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経験する前と後。いつかしんどかった経験の「前」に戻るのではなくて、新しい自分になる

「〜前と〜後」と考えるようになる、大きな出来事ってあるだろう。

初めて意識したのは、東日本大震災の前と、後。当時は娘がまだ4歳だったこともあり、放射性物質が体に与える影響やら日々続く余震やら何やらの不安感が大きくて、前と後で生活が大きく変わったと感じた。「あー震災前はお気楽でこの社会に不安要素もなくて、幸せだったんだな」って思った。

今は、コロナ前と後。まだ後にはなっていないコロナ真っ只中だが、コロナ前とは生活が大きく変わっている。

そうしてたどっていくと、娘が生まれる前と後も大きかったな。

娘が生まれてからの1・2年は、自分はもう成長しない衰えていくだけの存在で、ただひたすら、弾けるようにみずみずしい小さな命を守る役割と感じていた。自分の時間は少しもないし、育児が終われば疲れて寝るだけ。

「もう自分は、これまでの自分ではなくなってしまったんだな」初めての感覚だった。

この頃はあまりママ友もできなくて、大人と話したいけど相手がいなくて、夫は仕事で夜遅くまで帰ってこないし、すごい焦燥感を抱えていた。「幼稚園に入るまで、あと2年以上あるのかー・・・」なんて思いながら空を眺めていた。

朝起きて、家事が一段落したら娘を公園に連れて行って、ゆっくりゆっくりな1才児のペースに合わせて砂遊びをして。毎日お風呂に入れて、自分ひとりで入れることなんてなくて。

この頃、兄が実家で「(小学生の)子供を風呂に入れなくちゃだからもう帰るよー」みたいなことを何気なく言ったとき、「10年もお風呂に入れる生活が続くのかー」と、やはりその果てしない、気の遠くなるような時間の長さに途方に暮れたものだ。

そう、私は途方に暮れていた。

幼稚園に入るまでの長さ、お風呂に入れてあげなくちゃいけない時間の長さ。寝かしつけをする長さ。動物は数ヶ月で巣立つのになんで人間はこんなに時間がかかるの?

「私は私じゃなくなったんだなー。子供が生まれる前の自分にはもう戻れないんだなー」

そんな虚無感が薄れていったきっかけは、引っ越しだった。夫の転職で県をまたいだ引っ越しをした。そこでは、街全体が自分たちを受け入れてくれているような感じがして、トントン拍子に出会いもつながり、幼稚園入園前には結構多くのママ友ができた。娘も仲良しの友だちができて、公園通いも楽しくなった。

このあたりから、自分が自分に戻ってきたと言おうか、わかりやすく言えば明るくなった。

そして時は過ぎ、娘が幼稚園に入り小学校に入り、私は外に働きに行くようになりー。

私は私に戻っていった。


でも本当は、戻ったわけではないんだ。妻であり母であり、中年になった私になったんだ。


娘が生まれる前と後。

震災前と後。

コロナ前と後。

しんどい時を過ぎると元に戻れる、というわけではなくて、新しい自分になる。


私はコロナでいくつかのことを失った。失ったというより、放り投げた。

今はまだ、苦しみの渦の中にいる。そんな今を、いつ、どんなふうに振り返るだろうか。

「いつかまた元気な自分に戻れる。でもそれは今までと同じ自分じゃない。新しい自分」徳島県の平等寺のご住職が言った言葉がいつも心にある。

元に戻ることはできない。

そもそも、経験する前と後では知識が違う。理解した感覚が違う。

だから今も信じている。今を過ごした後に、新しい自分になっていることを。


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