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大人になって読まなくなってた小説、また好きになりそう

ずっとミステリーとかそういう、展開がある小説が好きだった。叙述トリック系なんて特に。あるとき展開がない小説、ジャンルわからないけど、日常系というのか、何も起きないやつ。読み切るのが最初大変で、自分には面白さがいまいちよくわからなかった。

それでもたまに読んでいた、面白さと言うか、たまには読むか…くらいの感じで。中学生の時カッコいいかなと思って手を出した村上春樹「ノルウェイの森」。

村上春樹「ノルウェイの森」

中2男子は思ったよ、村上春樹、ノルウェイの森読んでるぜと。読んじゃってるぜと。あぁ恥ずかしいね。でも今思うとちゃんと成長してたのかも。

この頃まだ、読み始めたら最後まで必ず読みきらなきゃいけないと思ってたところある。読み切るのに当時の感覚ですごい時間かかった。そんで、思えばあれが人生で初めての露骨な性描写のある小説だった気がする。

関係ないけど当時図書室に「少年H」って本があって「少年エッチ…」と、がちですごい気になってたけど、少年エイチが正しい読み方だったし、バカだから普通に露骨なエッチなやつかと思って借りれはしなかった。
あと、まだ中学生くらいの時までは全然茶化す風潮あるじゃん、Hという単語に何故か敏感に反応してる時期。それも相まって余計ね。

話は戻して、そのノルウェイの森なんだけど、まあ当時の自分にはびっくりよ、もーとにかくセックス。登場人物とにかくセックス。浮気に不倫、たばこぷか〜、酒〜、身体重ね合わせ〜、いくら身体を重ねても心の穴は埋まらない〜死のう。
(最近読んでないので記憶が曖昧だけど、大体こんな感じの記憶、ノルウェイの森好きな人いたら、怒らないで下さい。)

タイトル、ノルウェイの森ぞ?、ムーミン谷のとかアルプスの少女とか、そういうの想像するやん。え、なにこれと。

あと、中学生にはその心理描写全く理解できんと正直思ってた。(うそ、ほんというと当時はわかる~とか思ってたかもしれん、かっこつけて心の中で、なんも分からんのに)

まあ、正直当時の自分には全く理解できない世界が広がっていたよね。今も別に理解できるとかではないけど、ファンタジーとかと同じで、フィクションと思ってたその世界観は、大人になると現実にみんなそれぞれ抱えてたり、経験してたりすることなんだなって実感してくる。

セックスがとかそういう端的な方ではなくて、心理描写の方。人間の感情は単調じゃないから、タイミングとか双方の機嫌とか、自暴自棄だったとか、もう色んなことの重なり合いで、起きたり起きなかったり、感情を抱いたり抱かなかったり、そういう心理描写や情景描写が日常系?の小説の良さだと気づくのは中学生の自分からしたら、もう少し先の話だけど。

そんなふうに、日常系?の中でも純文学?寄りの小説も読むようになったけど、割合的には一割くらい。何かの気分でたまに手を出すけど、大好き!とかではない、自分には読み進めるのがキツくなることが多いジャンルな気がするから、得意ではないジャンルなのかもしれない。

だから、本を選ぶ時の参考にする賞も、芥川賞には手を出さずに直木賞が自分には合ってると気づくのもちょうどこの頃だった気がする。
本屋大賞とこのミステリーがすごい!はなんかわからない。自分の好みの当たりハズレが広い賞だなという感じ、あまり選ぶ時の参考にはしなかったような気がする。

そんな中で、またミーハーで手に取る。山本周五郎賞、森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」。タイトルがまたほら、思春期心をくすぐるじゃん。

森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」

「夜は短し歩けよ乙女」を持って、公園出かけたくなるじゃん(出かけないけど)、ライトアップされた夜桜の下を歩きながら、ポシェットの中には忍ばせたいじゃん「夜は短し歩けよ乙女」を。

あと、やっぱもしその小説が自分に合ってたら当時の思春期僕は言いたかったわけよ。

「え?好きな小説?んー、森見登美彦さんの‘’夜は短し歩けよ乙女‘’かな?」って(キモっ)

まあ、そんな思惑もありながら、読んでみてこれまたびっくり。まーなんも意味がわからん。
ほんとに、まったく。

あの、批判じゃないよ。
ちゃんと最後まで読んだよ。俺にその感性がなかっただけ。もう文体が難しくて、最初に抱いた感想は「現代語で読める古典」みたいなイメージ。
なんかあの恋をしてるのよ、京都だったかでふわふわとクラゲみたいな感情で、それを見たことない表現と感性で文字に起こしましたみたいな本。

当時感想調べたらかなり高評価だったんで、己の感性が死んでるか、ハマる人にはハマる、チョコミントみたいなもんかなと思ってた。

そんな、自分にはわからない本を知って、それを理解し、好きという感性で捉えて居る人がこの世界にいることに驚いたり(これは本当に良い意味)もした。

そして、日常系がようやくちゃんと自分とリンクしたというか、そういう感覚あるよねってなれたのが、直木賞の石田衣良「4TEEN」

石田衣良「4TEEN」

(ちょくちょく賞出てくるけど、外したくないと思ってそんな読み方ばかりしてたからだと思う。今思うとちょっと勿体ないよね。ミーハー読みでごめんね)

これはタイトル通り都内に住む14歳の男子4人の、日常の中に起きるイベントを抜き出して描いたみたいな作品。その中の2つのエピソード(何回か読んだけど最後に読んだのは7年以上前、記憶ぼんやりだから間違ってるとこあるかもだけど、記憶を頼りにそうだったと断定して話を進める)

一つは、みんなで自転車でかなり遠い隣町に出かけようみたいな話。出かける理由は、隣町に中学生にもエロ本を売ってくれる本屋があるらしいから行こうみたいなことだった気がする。
出発前から、「そんな確証もない噂であんなところまでいくのかよ?」って奴と「もしほんとだったらすげー話だろ!いこう!」の奴とかがいたりして。行きはゴール目的も輝きも持ってるしで、出発〜!みたいなテンションなんだけど、まあ中学生にとってはかなりの道中で、なんか体力も減ってきてヘトヘトになるとさ、出発したばかりのときと違って、こうイライラしてきたりするじゃない。
さらにみんなで移動してるもんだから、ペース合わなくて気づけば間隔出来てたりとか、あの競歩大会みたいな感じ特有の疲れとか色々混ざったイライラみたいな。
そんで、やっとの思いで、目的地ついたら閉まってるのよお店。そんで目的のエロ本も手に入らないのに、これからまた帰るわけよここまで来た道のりを。そしたら責める奴も出てくるわけ「確証あるのかって確認したよね僕は?」みたいな。「それでもついてきたのはお前だろ」とか。
あーあるよね。って、ちょうど読んでた年齢と同い年くらいだったから、こう初めて日常系のやつで感情も描写も自分に近い解像度だなって思った感覚があった。

2つ目は、感情はまだしも、描写は全く自分とは遠い解像度のエピソードだなって思ったやつ。
4人のうち1人が白髪になり皮膚が皺になるような、早老病?の治療のために入院することになって、他の3人がそいつへのプレゼントで童貞を卒業させてやろうと企てる。
お金を3人で出し合って、町に繰り出してナンパして失敗して、そんでゲーセンか何かで、援交をしてる女の人に声を掛けることができて、お金を渡すから友達の童貞を奪ってあげて欲しいというお願いに成功する。
いざ病室に女の人を引き連れて、入院してる友にに事情を説明する。入院してる友は迷惑気味に遠慮するんだけどそんなことはお構いなしに、もう来てもらってるからみたいな感じで個室に二人きりに。そんで3人はその場をほんとは離れるべきと分かってるんだけど、自分たちも性に興味がある年頃だから離れたふりして聞き耳を立ててるのよね。押すな押すな言わんばかりに。
女の人のリードでおっぱいを見せてもらったり、触らせてもらったりするのを聞き耳立てながら3人は「羨ましいぞ!」なんて言ってたら、友がポツリと「病でもうぜんぜん立たないんです…」と声が聞こえてきて、そして「胸に頭を乗せてもいいですか?」の言葉の後、友のすすり泣く声。3人は誰からともなくその場を離れる。
そのあと、3人が何食わぬ顔で病室に戻って感想を聞きに行くと友が「サイコーだったぜ!」と言うから、「羨ましいぜ〜コンチクショー変われよー」みたいに話す、みたいなエピソード。

これは当時の自分には衝撃だった。
おんなじ歳やんと、都内はそんな進んでんの?と。だから描写の解像度は低くて、感情解像度は高いエピソードだった。

この本の
『つぎの日にまた会うに決まっている友達にさよならをいうのは、いつだってなかなか楽しいものだ。』
当時より、明らかに今の方がそのセリフが響く。


ちょっと話は逸れて、高校生の頃。夜中まで電話する仲だった同じクラスの女の子と放課後二人でブックオフに行ったんだ。そこでなんかお互いに良いと思ったBL本を選んで、買って交換して読み合うっていう謎のことやってた。いままでは、そんな事ある?って感じてた小説の中の描写の解像度が、近づいてきてたのかもしれない。

そういえばその人と、今はもう潰れてしまった映画館にノルウェイの森の映画を見に行ったことがある。

トラン・アン・ユン脚本・監督「ノルウェイの森」

松山ケンイチさんが出ていて、確かR指定だったと思う。薄暗い小規模劇場、自分たち以外には数人だけ、高校の同級生と隣り合わせで、大画面でしっかりした濡れ場を見るという経験は初めてだった。

翌日学校で普通に過ごした。学校では凄くよく話す仲という感じでもなかったから、いつもの日常。向こうはどうだったか知らないけど、本を貸しあった事も、映画を見に行ったことも、友達にも特に誰にも言わなかった。二人だけが知ってる世界がある気がして良かったのかもしれない。

なんか今思うにこの、世界であなたと私だけが知ってる記憶ってのが好きなのかもしれない。
あの時のあの場所での出来事は世界であなたと私だけしか知らない。

話は戻して、そんな感じで中学生〜大学生まで小説が好きだった時期があって。
社会人になってからはビシネス書やエッセイは読むことがあっても、小説は本当に読まなくなってしまっていたけど、今日久しぶりに読んでまたブームが来そうだなと思った。

小説を読んでるときだけしか働かない脳の部分がある気がしてる。
映像と違って文字だからこその良さ。頭の中に自分だけの世界が描かれる。時間を忘れて世界に入り込む没入感。
この世界は、世界でただ私しか知らない。

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