「なまはげ」というシステムの効能について

小さい頃からニュースでたまに見かけることのあった「なまはげ」について、私は「どうしてそんな怖がらせるのか」と疑問に思っていた。
泣かせる相手はいつも子供で、特に悪いこともしていなさそうなのに(もしかしたら悪いことをしている子もいるのかもしれないが)「悪い子はいねぇが」と脅している。
その質問の仕方で既に怖く、仮に何も悪いことをしていなくたって泣いてしまうだろう。

正直なところ、私は理不尽極まりないと思っていた。
まずは、本当に悪いことをした子を選別して、「なまはげ」の前に立たせるべきだ。

しかし、改めて考えてみると、実は無差別に「悪い子はいねぇが」と脅し散らかすことにはかなり効果があるのではないかと思うようになった。

恐怖でコントロールするのは賛否両論出るかもしれないが、やはりある程度抑止力になると思う。
毎日「なまはげ」が歩き回っている必要はないが、時になまはげという恐怖の塊に出会うことで、心の中に「なまはげ」が育ち、自分を律する恐怖の存在としての「心のなまはげ」が機能するのではないかと考える。

最近の子供は「なまはげ」のような存在を信じているのだろうか。あまりにも世俗化されすぎてもはや「なまはげ」はいないものとされているのか。
そうなった時、代わりになるものは何になるのだろうか。

子供だけではない。大人にとってもまた「なまはげ」の代わりになるものはいるのだろうか。それは法か。

犯罪ではないけれども、ちょっとしたモラルの欠如を制御する何かが必要な気がするのだ。

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