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京都大学11月祭 「パレスチナ写真展」に向けて

私が選ぶ1枚

担当:しんとぅー

小学校時代の、少年の日のことを思い出してみます。朝起きて、子供向けのテレビ番組を見る。そうしているうちに朝食が準備されて、食べたら歯磨き、そのまま学校へ向かう。登校中に仲のいい子に出会えると嬉しくて、おしゃべりしながら歩く。途中で地元のおじいちゃんが子供の登下校を見守ってくれているのに出くわすと、大声で挨拶をする。学校は楽しいのか退屈なのか分からなかったけど、昼休みと図工の時間は大好きだった。学校が終わると、児童クラブに行って、宿題を全速力で終わらせて、友達と遊ぶ。疲れた頃にお母さんが迎えに来て、暖かい家に帰って、晩御飯。食べ終わったらダラダラとテレビを見て、就寝。また朝を迎える。
写真の中の子供たちも、見たところ小学生くらいだろう。車のおもちゃで楽しそうに遊んでいるが、地面はガタガタで、後ろに写っている家(難民キャンプだろうか)は、ほとんどテントのような見た目をしている。この写真から人物だけを切り取ったなら、そのままの姿で大きな公園で遊んでいても不思議じゃないような気すらする。しかし、彼らが生活しているのは頑丈で暖かい家の中でもなく、よく整備された綺麗な路上でもなく、朝から夕方までいっぱい勉強ができる学校でもなく、こういう世界だ。子供たちにはもともと綺麗な家があったんだろうか。それとも生まれた時からここで育ったんだろうか。
私たちはどう受け止めればいいのだろう。私にはよく分からない。私が少年の日を過ごしたあの世界と、彼らが少年の日を過ごしている写真の中の世界は、本当に同じものなんだろうかと、疑ってしまいたくなる。でも、同じ世界だ。私がこうして大学生として生活している間にも、パレスチナの人々は厳しい現実と対峙している。それを忘れてはいけないし、知っておかなければいけないと思う。

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