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FREESTYLUS 大阪編 220311

グーグルマップの声に導かれて、見覚えのない夜の街を進む。先行き不透明なこの旅路には少し心許ない声ではあるが、着実に目的地に近づいているはず。声の主は、野口美穂さん、アナウンサーの方のそれらしい。そんなことより、ウィンカーの音とステレオのビートがリンクしたときの現象を誰か名付けてほしい。

先週よりも暖かく感じる、夜の上新庄サイファー。淀川と神崎川に挟まれた土地の真ん中に位置する公園、その片隅にて、ひっそりと会合は行われる。気を抜けば、天と地がひっくり返りそうになる程、強烈な磁場。命綱であるビートを必死に追いかける。その中で見た景色、音、喉の渇き、眼光、すべてがクリアに感じられるのはどうして? 澄んだ空気とは言い難い大都市のベッドタウンではあるが、そのすべてを肯定するような、純度の高い対話で生きる。

思考は何処からやってきて、何処で言葉になりうるのか。レコードでいえば、針を落とした瞬間に音は紡がれるが、針を落とす前の、所作、それ以前に、レコードを選び取る指先からも、音は歩き出している。砂の路上にひっつく足跡、すっぽんぽんの声と音。声が先に空気を揺らして、思考は後から追いついてくるのか!? その根源的な声こそが、わたしの欲した声なのだろうか?

今も昔、人間の先祖は樹の上での生活を捨て、自分たちより遥かに凶暴な動物と戦うための武器として、声を使った。集団で叫ぶことで自分たちを大きく見せる、そこに旋律が加わり、やがて「うた」が生まれる。うたの起源はモノフォニーではなくポリフォニーという説を、民族音楽学者のジョーゼフ・ジョルダーニアは唱える。それを裏付ける証拠として、ポリフォニーで歌う民族音楽が、年々絶滅していることを挙げている。今の時代の社会でも、SNSなどの個人の声が大きくなって、集団を支配したり、転倒させようとする動きが多々見られる。一つ一つの声は大きくないってことを、そろそろ弁えた方がいいのかもしれない。その上で、何を語れるのか、どう語っていけるのか。

マイクを通さない小さな声たちを腹の底に留めながら、灰色の街を後にする。


参考文献
ジョーゼフ・ジョルダーニア/人間はなぜ歌うのか? 人類の進化における「うた」の起源

BGM
Lucky Dragons/A Small Voice


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