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精神論と強さは別

お疲れ様です。志士です。
私のブロブを見にきてくれる人がいる、だから私は頑張れます。
いつもありがとうございます。
さっそくですが、書いていきますね。

今回は「精神論と強さは別」というブログを書いていきます。
私が、これからの日本人に必要なことそれは、「」「精神」の強さであるとお話しをしました。
しかしよく勘違いしがちな事ではあるのですが、精神論と心の強さを一緒に考えている方が多いです。
最近でいうパワハラに近い形になっているケースです。
実際の私の経験で話させて頂きます。
私の上司が言って言葉ですが「人は出来ない理由を探したがる」という言葉を使っていましたが、私もその言葉にはとても共感しますし、理解していました。
人間といのはどうしても楽な傾向に走る生き物です。
やっぱり中には、だらける人間も出てくる訳なんですが、その上司は「出来ない理由を探したがる」の言葉に囚われていたのか、木の根っこで埋め尽くされた場所に穴を掘れや、砂利の上に穴を掘れなど言っていました。
やはりそれには無理があったと思います。
しかし不可能ではないんですよね?出来ないことはないんですよ。
ただそれは無限にある時間と動力と機材があればってことなんです。
そこを限られた時間の中で限られた資材で掘るように言われるのだから無理があるということです。
そのことを当たり前にいうのは精神論ということです。

また昔の日本軍が強かったのは精神が強かったというところがあります。
確かに精神が強かったので、日本軍は強かったのです。
しかし今の現代戦に置き換えれば精神論だけでは勝てないという事です。
現自衛隊はいまだに精神論で戦闘を推移させようというところがあります。
それは明らかに間違っていますし、また戦術を入れ行っているという指揮官がいますが、戦術が古かったパターンや指揮官は選手をサッカーでいうボードで駒を動かして戦わせているようでした。我々現場の隊員はサッカー選手、プレイヤーとしての目線でフィールドに立っているので目線が違ってくる訳です。
なので指揮官とはある程度の部分を隊員にゆだねなければならないのですが、どうもこうも自分通りにしたいのか、何でもやろうとすると指揮官のエゴが丸出しになっている、そこでは隊員が考える余地を与えられない訳ですから、隊員が育たないということになってきます。
なので強さとは個人の能力を上げていくことも重要になってくるという事なんですが、精神論は、「個人の精神を鍛え、そして個人にゆだねる」ということが正しく感じています。組織に精神論ではなく個人に精神論が適用されてるのでは無いでしょうか?
その中で、個人の能力には限界が必ずやってる時がくると思います。その能力を突破する時に個人で発揮するべき力が、学ぶ力鍛錬、そして精神力であり精神論では無いでしょうか?

ということで、今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
気になることがありましたら、何かしらのアクションをしていただけると嬉しいです。

それでは!志士でした。


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