創作で、「ひと目を気にするかどうか」

こないだ、note友の方がこんなことをツイートしてて、気になったので記事にしたい。いわく…

「見られることを意識しすぎると、うかつなことを書けない」

この方は、もっぱら絵を中心に発表されてるんだけど、女の人を描くのが苦手だそうだ。その理由は「自分の性癖がバレるのが恥ずかしい」というお茶目なものだ。

私はわりと自己顕示欲が強いので、そんな可愛らしいことは(失礼)思いもよらなかった。私もたまに漫画を連載してるんだが、第一話で、主人公の女の子がいきなりゲボを吐く。べつに私はゲボ愛好家ではないんだが。。。

漫画にかんしては、特にそれで稼ぎたいと思ってるわけじゃないのもあってか、わりと自由気ままにやらせてもらっている。むろん多くの方々に見ていただければ、とは思うものの、内容がブッ飛んでいるので、万人受けするとは思えない。

念のため補足しておくと、べつにゲボ吐くのが主体の漫画ではなく、いちおうラブコメなんだけど、ギャグ要素で主人公がハチャメチャなことするってだけです。常に吐いてる内容だったらむしろヤバイ。。。

時間をさかのぼるが、私は20年ほど前、音楽でプロになろうと頑張っていた。当時で三十歳前なので、いま考えたら遅すぎるのだが、インディバンドをやってて、わりとイイ感じになってきたので「もっと上を」と思って、音楽留学までした。

私はシンガーソングライターなので、作詞も作曲もする。当時ずっと意識していたことは、「自己表現と、お客さんの求めるものの一致」だ。これは、最初に書いた、お友達の言ってるソレに通ずる何かがある。

漫画を描くようになったのは、留学よりずっと後で、スタンスとして、特にプロ志向ではないため、もっと気楽にやっている。

そういう経験を通じて、けっこう痛感したことがある。

漫画表現においては、いちおう私なりに目指す意図があって「ヒューマンドラマ」みたいなものを描きたいというテーマがある。ゲボ吐いてんのに

軽く説明しておくと「ギャグ漫画のていをしているが、その中で無償の愛を表現したい」という、文字だけ見るとカオスなものだ。でもそれはそれで成立している。

…たぶん。

私の中で、漫画制作には「よく見せてやろう」みたいな気負いが無いので、制作する側としてはとてもラクだ。また、「何をしても許される」みたいなところがあり、正直、音楽活動よりプレッシャーやストレスもほとんど無い。

まぁ厳密には、そんな中でも、倫理観とか、ギリギリの常識みたいなものはあるにせよ、たぶん音楽制作してた頃よりよっぽど自由にやっている。

反対に、音楽のほうは、最初からわりとプロ志向だったので、そういう面での「表現の自由さ」に制約があって、しんどかった。

そう気付けるようになったのは、私の精神的変化もあると思う。

いちおう音楽、漫画ともに、根底には「何か伝えたい」あわよくば「感動してほしい」みたいなメッセージ性がある。ただ、音楽やってた頃は、無理しすぎた。

私は「べき思考」(≒ものごとは、こうでなければならない)みたいな考え方がもともと強いみたいで、けっこうキッチリしてないと落着かない。

音楽には、音楽理論というのがあって、たとえば、ある程度の基本的な決まりがある。小節の長さとか、コードとメロディの組み合わせとか。そういうのを、「きちっと原則に合わせなきゃ」みたいな考えが強すぎたのだ。

(※ 実際、ある程度の原則はあるけど、意識・無意識にそれを外れてるほうが面白くなったりもする)

また、歌詞づくりは本当に不自由だったと思う。振り返れば、当時の私としては、あれはあれでベストを尽くしたので、歳とった今の私から「よくやった」と褒めてやりたいところではあるけど。。。

たとえば、世間に「椎名林檎」というアーティストが出てきたとき、私は彼女の歌詞の過激さ、斬新さにビックリした。「こういうこと書いていいんだ!?」って思った。

今では反対に、「むしろ、そういう独自性がプロとアマの違いなんじゃないか」って思うようになったけど。どうも、自分の中で「歌詞とはかくあるべし」みたいな思い込みが強すぎたっぽい。

どういうことかというと、「意味の無い歌詞は書かない」とか。「ひたすらネガティブで希望が無い内容はだめだ」とか。それを、自分なりのポリシー、ひいては「売れるための要素」みたいに思い込んでいた。

正解は無いんだけど、なんとなく「売れる歌詞」の特徴として「万人に強く共感される汎用性?」と「その人にしか書けないような突出した独自性」の2種類に大別されるような気がする。

(※ 偏見がかなり混じってますが、前者がたとえばアイドル等の商業的音楽、後者がアーティスト的な音楽と仮定。私はどちらも尊重しています)

それで、自分はたぶん、「本当はそんな人じゃない(万人受けする性格してない)のに、それを目指していた」って感じかもしれない。

まあ、これは当時の自分としては、いつも精一杯ベストを尽くしてたし、留学までして、結局は大成できなかったんで、限界に挑戦したという意味では良かった。

自分のプロ意識というものが過度に高すぎる、というのもあると思うが、そういう気質的なものも引っくるめて「才能」の限界を知ったと思う。

よく言われることだが、プロになる人は、大抵子供の頃からそのことを毎日のように自然にやっていたりする。たとえば漫画家は、暇さえあれば絵を描いていたり。

私の場合、実際、子供の頃からTVゲームが好きで、小学生からファミコンでプログラミングをしてたし、以降も日常的にネットやプログラミングに接してきた。それでプログラミングのプロになった。

音楽については「好きだけど、四六時中、作詞や作曲しているほどではない」というのがある。普通の人よりは熱心なほうだと思うけど。

…話を戻すと、時系列で、音楽留学→ 挫折→ しばらく働く→ 趣味で漫画を自由に描く→ …みたいなことをして、けっこうな歳月が流れた。

そんな中、漫画を本当に好き勝手に描いていて痛感したのは「あまりひと目を気にせず、自由に表現できるってのは楽しいもんだなあ」ということだ。

ジャンルが違うけれど、たぶん、心のありようは通ずるものがあって、ずいぶん長い時間を掛けてこのことに気づいた。プロ意識の有無という違いも大きいだろう。

とはいえ、今になって思うのは、音楽制作(とくに作詞)を、もっと自由にしてみたかった。ということだ。まぁ、今さら音楽のプロを目指しては居ないので、またやってみたらいいんだけど。

あ、そうか、やってみたらいいのか。

ふと思い出したが、noteで漫画連載していた頃、その漫画の主題歌を作った。その時は、完全に「遊び」だったので、メッセージ性もへったくれもなく、思うがままに書けて、とても楽しかった。自己満足かもしれんが、面白い曲だ。

未だに、漫画にせよ音楽にせよ「あわよくば」もうちょっと目立ってほしい。とは思っている。それがお金を生むかどうか、というんじゃなくて、もうちょっと純粋に見せびらかしたいという意味で。

タイトルの「ひと目を気にするかどうか」は、とくに、SNSでの炎上などが頻発する昨今、かなりギスギスした世相を感じるけど、今じゃ、その「炎上」も引っくるめて宣伝になってたりもする。ややこしい。

…まぁ、してみると、私の性格からは、もうちょっと自由にハジけても大丈夫かもしれんな。というのが正直なところ。同時に、だからといって、自由であっても、やっぱりある程度、ひとの目を意識する部分は必要だろう。

ということで、長々と書いて、自分の中で納得いく部分もあったんだけど、けっきょく「バランスが大事。ただ俺の場合はもうちょい自由でいいんじゃない?」という結論に至った。

うわー、なんかオチが無い。ゲボ吐く歌詞があってもいいんじゃない!?

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