。

“青年雑誌”を目指す『死体派』

 1915年9月15日、上海である雑誌が創刊された。『新青年』である。『新青年』とは、儒教文化からの解放を目指す文学革命の流れの中、陳独秀を編集長として創刊された、雑誌である。寄稿者には魯迅や毛沢東など、文学のみならず、社会・政治の次元にも大きな運動を作ることとなる人物もいた。また編集長の陳独秀も、のちに中国共産党の創設の中心となり、初代総書記になる。
 『新青年』は初め、『新青年』という名前ではなく、『青年雑誌』という名前だった。
 話を『死体派』の話に戻そう。『死体派』は、文化・社会の変革を目指す者、特にこれからの時代の所有者となる者の“拡声の場”を目指すものである。現在の学問・言論の世界は、新しい世界・文化の開拓者の声はかき消されているように思える。確かに我々は未熟で、世界に対し相対的に無知な存在である。しかし、植物の種子が成熟体の設計図を持つように、来るべき世界の全体像の設計図を持つのは、その先駆けではないか。我々はそれを“developing(展開=開発する)”する場を目指している。

“開かれた集合”としての『死体派』

 『死体派』は政治から文化まで、幅広い分野において、あらゆる方向からの表現・変革の運動体を目指している。そこで、『死体派』は要素の条件を持たない。そのため、あらゆるイデオロギーを包含するため、当然『死体派』内の論争、争鳴も許容どころか、加熱させていきたい。またこの“争鳴”は、“対話”の域を超えるものでも肯定していきたい。ここでいう“対話”とは、究極的な統一を目指す議論として定義したい。つまり、『死体派』は水と油のように究極に相反するイデオロギー(ネオリベ/共産主義など)の論文が並列すること、または誌内で論争を展開することはおろか、現在タブーとされているような言説や賛否も積極的に許容していきたい。

寄稿の呼びかけ

 以上が『死体派』の二つの理念である。『死体派』はタブーを許容する開かれた先駆的運動体を目指している。
 さらに、『死体派』は“コア”として、あらゆる人間を巻き込んだものとなりたい。そのため、『死体派』に興味を持った方や、『死体派』に関わりたいという方を歓迎したい。そこで『死体派』は寄稿の呼びかけをしたい。それについては、次の記事に詳細を共有しようと思う。
 『死体派』はあなたを待っている。

 


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