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人生への渇望は、希望か。社会人二年目の私が思うこと。

2021年M1王者の錦鯉、正則さんを見ていたり、大器晩成型の歌手と言われた斎藤和義さんについて思い起こしてみると、はっきりと、人生は「自分が到達したい、感じたい達成感」をいかに感じて人生を面白くしていくなのかだな、とつくづく思う。

となると、「会社勤めの社会人」である自分は一日の60%を「会社のために働く時間」に持っていかれ、疲れ切った頭で「自分のために費やす時間」がないことは、果たして人生を面白くできているのか?という疑問が生じる。

こんなことをいっては、自営業の方や経営層に何をいっているんだ、と言われてしまうかもしれない。周りにも会社で働くのが大好きだ、という同僚が何人もいる。

例えば、すい星のごとく現れた昨年中途入社のうちの会社の31歳のスーパースターは、今は仕事が楽しくてしかたがない、のだという。自分が自由に会社でプロジェクトを立ち上げ、売り上げに貢献する。インフルエンスを与える。それができている彼は、今百戦錬磨のエリートで乗りに乗っている。

いや、そりゃそうか。努力して事業を上手くいかせる、って楽しいに決まってるよな。

だが、仮にだ。仮に入社二年目の私がそれだけ会社に貢献できたとしよう。周りにも賞賛され、その分給料も増える。それは、確かに嬉しいに違いない。だが、やっぱりそれはあくまでも「世界に影響を与える会社」への貢献なのであって、視点が会社である。会社の中で何をやっていくか?にとどまってしまう。

私が勤める会社は超大手の外資企業である。毎年新卒が一人も雇われない年もあるほどの難関企業で、むろん第一志望の企業だった。

しかし、入社して数か月と立たないうちに、会社への憧れはすぼんでいった。

あ、働くってこういうことなんだな。

こんなに疲れるのか。バイトやインターンシップとは次元が違うんだな。

そしてこれはすべて会社のためにやっているんだな。

そう思うようになった。こう書くとまるでアイデンティティ・クライシスが少し遅めに到達したようだが、働けば働くほど、やはり「自分の人生は自分の力で作っていきたい」という気持ちが生じてくるのだ。

企業で働く意味を考える。お金を稼ぐため。自己実現のため。就活の流れで。問答無用の社会人生活。企業はステークホルダーの力を借りて、多かれ少なかれ社会に貢献する。その一部であるということは、私も会社を通じて社会に貢献していることになる。全く悪くない。むしろ望ましい。

だが、やはり人生100年といわれるこの時代において、会社を主体に生きていけない。自分を主体にして、自分から生み出す何かが周りに影響を与える存在にならなければならない。周りへの影響の与え方は、恋愛や家族だったり、コンテンツの作成だったり、事業を起こしたり、慈善活動をしたりと形は様々だ。だが、それらはすべて会社という枠組みからは抜け出して、自分の選択が大きく人生に影響を与える要素の一つ一つだ。自分がやりたい、と選択した選択の帰結だ。

だから今年25歳になる私はこう誓う。

生きているうちに、やりたいことにできるだけ挑戦していこう。

意味とかじゃなくて、自分がやりたいからやるのだ。

こう思うに至ったのには、二年間の苦い就活経験、3回の第失恋、そして最近ではインフルエンサーの言葉に影響されたところがある。今もYouTubeでコンテンツを発信している「ひろゆき」の発言を聞くのだが、その中で「頭が良くて成功している実業家の例をあげ、「人生に大きな意味はない」「人生は最大の暇つぶし」という」と説明している会があって、目から鱗だった。

やはり、煮詰まるところ、人生は自分がどう楽しくできたか、なのだ。

だから、マジで肩書とか所属とか関係がない。自分が楽しいか。自分がやりたいと思えることに取り組めているか。自分を責めたりしていないか。それがすべて、な気がしている。

25歳の分際でこんなことを言うのは本当に生意気でおこがましいかもしれないが、やはり失敗や経験、そして何よりも心を強く動かされた体験から学ぶものは多かった。これからも周りの方々、私をここまで育ててくれた両親や家族、友人に感謝の気持ちを忘れず、試行錯誤をくりかえし、自分でやりたいことを見つけていこう、そう強く思う今日この頃である。


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