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自己紹介とnoteの目的

はじめまして白椿と申します。

ページを開いていただきありがとうございます。

1986年生まれの33歳。

神奈川県に住むワイン会社に勤めて10年目となる女性です。

自分の強みを生かし、成長し続けていく為のアウトプットツールとしてnoteを活用させていただく事にさせていただきました。

今まで私が生きてきた経験の中で感じたことを自分の目線で色々と深堀りし、記事としてあげていきたいと思います。

先ずは私を知っていただくために、自己紹介として生い立ちを。

【私を作った今日までの話】

0歳:1986年秋。神奈川県の海も山もある都心から1時間程の高齢化率大上昇中の街に生まれる。

10歳:仕事大好き共働きの両親のため、夕方以降は家で一人でいることが多く漫画とテレビばかり見ていた。毎月のりぼんとなかよし、毎週のジャンプを楽しみに習い事のピアノや剣道を常にどうサボるのかを毎日考えていた。多分母親の愛情にとても飢えていた。

15歳:高校受験の恐怖から現実逃避目的で漫画に走り、受験勉強期間中に兄貴の部屋にあった「あだち充」や「浦沢直樹」、当時花とゆめにはまっていた影響で「高屋奈月」のフルーツバスケット「津田正美」の彼氏彼女の事情、などを読み漁る。結果、第一志望校不合格。第二志望の高校になんとか進学(公立校)。

18歳:小学校から高校までの将来の夢は「昼は保育士、夜は漫画家」の好きな事だけして生きていきたい願望であった。その夢に向かって中学生時代から毎回長期休みを利用して自主的に保育園にボランティア活動させてもらうが、高校3年を迎え保育士の仕事に好奇心の限界を感じ、家族を守るための知識を欲するようになる。結果、栄養学・食文化・教育を学ぶことにフォーカスを充てた進路に進むこととする。漫画は2回応募するも3回目の作成中に断念。いやもう漫画書くのって本当に大変。

22歳:大学卒業後はアメリカ留学を決意し、就活は一切せずに大学4年の冬を迎える。諸事情により留学は諦めることなり、何をしていいかわからずに引き籠る大学4年の秋から冬。落ちるところまで落ちれば後は上がるだけだと思い、ひたすら落ち続けたが、底辺は自分でしか決められない事に3月の終わりにやっと気づく。留年しかけるも何とか単位を頂き、栄養士と中・高家庭科教員免許を手に入れて、就職先も決まらぬまま大学卒業。(4年制私学)

23歳:大学卒業後、食に携われる会社で正社員登用してくれればどこでもいい。という気持ちで就活し、5月に内定。店舗拡大中の洋菓子店を運営するブラック企業に就職。1か月で一人前、3か月で店長、8か月で新店舗開発、10か月で3店舗統括店長兼エリアマネージャーとなる。常に人が辞めていき、社長には常にカメラで監視される圧の中、同世代では得られない経験を得る。

24歳:思い出深い会社を1年半で退社。劇的な職務経歴書を携えて、半年間の期限を設けて転職活動をする。期限ぎりぎりで目標であったワイン商社に内定をもらう。内定通知後に東日本大震災発生。不安感満載の中なんとか2011年4月入社。

26歳:交際半年で結婚。高校時代からの目標は30歳になるまでに子供(2人)を産みきることであった。子供を産むためには結婚するしかないという意識の中、結婚生活に特段期待も希望もなく、だた真面目で優しく、ちゃんと働く人を条件に相手を探し、タイミングと共に結婚を決めた。

27歳:第一子女児出産。子供を産み育て、孫を両親に見せることが30歳までの使命かのように生きてきた私にとって、最高のご褒美であった。

28歳:夫(元)が国家資格取得を目指し勉強の為に会社を退職子供を生後5か月で保育園に預け仕事復帰し、1歳を機にフルタイムに復帰。この年にソムリエ試験受験し合格。

31歳:結婚生活5年にて離婚。勉強もせず、就職するつもりもない夫(元)と共に一生を過ごすことはできないと結論を出し、親権は主夫であった元夫に譲りキャリアのための新生活をスタート。離婚後、即管理職として昇進

32歳:元夫と子供との面会交流調停を行う。離婚後も共に子供を育てていく予定が、夫から面会を拒否されるようになったため、弁護士を依頼し親権者変更調停を希望するも、弁護士に勝ち目はないとされ、面会交流調停を実施する事とする。なぜ親権を譲ってしまったのか激しく後悔(※理由の詳細は後日配信予定)。

33歳:7か月にわたる面会交流調停終了。調停期間中、適応障害発症。子供に会えない辛さを紛らわすように仕事に没頭した結果、いつしか心身ともに病み、休職を余儀なくされる5か月間の休職と自宅療養期間が自分に大きな転機を与える。(※鬱と適応障害の違いと診断についてはまた後日)

33歳春:コロナの影響で仕事復帰2か月でまさかの外出自粛。改めて新たなチャンスを得たと感じ、自己の強みを強化する目的としてSNSの配信をスタートする。(今ここ)


【note開始のきっかけとなったワード3選】

①ストレングスファインダー

②キングコング西野亮廣さんのオンラインサロン

ワーママはるさん

ストレングスファインダーにより、私の強い資質の一つである「内省」を生かすためのツールとして文章でアウトプットするという一つの結論を導き出しました。まずは1年を目標として、自分のためにも続けていきたいと思います。

ご興味関心頂けた方はぜひ励みになりますのでフォローをお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。


白椿

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