人草
少し前に私たちの冬期湛水不耕起栽培の圃場の稲が出穂しました。昨年より少し早いですが、昨年は梅雨が短かったかわりに雨の多い夏で、田んぼの苗にいもち病が出てと稲刈りまでの間心配の絶えない稲作でしたので、今年は順調に育って欲しいと願います。真っ青な空のもと風になびいて揺れる田んぼの風景がとてもきれいです。
ちょうど一年前、逆参勤交代所謂、都会と田舎の二拠点生活を望む方と私たちが取り組む自然農をやってみてはどうかという旨のブログを発信しました。
しかし、自分で言っておきながら何か違和感を感じてしまい、それについてあれこれ考える日々です。
人が生きる、暮らすとはどういう事なのかというところへと考えが至ってしまいました。それは何を根幹において物を考えるかにより変わるのではと思います。例えば私個人的な幸せなのか、私が大切に思う何かのためか。もっと別の次元でいえば、私は、何かと繋がっていることで存在するという認識のもと暮らしを考えるのかなどです。
逆参勤交代という取り組みを体現して、私の潜在意識の中に後者、つまり、何かと繋がっていることで存在する自分というものを見つけました。しかし、なぜ自分がそのように思うのかずっとわからなかったのです。
そのような疑問以前に「わたしはなぜここに存在するか」というぼんやりとした疑問があって、その答えを探す道のりの中で「古事記」にたどり着いたところでしたが、いまその古事記の中から、逆参勤交代を機に知ることになった私の中に内在していた感覚の意味を見つけたような気がしています。
これは日本人において言えることという限りではありますが、私たちは明治維新から78年前の終戦において自らのアイデンティティーを失ってしまったように思います。自分と自分の生まれた土地や国や文化、精神性とをぶった切られてしまい、民族またはより小さなコミュニティーに存在するものとして「土着」という概念をすっかり忘れてしまったか、もしくは重要なことと捉えず、またはそれをカッコいいことではないというファッション的感覚でかたずけてしまっていたのではないかと思うのです。若かりし頃の自分は少なくともそうでした。しかし、自分が自分の人生をかけて何かに取り組もうとすると、その部分でなにかしら整合性がとれずにつまずくのです。今回の逆参勤交代然り、自分が取り組むことの本質や、理由、どう選択しどのような次の一歩を踏み入れるか、その一つ一つの選択の重要度には大きいも小さいもなく、またその選択肢は限りなくレイヤーになっていることに気がつくのです。そのレイヤーの幅は自分が何をどう知っていて、また、自分が何も知らないということを理解しているかで、どこの部分を選択するかは決まり、同じような思想でスタートしたとしても、その一つ一つの選択の違いによって全く別の道へ向かうことになるのだろうと思います。
しかしながらその違いはぱっと見、差異なく見えていて、まるで同じようなカテゴリーに属しているようですが、見る人が見れば全く違って見える。レイヤーの幅の広がりが同じくらいであれば理解できるし、幅が狭ければそれを理解できず全て同じと捉えるというようにです。
そのレイヤーの幅を広げようと、私は私なりに歴史を学んで、古事記について興味を持ちました。古事記においては、江戸時代に本居宣長先生が国学として世に広めてくださったことで知られてはおりますが、一向に我々日本人が理解を深めるに至っていないのです。単なる神話としてかたづけられるものではなく、日本人とは何なのか?どういう存在であるべきかというものが記されているのだと感じるのですが、私も含め現代の日本人においては、個々がその暗号を紐解くしかないのだろうと思うのです。それは、私が移住という選択に対して感じる違和感というものが、DNAレベルで疼く何かである可能性があり、その答えとなるものが古事記にあるかもしれないと思ったのです。
古事記の中で神々は、人間のことを人草と呼んでいる箇所があります。神々は人間を植物と同じ存在だと言っているのです。それで私は腑に落ちました。私は母親のお腹に宿った時この土地にタネを降ろされた人草です。私はその時この土地の目には見えない存在や、自然とつながって植物やキノコと同じように足から生えた見えない根っこで繋がって無意識に意思の疎通や情報伝達を行なって、私というフィルターを通して私は言葉を発していると感じる事が確かにあると気がつきます。
先日私は、この話をこの一年ともに自然農に取り組んだ、よその土地からやってきた青年と語りあいました。それを記しておこうとこのブログを書いています。
都会から田舎へ移住する、田舎から都会へ出てそこから別の田舎に移住するということはあっても田舎から別の田舎へ移住する人も稀にいるだろうが、よほどの理由があってのことだったり確率としてそんなに多くはなさそうです。ということも人草であるということを踏まえれば、私のなかで腑に落ちます。
こういった人々の行動が意識の中でどのような理由のもと現れるのかを考察試みるのです。これも先に述べたことと重なりますが、明治維新から終戦の影響は中央や港のある場所が大きく受けることになります。田舎や僻地の代わりに欧米の文化を真っ先に取り入れることで、近代化するとともに人草の根を貼る土も失ってしまったということではないでしょうか。彼らは近年の都会のスギ花粉のように空中に舞い続けるしかなくなって、自らのアイデンティティーを探し彷徨うように移住を試みるのではないかというふうに次第に思うようになりました。その時の欧米文化の煽りというものを、仮に私のいる場所が真っ先に受け入れていたのであれば、この青年と入れ替わりで私がそちら側であったのだろうと思うのです。
しかし、これはあくまでも人間が人間社会において、というレイヤーの中の考察になります。只今私という人間が人間しかいないという架空の世界を頭の中で想像し、このような感傷的な物語を作って「どちらにも罪がないのです。私たちはお互いに被害者だったのだから」というオチをつけたに他ならないのです。
こういった私たちの現状に対する行動に内在する意識の中に、人間以外の存在がたしかにいるという自覚はあるのだろうか。という点に私は執着していきたいと思います。
本来土着するべき地は皆にあって、もうすでにそこのすべてと繋がっていることを忘れているだけではないかと思えてくるのです。そこがたとえコンクリートに塞がれていたとしても、草はやはり生えてくるように、その地がまた未来の人草が根をはる場所となるために、その地と繋がっている人草であるわたしたちが今存在しているのではと思えてきたのです。よその土地の良いところをみる以前に、自分のルーツとなる場所を畏敬や愛情の眼差しで見渡すと、他の土地では見えないその人だけの何かが見えてくるということもあるのではと思えます。一旦そういった体現がないと、移住した先の土地に対する本当の意味での畏怖を抱き感じることはできず、よってその土地と本当に繋がる、すなわち自分の存在を知るというところに至れないのではと思うのです。
この世界は人間だけで構成されているわけではないのであれば、やはり人草としてその土地や自然と繋がっていきねば、自らの存在する理由が見つからないのではないか。これは、古事記に少しだけ触れた私という土着民が感じた個人的なものではあります。
この地域の神楽では、獅子の前で簓を鳴らしたり、太鼓を叩いて舞う子供は毎年、この地域で生まれ育ち暮らす両親から生まれた子供が選ばれます。(近年は違うかもしれません。)これはここ最近話題のLGBTQ的に言えばけしからん話となりますが、日本の神々が私たちを人草であるというなら、その地の神や見えない存在や自然と繋がっている子供や演者を選ぶのはもっともなことだなと私は感じます。それは古来からの人々がその地の神や、自然と交わした約束なんだろうと思うのです。
私たちという存在は、長い時代の流れの中のほんの一コマを生きているに過ぎず、未来に続く一瞬を生きる存在ではあれ、後世に確実に何かを残すはずでもあります。小さな存在かもしれない一人一人がいとも簡単にしてしまっている小さな選択が大きく後世を変えてしまうということはあるかもしれません。
日本という国体においてアイデンティティーを取り戻すことができてない現時点では、個々人がそれについて真剣に考えるということをし始めなければ、今のわたしたちと同様に後世の子供たちも人草として根をはることができないまま浮遊してしまうことになならないだろうか。
そんなことを思いますと、現実として私たちが取り組む農業は重労働であって継続していくのであれば逆参勤交代という考え方は合理的で素敵なアイデアではあったなと思うのです。
そうやって様々な人たちが混ざり合い、その後混沌とし、一体となる。という生き方は日本人の感性としてあるのも感じますが、そう思うのとは裏腹に自分のルーツである場所において自分の存在意味について考えるということを一旦しなければならない局面に私たち日本人はいるのではないかとも思えるのです。
長い時代の流れの中のほんの一コマを生きる存在に過ぎない私たちが、ただただ自我によって生き方を選択するべきなのだろうか。これを全体主義と定義するならば、一見すればそれは平和的に見えますが、果たしてそうなのか?といういちいちの疑問をもって生きるということも私たちの存在する意味なのかもしれません。