本棚は段ボール Vol.2 『包帯クラブ』/天童荒太
やっぱり、自分の感じたことを、誰かに分かってもらいたい。分かってもらえなくてもいい。知ってもらいたい。
それは、ひとりでは生きていけない、他者とのかかわり合いのなかで生きているわたしたちの、当然の願望なのではないだろうか。
だって、ひとりはさみしいから。ひとりは怖いから。
本の感想を書くのは、そんな願望を満たすのに、ちょうどいいと思ったので、「本棚は段ボール」という連載で、連載にしたら続けられるかなという気持ちで、はじめてみることにしました。
この連載の名前の由来は、私のすむおうちです。狭い狭い部屋ですが、こだわりが詰まっており、大きな大きな壁一面の本棚がほしいという夢もあります。でも、いま現状それはこの部屋ではむりだし、これだ!というもので、私の部屋にでも置けるものを見つけられないので、住みはじめたときからずっと本は段ボールに積み重ねられています。なんだか、段ボール本棚(実際には棚ですらないけれど、、、)に愛着がわいてきてしまってすらいる、今日この頃。
いつかこの連載が、本棚は壁4面!とかになったら素敵ですね。
Vol.1は、つい衝動で、計画と違う書き出しになってしまったのでVol.2で連載の説明をしてみることにしました。
そしたら、読んでいる本も、ちょうど、誰かに知ってもらいたいよね、というような内容で、なんだか運命も感じます。
天童荒太さんの、『包帯クラブ』を本当に久しぶりに読んでみようと思ったのは、『傷を愛せるか』という本に紹介されていたからで、さらに『傷を愛せるか』という本を買ったのは、天童荒太さんが解説をしていたからなのです。なんか変ですね。
傷を傷と認め、誰かに知ってもらうということ。それだけで、どれだけ救われるのか、どれだけ安心することか。
傷に限らず、わたしのことを、わたしがここにいるということ、今、なにを考えているのか、なにを感じたか。それをだれかが知っていてくれるというだけで、孤独からどれほど救われるだろうか。
私が、強がって人前では必死に隠してきたことを、「知っているよ」と言われたとき、本当に他の人からしたらなんでもないような、小さなことだったのだけれど、涙が出てきてしまい、恥ずかしくて、「花粉かな、目がかゆい」といいながら目をこするふりをして涙をぬぐった。
うん。わたしには、わたしだけの。だれかには、だれかだけの傷や経験がある。例え似ていても、わたしのそれと、みんなのそれは違う。
就職活動のとき、自分を表すエピソードを話してくださいといわれ、これだ、と思った話をした。けれど、言われたことばは、「ありきたりだね。」だった。私にとって、宝物の、大切な大切な記憶を話したのに。どこにでもある、つまらないことだといわれて、涙をこらえるのに必死だった。
だれかの傷を、たったひとつのものとして、大事に、大事に手当てしたい。
人に知ってもらうことで楽になることと、人に話せない傷がある。それは、自分が人を傷つけてしまった傷かもしれないし、話せないほど大きな傷かもしれない。だれしも、そんな秘密の傷を持っているとおもう。ひとりで、必死に、ただただ耐えて、ふんばって、ひどくなったりもしながら、乗り越えてきた痛みだ。
そのつよさを持てた人々は、きっと。
なんで、みんなこんなに普通にしているのだろう。なんで、こんなに空は晴れているのだろう。なぜこんなにも世界はいつも通りで、時間がなにもなかったみたいに流れていくのだろう。
本当にそんなことが苦しくなって、虚しくなるときがある。
みんなにとっては、何でもなかったのだから、皆が何もなかったかのように生活しているのは当たり前なのだ。それを分かっていても、なんでこんな平気な顔をして、過ごすことができるのか、と思うときもある。
知らないというだけで、罪となることがある。知らないというだけで、誰かを傷つけることがある。
自分にとって、当たり前のことに、気付くのは難しい。けれど、静かに、世界を隅々まで観察して、耳を澄ませて、気付こう、気付こうと思って生きていけば、少しは気付くことができる。
たいせつなものに気付き、大切にしていくことは、自分が生きていく上での絶望を軽減してくれる。
自分の傷も、人の傷も。ただ、ちゃんとそこにあることを知っていたい。
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