いざ鎌倉殿の13人〜島津と毛利〜
頼朝の墓がある法華堂跡の敷地内に、島津忠久と毛利季光の墓が並んでいるのを発見
それぞれ薩摩、長州の祖ともいうべき人物
並んでいるとはいえ敷居があり、お互いの墓に行くためには長くて急な階段を登り下りしないと行けない構造になっていた
さらに季光の墓隣にある父、大江広元の墓
広元は武士というより役人肌だったみたいで、鎌倉幕府での初代・政務長官のようなポストにいたとかいないとか
守護・地頭を設置したのもこの御仁であるらしい
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