苦手な人への「すごく良い対処法」(実行が難しい)

はじめに

初見読者のため、基本的に毎回、自己紹介や、記事を書いたキッカケに触れている。数年前から双極性障害になってしまい、寒い時期(今とか)は躁状態ベースだ。だから書きたい(言いたい)ことが多い。実生活でも多弁になる。

先日から、noteで「生きづらさ」を持ってる方々の力になりたいというお節介欲が止まらず、過干渉になりがちな自分と戦っている。

余談だがnote界隈でIQブームなので。私はIQ120前後の「IQ高く生きづらい」発達障害者(ASD>>ADHD)中年独身男。キチガイではあるものの聖書信徒である。

「正論」は難しい

私は文章においては、持ち前の「完璧主義を発揮しないよう」心がけている。なので、あらすじを考えてすらいなく、アドリブで思いついたことを書くので、いつもメチャクチャになる。

昔プロの音楽家目指し、ハリウッドの学校に留学してたのだが挫折。音楽に完璧主義すぎて、自分を信じきれなかったり、作品に制約をしすぎて楽しめなかった自分を、可哀想に思う。

音楽はプロ志向(お金目当て)だったから、完璧主義も仕方ないが、noteで金稼ぎする気はないので、雑に書いてもいいと、自分に許可している。

さて「人間関係」の件だが、もしかすると皆さんも耳にしたことがある解決法がある。私が知る限り「完全(結果を出せるって意味)」なので、実行すれば良い結果は出る。ただ、誰にとってもすごくイヤな方法なので、たいていの人はやらないか、できない。

私は実践したことがあり、良い結果を出せた。

「汝の敵を愛せよ」

私が最初に聖書信徒であることを書いたのは、どうやらこの部分への布石だったらしい。いま気づいた。そういえば、とある通りすがりの読者さんに「あんたは自分に自信が無いか思い込みが激しいので聖書(宗教)を心のよりどころにしている」みたいなことを言われて、的外れなのでブロックした。

聖書に書いてあることは、「きわめて正しい」。正しいので、素直に従うと良い結果が生まれるのだが、課題は「実行が難しすぎる」ということだ。

ついでに書いておくと、聖書には、人間関係のコツ、平和に生きるすべや、心身の健康、経済学など、生きる知恵がつまっている。ただ実現や解釈が難しいことがある。

断っておくが、私は聖書(イエス)信徒だけど、神のことが大嫌いだし、聖書のことを「目の上のタンコブ」だと思っている。なんで俺を侮辱した奴を愛さにゃならんのだ。なんで情欲をもって女を見たら死刑にされるんだ。そんな殺生な…。

苦手(っていうか嫌い)な上司から最終的に寵愛を受けた話

躁状態で書いてるので、内容をまとめるのに苦心している。どう書いたら短く収まるだろうか。。。

むかしIT企業に居た。ビルの2−4Fくらいが貸切オフィスだ。(※ かなり昔のことなので、階数、日数、会話内容などは本筋を除き不正確)そこに女支店長が居た。スタイル良い美人だが気がキツく攻撃的な人だった。

というのは、私のフロアは4F、彼女は3F。たまたま3Fに男子トイレがあったとかで、移動時に階段ですれ違ったりする。私は小柄だし、互いに避ければ充分すれ違える道幅。だけど、その人は踊り場で待機していた。(私に対し、「上司である自分が、道を譲らされた、腹立たしい」と感じたらしい)

以後、事あるごとにチクチク攻撃されて精神的に参ってしまった。実務と関係ないのに目を付けられてしまい、当時、気が小さかったので本当につらかった。それで、困ったときの神頼みをし、祈ったりしていた。

「祈り」についても誤解されてると思うので書いておく。聖書信徒の祈りは「神との会話」である。神を動かすおまじないとかではないし、魔法の呪文でもない。

神は信徒の「親」なので、子どもがその父母に「今日はこんなことがあったよ」と話すソレ(会話)であって、神に「女上司が嫌いなんだ、解決してくれ」といっても神は特に何もしない。祈ったからといって、神が上司の性格を変えるほど都合いいわけがない。実行するのは自分だ。

たぶん日本人の多くが聖書信徒の「祈り」を履き違えてそうだと思うし、私を含む信徒ら自身もそうだと思う。人間に神が使役されるほど神は低俗な存在でなく、立場が真逆だ。創造である。

(ちょっと今回は、キリスト信仰のリアルな情報を混ぜるが、私という一個人の見解なのと、字数上、正確性を保証できない、ごめんなさい)

ただ、神はときどき、ちょっとした勇気をくれたりする。

私は「他人の苦手な一面を見ると、二度と関わりたくないし、関われないタイプ」である。一度でも衝突したら、基本的にはケンカするか無視する。(ブロックの件で分かるとおり、気が短いし、ドライだし、好戦的)

しかし、当時、女上司に嫌われたままだと、自分もしんどいし、仕事にならない。生活も掛かっていたし必死だった。

そこで「祈ってから行動」することにした。通常の自分だと、嫌いな人間とは徹底的に戦うほうだが、疲れ果てた。それで「敵を愛する」行動に出たのだ。

というのは、私のデスクが4Fなので、毎朝そこに直行してたんだが、ある日、別の上長を介して「獅子さん、(3Fに居る)女上司さんが、朝、自分に挨拶しないのは失礼じゃないかって」と言ってきたのだ。

説明下手で恐縮だが、朝、出勤時、「挨拶するためだけに(業務に無関係の)3Fに立ち寄って、女上司に頭を下げてから4Fの自分のデスクに行く」ってことだ。はなはだ面倒だし非効率ではないか。

ただ、私は「こうなったら意地だ」と思って、「自分の(効率主義な)性格に反し、無理をして」たぶん毎朝か、必要以上に、彼女のところに挨拶に行くようにした。おまけに、いったん喋るとわりと話すタイプなので、時事ネタなど雑談するようにした。

つまり、自分では無駄なことだと思ってたが、「xxさん、おはようございます。今週はやけに寒いですねえ」とか、アスペルガーな私の苦手な「雑談」をすることにした。だいぶ昔なので何を話したかは忘れたけど、とにかく話した。

実務上、一切無関係で接点も無く、そもそもIT企業だけど何もしていないように見える(もともと別業種からITに進出した会社で、彼女は別業種出身だった筈)何のために居たか不明な上司」に、挨拶のためだけに、朝、すごく面倒だが、別フロアの別室のドアを開け、おはよう&雑談をしてから階段のぼって自席に戻る。

結果、その上司は、ことあるごとに、たぶん私用のおやつとかを用意し(少なくとも全員用ではない)、獅子さん、獅子さんといって、妙に大事にしてくれた。周りの社員達は腫れ物みたいに接してたのに、私は寵愛を受けたのだ。

ほかにも、その仕事において、しんどい局面では(たまたま信徒モードなのですこし触れると)「祈ってから行動」することで、けっこう助け舟みたいなことがあって、道が開け、結果的に、業務と無関係なトラブルから解放された。

正直、私はIT技術者としてのスキルとか、自分の、職務遂行上の知的スキルには自信がある。なんでかっていったら、別に「何もせずに分かる」わけではなく、子どもの頃からIT系の勉強をコツコツやってて、めちゃくちゃ努力しているからであって「才能がある」とか「恵まれてる」わけではない。皆が青春してた頃に恋愛も不良もせずに頑張ってきたんだよ。。。ちょっと愚痴らせろ。。。

で、業務より厄介きわまる「苦手な人」との問題はスムーズになった。ほかにも、手が足りないときに、非常に根気と性格がよい方が後輩として入ってくれたり、いろいろ助かり、楽しく仕事できるようになった。

ちょっと思い出も混じって懐かしく感じ、結果的には「神に感謝している」と言いたくなってしまって矛盾が生じている。

あとがき

日本の多くの人が「宗教」だと思って、偏見で見られるので、私は意図的に、神や聖書に関する話題を控えることが多い。また、「勧誘」だと思われるのも大嫌いで、そのことは、正直ものすごくめんどくさい。

「今日、たまたま、神に関して、話題として切っては切れない部分があったので」そうしただけだ。また、神が在る無いについては、たとえば皆さんが空気の存在を「見えないけど知識と知っている」のと変わらない。実際に直接は見たり触れたりしたことが無い、はるか遠方の太陽とか、恒星とかを、皆さんも認識し、知識として「在る」と知っておられると思う。

なので、誤解を与えたくないが、本エッセイでは「聖書に書いてある普遍的な知恵を実行したらうまく行った」というのが主題であり「だから神を信じろ」なんて微塵も思ってない。

私は「宗教者」ではないし、そもそも神を憎悪しているのて(障害者として造られたことの恨み)他の人に、神を信じてほしいなど、ついぞ思っていない。これは本当に強調しておきたい。信じるかどうかは、誰かに強制されるものでなく、本人がそうしたければそうしたらいいのだ。

なので、どちらかといえば「苦手な相手が居る方によい解決策は、敵を味方に変えることですよ」ってことを言いたいだけだ。そして、これは、漫画やアニメ、心理学などでも言われてるけど「実行するのにかなり勇気が必要だが、本当に有効だ」という話だ。そういや漫画だとアツい展開だよね。

今回、古い、仕事上の体験談を持ち出したけれど、この話以外にも、類例はある。

なんでこれほど執拗に書いたかというと、「敵が居る」ってことは、ときに生死に関わる、人生の掛かる大きな課題だからだ。そして、解決法はある。

推敲してないので、正直、本当に支離滅裂だけれど、このまま発表させていただく。

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