見出し画像

【短編小説】知性が芽生えたインコの話(前編)

俺が「トリ」であり、「セキセイインコ」という品種で、「ぴい助」という名があることに気づいた時には、7年と5か月が経過していた。

何が起きたのかは知らないが、俺の知性はこの一週間で急激に成長し、自我が芽生え、俺の回りで何が起きているのかを理解し始めた。しかし、自分が鳥であることに気づいた後も、俺はやはり一羽の鳥だった。

この家へ来てから7年と4か月3週間の間、俺は腹が減ってはエサをついばみ、暗くなっては静かに目を閉じてうずくまり、飼い主の真似をしてはピーピーと鳴く、そんな生活を永遠に繰り返していた。何も考える必要のない、どこの家の鳥もやっている、最高のトリ生だった。南国のジャングルのように外敵はいないし、毎日飯は食えるし、生きるためだけにエネルギーを使っていればよかった。

1日の23時間を過ごす「ケージ」が俺の「家」で、1時間だけ開放してもらえる15平方メートルの室内が俺の「世界」。本当は、ニンゲンの世界は実際それだけじゃないらしい。「世界」の外には俺にとっての未知な世界である「宇宙」が広がっていて、宇宙と世界を行き来して、俺の飼い主が生活をしている。

俺の知識のみなもとは、ここ最近酷く忙しそうにしている飼い主がつけっぱなしにしている「テレビ」だ。テレビの中では、ニンゲンがしゃべったり、集まったり、笑ったり、「絵」が動いたりしている。そこで、ニンゲンの「世界」(=俺にとっての「宇宙」)のことや、ニンゲン模様や、「アニメ」や、色々と知識が転がっているのだ。夜、飼い主が帰宅して、俺の家の扉を開け、どかっとソファに座り、忙しそうに飯をかき込んでいるときなんかは、俺が「リモコン」で、見たい番組が流れている「1」をぽちっと押すのだ。そうすると、飼い主は、「あれっ」などと言って、テレビをちらりと見やると、めんどくさそうにあくびをして、そのままにしておくのだ。だから俺は、毎晩そうやって、いわゆる「教養」が身につくといわれる「ニュース番組」で、知識を入れ込んでいった。

俺が自分の境遇を悟った時、精神的逡巡に長いこととらわれた。今まで「食う」「飲む」「寝る」「毛繕い」「鳴く」の5つの組み合わせを"5の階乗=30通り"繰り返していただけだった俺のトリ生において、知性を手にしてからは、選択肢が何千倍にも増えたことは確かだ。そのことに気づいた瞬間、脳内でばあんと何かが弾けたように、一瞬の"euphoria"が俺の脳内を駆け巡り、俺はぶわっと体中の羽を膨らませた。

だが、その喜びは長くは続かなかった。

俺には、「自由」がなかったのだ。俺のようにニンゲンに飼われる動物たちは、何もしなくてよい代わりに何もできないという、「自由」が剝奪されていることに気づいてしまった。その時は、まるまる3日間、絶望した。だが絶望をしようとなんだろうと、俺はしょせん、鳥なのだ。叫んだり飼い主をいじめたところで何だ、俺が頭がおかしくなったのだと思って、せいぜい病院に連れていくのがオチだろう。俺は飼い主に借りっぱなしの恩があるから、彼を傷つけることはしたくない。俺の世界から脱出したところで、飼い主は悲しむし、俺も世界の外では1日ともたないだろう。

俺は字が読めないし、言葉がしゃべれない。飼い主みたいに、「スマートフォン」を使って、俺の脳内のメランコリックなつぶやきを、世界に、いや宇宙に、「発信」することはできない。助けを求めることもできない。俺は俺のいる世界からは、一歩も出ることはできない。

だから俺は、何もしないことを決めた。それが一番賢い選択だと思ったからだ。ニンゲンの世界には、「人事を尽くして天命を待つ」という表現があると、テレビの、「1」の番組が教えてくれた。だから俺もそうすることに決めたのだ。7年4か月3週間、俺は十分幸せにトリ生を謳歌した。今更知性を手にしたところで、何も変わらない。

だって俺は、しょせん「ペット」なんだから。

きっと、ペットはペットらしく生きるのがいいのだ。           俺の飼い主だって、俺の突然の不可解な行動を望まないだろう。

だが、俺は最近、自分の体に異変が起きていることに気づいていた。

最近、見事に食欲が落ちているのだ。体が重くて、動くのもやっとだ。

人や動物には、寿命というものがあるらしい。寿命が尽きれば、生き物は死ぬ。いずれは俺も死にゆくということだ。セキセイインコの平均寿命は8年だという。ニンゲンの平均寿命が80年。だとすると、俺たちは単純にニンゲンの10倍速い速度で年をとっていくことになる。人間にとっての3日間は、俺たちにとっての30日だ。ニンゲンにしてみたら、1か月もあれば、人生の一つや二つ、変わってしまいそうだが、知性の無い俺らはその30日間を、ただただ食べて寝て過ごし、気づいた時には、もうこの世にはいない。

だから俺の寿命がつきる直前に、ニンゲンと同じ知能を手に入れたとしても、その30日間を、有意義に過ごすことができない。

だとしたら、俺にいきなり知性が芽生えた理由はなんだったのだろう。俺にしきりに話しかけてくる外の世界の鳥たちには、死ぬ直前に知性が芽生える様子は見受けられない。いったい、なぜ寿命が限りなく近い俺に、知性が与えられたのだろうか?まったくもって、理解に苦しむ。一生、トリ生を送らなければならない俺の境遇を嘲笑うように、時間は流れ続ける。俺に一体何ができる?すべてを悟り、ケージの中で生きていくことを決めた俺が、これ以上何を望むというのだ。

ただ一つ確かなのは、鳥は鳥でも、俺は「ペット」だ、ということだけだ。

俺は再び精神的逡巡を繰り返す。なぜ俺にこの時間が与えられたのだろうか。こうしている間にも、刻一刻と時間は流れていく。

その時、ガチャ、と扉が開く音がして、飼い主が今日も帰宅した。

飼い主は黙って、ソファに座る。なぜか、飼い主は泣いていた。

俺は今まで、飼い主が泣いているのを見たことがなかった。いつもなら、帰ってきて、すぐに俺のケージの扉を開ける。それから、カップラーメンを調理するのに、今日は飯も食わず、ジャケットと靴下を脱ぎ棄て、がっくりと肩を落として、ソファに座り込んでいる。

 俺の飼い主は、アキラという名前の男性だ。俺がこの家にやってきたとき、俺の飼い主は、まだ大学生だった。彼の母親が、「一人暮らしの記念に」と、俺を、俺の昔の家から、俺と同じ運命をたどることとなる同士たちのもとから選び取って、この家へ連れてきたのだ。正直、昔のことはよく覚えていないけれど、飼い主は、いつも俺に優しかったし、いつも俺とよく遊んでくれた。俺に「おはよう」とか、「なあ、これどう思う?」とか、その時は何を言っているのかわからなかったけど、俺と交流をしてくれようとしていた。

 大学に入ってしばらく経って、たまに、宇宙からやってくる他のニンゲンたちと、お酒を飲んだり、ゲームをしたり、楽しそうにやっていた。飼い主が「社会人」になった時から、俺は人間の世界に行くことは少し減ったけど、それでも、一生懸命、毎日頑張っていたのを、俺はずっと見ていた。

俺に優しい飼い主が、悲しそうなのは、嫌だった。

今まで、いつも元気でちょっとお調子者でそれでもなんだか幸せそうだった俺の飼い主のことを、知性が芽生える前の俺は、俺がそこにいるからこんなに幸せなのだとか、そんな風に思っていたと思う。だけど、俺がいたって、こんなに悲しそうじゃないか。

ごめんな、飼い主。俺は「ペット」だから何もできないんだ。

だいたい、ペット、って、なんだよ。ただの囚われの身なのか?ずっと飼い主と一緒で、自由なんてどこにもなくて・・。

うんざりするほどずっと一緒で…。何があってもずっとここにいるしかなくて。

待てよ…。俺、ペットだから、ずっと飼い主と一緒にいるのか?

飼い主と、こんなに近く、誰よりも長い時間を過ごしているのは、俺たちペットなんじゃないのか?

そうか…。きっとそうだ。俺は、ペットだから、この飼い主の側にいられたんだ。だったら、ペットにしか、できないことが、あるかもしれない。

俺は、一羽の鳥だったとしても、言葉は話せなかったとしても、飼い主が話してくれれば、理解ができる。何かを言ってくれれば、飼い主が何を考えてるのか、わかるのだ。だから、何かを言ってほしかった。

だけど、飼い主は、口をつぐんで、首を垂れて、じっと、ソファに座っている。今日は俺に、何も話してくれない。どうしたら、話してくれる?何か、言ってくれる?考えろ、俺には言葉も自由もないが、知性を手に入れたじゃないか。きっと、今がそれを生かす時だ。

そうだ。飼い主は、俺が止まり木を、「コンコン」って、つついたら、いつも笑って、何か俺に話しかけてくれる。今日だって、きっと。

コンコンコンコンコンコン。

顔を見上げる。飼い主は、それでもずっと下を向いて、すすり泣いている。

構うもんか。きっと飼い主は笑って、俺に話しかけてくれる。

コンコンコンコンコンコンコンコン。

その時、飼い主が俺を見た。だけど、飼い主は力なく笑って、こういった。

「きみは、いつもそうやって俺の注意をひこうとして、励まそうとしてくれるんだね。だけど、ごめんね。俺、もうダメなんだ。今まで十分生きたと思う。俺はこの世界で生きていくには、あってないんだ。誰も俺がいなくなったって困らない。俺は、今日ひっそりとこの生涯を終えるよ。」

俺の飼い主は、悲しそうな、あきらめたような顔をしていた。

飼い主は、この世からいなくなろうとしていた。

飼い主のように、俺のことをこんなに可愛がってくれるいい奴が、合わない世界って、その世界はそんなに残酷なのだろうか。俺は、飼い主にいなくなってほしくなかった。俺みたいに、飼い主がいて有り難いと思うニンゲンは、必ずたくさんいる。

俺は、まもなく寿命が尽きる。残された時間は、もうあまりない。

ペットとして、俺は何か最後にこの飼い主にしてやれないか?


俺は、俺の残された時間を、どう俺の飼い主に与えてやれるだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?