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詩集『きみは転がりこんできたね、マイボーイ』 3

■見どころ、読みどころ■

何と言っても タイトルがとても美しいですね笑。 『てのひら、月の祭壇』なんてすぐにポポンと出るような連想じゃないですね。とても敬虔な感じもするし、もはやこれはこれで動かしがたい不動性が認められて、作者の鋭い感受性をうかがわせるのに十分な語の並びかただということができるでしょう、なんて、どうもアール・ナイチンゲールの自己啓発の著書を読んだ直後なので、気分が高揚しております。

自分の息子を呼ぶのにまさか本名にちゃんづけというわけにもいかず、その時期ごとに何かふさわしい呼称を編み出すわけです。この詩では「たぬけん」といったひじょうに失礼な呼称が用いられています。さまざまな呼び名が 使い捨てられてきましたが、現在では「うちの小僧」というのが定着しています。本人を呼ぶときも、「おおい、小僧」と呼びかけます。すると小僧、いや息子が走りながら「はああああい」と返事をしてくれるのです。 じつに呼吸のあった父親と息子です。先日は、せっかくの休日だから外で食事をしようということになり、タッパーにカレーライスをつめてもらい、近くのグラウンドで少年サッカーの試合を観戦しながら食べました。なんという親子だろうと母親は嘆息していましたが。では、どうぞ。
 

■『てのひら、月の祭壇』■



すっぽりもぐりこんだ布団のなかでもきみは 

あらゆる金属の触れ合う音にいちいち驚き 

仰向けにひっくりかえったままで 

よつんばいになろうとするけもののように 

するどく手足を感電させる

ぶるるるるる、聞こえてしまいましたよ、

御両親さま、

あればかりはなんとかしてくださいまし 

しかしぼくらになにができよう 

強く踏まれたアクセルに呼応する乗用車の怒号 

あんなに遠くを走っているのにどうしてここまで響いてくるのか 

こうもりのように飛び交う音がきみには 

こうもりだとも乗用車だとも判断がつかなくて 

ただ怯えて震えて震えているというのに 

ぼくらはただ舌打ちするばかりなのだ 

消し忘れていた換気扇をとめても 

きみの痙攣は覚醒する 

手足を縛って丸焼きの子豚のように吊しておくわけにもいかず 

いっそ中耳炎の子供みたいに耳マスクでもかぶせてやろうか 


コーヒーを沸かすためにひねるガステーブルのスイッチ 

ぼくはきみを思ってそおっとやったのだ 

だがそれでも底意地の悪いきみの母親はふすまごしに 

こんな夜更けにいったいどなたさまでしょうかと釘をさす 

ぼくらは父、母、息子からなる 

典型的な三人家族のエディプス一家だぞ 

コーヒー欲しさにはい出てきたのは 

消去法で推測するならおそらくあなたの夫でしょう 

小さいときには四本足、大きくなったら二本足、 

日暮れになったら三本足になるのは何だ 

すると彼女はこう返答した 

早く寝ないと明日起こしてあげませんよ 

ふうむ、これはなかなかの腕利き 

とうていひとりでは勝ち目がない 

マグカップで両手を暖めながらぼくは智者と交信する 

スフィンクスがぼくに耳打ちをする 

ようしわかった 

おい、かつては美貌の恋人、

津軽弁と鼻の高さが相殺しながらも 

なにかしらぼくを魅きつけたけっして酒には酔わない女よ

しかし今となっては妻はただ経由してしまい 

その子の母となりはてたきみよ 

この問題を解いてみよ 

とたんにふすまが開いて 

いいかげんにしてくださいと低い位置から目が光る 

おっかないから机にもどってコーヒー飲もうっと 

ぼくはすごすご引き下がる 


ここまでが一般公開の夫婦像なのだ、わが子よ 

もっと詳しく知りたいならば夜更かしができなきゃだめだ 

きみはまだねんねのねんねこあかんぼうにすぎない 

きみはまだぼくらに観察されているばかりだもの 

この子はてのひらを開いて上にむけたまま眠るわね 

ぼくはそばにいてそれを熊寝するけんしょうと形容する 

河で鮭をとりあきた熊が 

笹をもったままゴロンとねころべば 

いまきみが寝ているように 

そこだけ毛の生えていないてのひらを空にむけて 

ふかぶかと夢を反芻するだろう 

でもこの屋根の向こうはもう夜なんだ 

月は白く痩せたり照れながら低く近づいたりして 

きみのてのひらを祭壇として降りようとしているのかもしれない 

きみが開いたままでいるそのてのひらに 

ぼくらはどのよう供物を供えればいいのか 

ぼくもときおりは提言する 

いやこの子は熊よりもむしろ狸の方がふさわしい 

ぼくはぜひ駅前中古車センター斜め前の 

ちゃんこ鍋屋においてある 

大狸と一緒にスナップ写真を撮ってやりたい 

八畳敷きのきんたまのしたにこの子を置いて 

はあい、パチッとやってやりたい 

おおきんたま、こきんたま 

かくしてきみは「たぬけん」とよばれる一時期もあったのだ 

たぬけん或いはたぬけんしょう 

たぬけん、おやすみ、 

たぬけん、おやすみとぼくらはきみを隣室に眠らせ 

中腰になりながらふすまをしめる 

こうしてぼくらは非公開の夫婦にもどり 

つまりいさかいの多い夫婦から
ただの 

現在をわかちあうふたつの月にもどり

おたがいの光をあびあったのだ


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