自分の責任感(観)について

久しぶりの更新。なぜ久しぶりの更新になったか?→連ツイするくらいならnoteに書いた方が見やすいから。
色々ネタはありますが、まずは取るに足らない内容から。まずはたたき台。

自己紹介?
大学時代に戻りたいって会社員も多いだろうけど、自分は大学時代とにかくしんどかった側の人間です(部活やサークル活動は楽しかったけど)。
何でわざわざ高い金払ってこんな苦しい思いをしているのか不思議で、自分の生活を自分で色々決められる会社員の方が絶対に楽だと思っていた。
実際仕事をして6年目になったが、入社1ヶ月目から今までずっとその通りだったと感じる。

とにかく色々自分で決められないのがキツかった。自室が階段そばだったので、夜中必ずトイレに起きる親との生活も合わなかった。いびきも気になりまくった。慢性的な睡眠不足。
好奇心が刺激されない授業はすぐ眠る。昼休み明けの授業は、通しで起きていた日が中学から大学まででほとんどなかったと思う。(日中の耐えきれない眠気は、今でも解決していない。頻度は減ったけど…。仕事でも苦労している)
合わない人との生活はこうも苦しいものか、というのは、家を出てすぐに実感した。

最近指摘されて自覚したのが、究極的には人にあまり関心がないらしい。
人の話も自分に当てはめてしまう。自分ならどうする、自分の場合…と、自分の経験や想像を軸にして考えをめぐらせがち(それを押しつけてしまうこともあるし、違いを心得て適切に振る舞うこともある)。
それは昔からずっとというわけではなく、最近そういう傾向が強く出るようになったと推測する。恐らく合わない人との生活を長く経験した反動か、仕事のせい。

私の仕事は、とにかく経験値(経験知)がモノを言う。アホな考えでもどんどん口にして、どんどん動いて、どんどん輪に入って、とにかく「自分」を軸にしないといつまで経っても「出来る人」の代わりになれない。
黙っていたら出来る人がいくらでも面白い設計進めていくし、現場にいく段取りもするし、新人に出来るような簡単な仕事も当然やれちゃう。
自分が動かなくても誰かが必ず代わりにやる。仕事ってそういうもの(気づいたのはわりと最近)。自分から動かないとどんどん出来ることが減っていく。年数が経つごとに厳しい目で見られる。
私は責任感が強すぎるようで、少なくとも自分に出来る仕事は自分にやらせてもらいたい、そのレベルの仕事で出来る人の手を煩わせたくない、と思いながら過ごしてきた。
設計に正解なんて無いし、それ故後だしジャンケンおじさんに何をしようが批判される、なんてザラ(2年目の冬頃会社辞めたくなった時に悩んだ原因がこれ)。弁明の余地もないくらいひどい造りにしてしまって、後で金かけて改造なんてのもよくある。
まとまらないが、とにかく言いたいのは、自分で動いて体験(成功失敗両方)しないと身に付かないということ。リーダーではないもののリーダーのつもりで動かないと主体性、あるいは仕事そのものが身に付かない恐れがある。

そんな思考が癖になったせいか、自分が一切存在していない、あるいは興味の沸かない世界の話を長時間聞いたり、見たりすることが難しくなった。とはいえ共感の感度は恐らく高いほうで、頼られたがり、責任感が強い、人と交流したがる性格もあり、「興味の沸く」の範囲はかなり広いほうだとも思う。

責任感が強いことで思い付く短所が2つ。同じ立場の他人にも同等レベルの責任感を求めること。批判されたときにそれ相応の(論理的な)理由を求めてしまうこと。
この辺りの短所は、経験(不満を持った経験)と想像力(人は自分と違う)と優しさ(人間誰しも完璧ではない)でカバーして(ごまかして)いるような気がする。実際誤魔化せているかどうかは判断しようがなく、これ以上考えても仕方がないという結論に至る。

人の性格というのは複雑で、どんな一面も持っているが、環境によってある面が強く出たり出なかったりするものだと思っている。
この先価値観が固定されていくのかいかないのか楽しみではある。
また、今不満を持っている人に対しても、その人自身の環境の変化によって性格や振る舞いが変わるなんてことはあり得るので、その場の感情で縁を切ってしまうようなことは極力避けたい。寂しいものね。

長くなりましたが以上として、次は趣味についての記事を予定。


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