見出し画像

江戸藩邸を辿る〜おわりに〜

以下、8大名の上屋敷跡地
南側は外様、北側は親族・旗本で分けてる感がみえます
前田はともかく、島津だけ離れているのが幕府側目線だとなんか恐ろしい

❶上杉藩/米沢
❷酒井藩/鶴岡
❸黒田藩/福岡
❹毛利藩/萩
❺前田藩/加賀
❻島津藩/薩摩
❼伊達藩/仙台
❽山内藩/土佐

画像1

感じたこと-其ノ壱-

各地方の有力大名たちの形跡をみると、戦国時代の大名が『功名』を目指したことに対して、
江戸時代の大名が心血注いだことは『意地と維持』だったのでは

そう思うと、室町時代末期の足利将軍家をはじめ、当時の有力大名たちの姿もそう見えてくる

画像2

感じたこと-其ノ弐-

『意地と維持』といえば、
前田家は特に"維持"がたいへんな大名家の1つだったと、広大な江戸屋敷跡地を目にしてそう感じた
さらには宇喜多家を代々に渡って支援し続けたのは、"意地"もあったはず

浅野家の赤穂浪士討ち入りは"維持"を無視した"意地"、だからこそ注目されるのかも

画像3

感じたこと-其ノ参-

今回の体験を経て、直感的に強い印象を受けたのは、前田家は江戸幕府から相当マークされていたこと

にも関わらず明治維新まで100万石を外様大名ながら維持できたのは、取り潰しにかかってもうまく退けたのか、あるいは共存を計ったのか

この辺りの謎は今後も調べていきたい

画像4

感じたこと-其ノ肆-

今回、紹介した8大名家が、なぜ明治維新まで生き残れたのかのポイントとして、"制海権"があったことは、見逃せないところ

ただし、唯一、米沢の上杉家のみ内陸の孤島
その点では、やはり上杉鷹山(藩主)の采配がどれだけ優れていたのかも今回、改めて気づかされた

画像5

感じたこと-其ノ伍-

一番印象が薄かったのは黒田家

お家騒動もあったものの、江戸屋敷を巡ったことでの感想は波乱を感じるものが全然なかった

ある意味、明治維新まで安定の礎を築いた如水、長政親子も、また優れた大名だと改めて気付かされた

画像6

江戸藩邸を辿る〜編集後記〜

3ヶ月に渡り紹介してきましたが、このシリーズは今回でいったん終了します

休日約8kmの探検は楽しい時間で思わぬ発見もあり、次の休日にまた行きたくなる、その繰り返しでした

機会があれば再挑戦します

様々な情報を教えてくれた皆様、この場を借りてお礼申し上げます

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?