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迷いについて

小林秀雄の「私の人生観」を読んでいる。深い知識、頑強な論理、文学的跳躍の美しさに惚れ惚れする。

まだ冒頭部分を読んだだけだけれど、釈迦の話が出てくる。空(くう)とは何か。僕にはまだ全然わからないけれど、次の一節が心に残った。


ある男が釈迦に向かって、宇宙について、生命について抽象的な議論を投げかけた。

釈迦は言う。

「あなたは毒矢に当たっている。あなたが聞こうとしているのは、毒矢の何たるかだ。私が毒矢について、あれこれ語ったところであなたの悩みや苦しみは取り除かれない。私はただ毒矢の抜き方を教えるだけだ。」


かなりうろ覚えなので、正確ではないけれど、大体こんな感じ。曲がりなりにも社会に出て10数年。この言葉は、なんとなく腑に落ちるところがある。

仕事をしていて、特に権限が与えられると、人は迷う。一旦迷い出すと、必要なことも手につかなくなって余計迷う。迷いが極まると、抽象的な問いに行きあたる。

俺はこのままでいいのか。
この仕事に意味はあるのか。
本当の人生とは?

そういった類の問いだ。これはなんとなく、先程の男の、毒矢に当たった状態に似ている。

今、まさに、毒矢に当たっている当人には、毒矢を抜こうとしている他人の言動が、自分を攻撃しているように感じることもある。

また、毒矢を抜こうとしている方も、はっきりとそうとは気づかずにもがいていたりもする。

「私は今あなたの毒矢を抜こうとしている」なんて言うと、とても偉そうだから言えないけど、相手が何の毒にやられているのか、逆に、自分は今どんな毒に当たっているのか、見定めようとする目を持つと、物の見え方が変わってくるんじゃないかなと思った。

ひょっとしたらその毒の痛みは、薬の苦さだったりもするのかもしれない。筋肉を再構成しようとする痛みなのかもしれない。

久しぶりにすっきりした青空。昨夜は家族で楽しみな計画も立てた。眠たい日々がもう少し続くけれど、気をつけながら楽しみたい。

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