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#11 そろそろ中国旅支度〜トラウマ・0コロナの記憶〜

4月は、わたしにとって中国の居留ビザ(就労ビザは2年毎)の更新時期であり、ゆえに上海へ渡航する月でもある。

中国は今(3/9現在)、日本人に対してパスポートでの渡航を許可しておらず、ビザを失効すると色々厄介なので、必ず余裕をもって渡航して申請するようにしている。

今回の渡航では、ビザ更新後、(体調次第だが)暑くなるまでに中国を半周したいと考えているので、今月25日のふとこさん(母)の誕生日を終えたら、少し早めに旅立とうと思う。

そこで早速チケットサイトを確認してみたところ、航空券が予想より遥かに安くなっていて驚いた。
LCCなら、片道1000元=約2万円くらいで行けるのだ。
一昨年のゼロコロナ政策時とは、比べ物にならない安さである。

あの頃の中国は、感染予防の観点から国際便の発着を厳しく制限していたため、チケット代が跳ね上がり、わたしが乗った最安便でも東京-上海で片道12000元=約24万円したのだ。
よって、2022年はビザ更新に係る全渡航費で、もともとコロナで落ち込んでいた売り上げのほとんどを失ってしまった。

しかもである、渡航のタイミングがたまたま上海のロックダウンの頃であったため、一部海外発便の上海への着陸が認められず、上海から1500km離れた山西省太原市で飛行機を降ろされたのだ。

山西省太原に飛ばされた思い出

「誰か、いますかー!?」 その声は虚しく隔離部屋に響くだけ…

1500kmといえば、都営バスで何気なく渋谷から六本木まで行こうとして、網走でようやくバスが停車したことを想像してみて欲しい。
それはもう、果てしなく絶望に近いことがお分かりいただけるだろう。

そうして何の用事も、縁もゆかりもない太原の地に辿り着いたわたしは、『進⚪︎!電波少年』の企画を彷彿とさせるルールのもと、目的地を知らされることなく、消毒液の香りが充満するバスに乗せられた。

どこへ向かうか未だ分からないバスを誘導したのは、2台のパトカーだった。
この時、わたしは一瞬、自分が箱根駅伝の選手であるかのような錯覚に陥りそうになったが、海外からやって来たウイルス保持の可能性がある人間に送られる沿道の声援はなかった。

結局、680元=約13600円/泊するホテル(選択権なし・強制自腹)の一室で、寝て起きて、ドアを2秒開けて受け取った配給制饅頭を食べてを繰り返して二週間を過ごした。

さらに上海に隣接する江蘇省への移動後も、マンションのドアに開閉感知センサーが取り付けられ、実に一か月もの間、一歩も外に出られず、「人生80年」のうちの貴重な一つの春をスキップした。

トラウマとなった隔離生活

運動していないのになぜか痩せ細った

わたしは自分について、コンクリから「こんちわ」した雑草のように図太く生きてきた自負があったが、やはり当時はそれなりに精神的ショックを受けていたようで、今では隔離期の記憶があやふやだ。

それでも、隔離を終える間際に、「PCR、鼻2口2(実施)」という謎のおふれが出たのは、今でもはっきりと覚えている。

その日わたしは、「双頭の巨大蛇ゴーグ」でもあるまいし、わたしの口はひとつしかないぞ…と思いながら部屋で検査スタッフを待っていた。

すると、定刻よりだいぶ遅れて、ビニール越しでも汗だくだとわかる防御服の男性スタッフがやって来たのだ。
気温は30℃をゆうに超えており、彼はおそらくはあちこちを回ってきてくたびれた様子であった。
そして、戸惑いながら鼻の穴・左右2穴、口の中・なんとなく右の方となんとなく左の方から検体を採取したのである。

検査を終えて、わたしと彼は無言のまま目で苦笑いした。
「これ、何の意味があるの」「それな」とは、お互いに言わなかった。

彼も今、地球のどこかで「口2」ってなんだよと鼻で笑って思い返しているかもしれないし、または、すっかり忘れて元気に過ごしていることだろう。

このように、ゼロコロナ政策のエピソードには枚挙にいとまがないが、あんまり書くと入国を拒否されそうなので、やめておくことにする。

何にせよ、以前より比較的自由に日中間を移動できるようになり、よかった。 
コロナ禍はほとんどできなかった中国旅行が、今から楽しみだ。

つづく

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