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わたしのヴィヴィアン・ウェストウッドーパンクの女王、逝ってしまうの、ほんとうに?

12月29日、81歳でイギリス人ファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドが亡くなった。わたしの恩人。そしてわたしにとって、死なない人だとおもっていた。今年は色んなことがあって、ヴィヴィアンの服を着ていないと落ち着かなくて、亡くなった昨日もWitchesのコレクションのパーカーを着ていた。正しくは、スカートも靴も。指輪は25年間、ほぼ毎日身につけているし、ライセンスの帽子も手袋も靴下もヴィヴィアンだった。

わたしはファッション研究者で、繊維メーカーを退職してから衣服を研究をする道に入った。理由を聞かれたら、記号学者のロラン・バルトとヴィヴィアン・ウェストウッドが居たから、と言っていた。ファッションをアカデミックに研究することが現在ほど受け入れらず肩身が狭かった時代、読むべき、書くべき対象として、わたしの目の前にはヴィヴィアンの仕事があった。院生時代、研究発表を一つ終えると、一枚ヴィヴィアンの服を買うことに決めていた。いつもお金がなくて、働いて研究して睡眠不足で眠くて、体調もだましだましで生きていた頃、それを励みに頑張っていた。アメリカ村と恵比寿のアストアロボットとロンドンのワールズエンドのショップがわたしの聖地だった。

ロンドンに初めて留学した時、ワールズエンドのバス停で降りて歩いて数分のフラットに住んでいた。日本から送った冬服が届かなくて、寒くて辛かった時、思い切ってワールズエンドのお店に入り、セーターを一枚買った。毎日着ていた。寝る時も。大切な服で、ボロボロでも、今でも捨てられない。

虫の知らせか、昨日は、ブティックにも行きたくなり、しかし馴染みの店が今年閉店していたことをうっかり忘れていて、近くのデパートに入り尋ねたが、そこにはお店はなかった。今日買わないでいつ買うの、と思うが、わたしには、買っていてもまだ着ていないヴィヴィアンの服がまだまだある。歳を重ねてやっと袖を通せるようになった服が、ここ数年多い。それでもまだ着たことのない服がある。

家にあるヴィヴィアンの関連の本を探す。思ってたほどない。研究室にまだあったはず。今年ももう終わる。やることがいっぱいあるのに、動揺していて、ウサギに、ヴィヴィアン死んだ、と話しかけるだけ。院生時代、音楽雑誌から依頼をもらってセックス・ピストルズ特集号にヴィヴィアン・ウェストウッド論を書いたことがある。ピンク色の本で、出版は2000年で、「ロック・ジェット」という雑誌で創刊号だった。わたしがパンクに出逢ってしまったためにこんな人生を送っている、みたいな内容で、20年以上経っているけど、何も変わってないような気がする。

ヴィヴィアンのコレクションと作品を、パロディとして読んだ。服飾史に裏付けられた衣装だから、歴史的な勉強もたくさん必要だった。音楽から知ったデザイナーだったけれど、わたしがファッション研究者になるためにも大きな存在だった。ヴィヴィアンのファッションがなければ、間違いなく研究者になっていなかった。年齢を重ねた方が抵抗なく着られるようになっている。服のちからに、じぶんがかなうようになってから、なのかもしれない。もちろん、服によってちからをもらうことにもなる。裸体は最高の衣装、と言った人。脱ぐことと着ること、隠すことと顕すこと、その身体表現の中にファッションの面白さや美しさが生まれる。

研究者として原点に帰るべき時が来ていると感じていた矢先。ほんとうに、逝ってしまうのか。ありがとう、と、直接言うことができなかった。わたしはロンドンに何度も何年も行っていて、何をしていたのだろう。

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