全部、雪のせい、でいい。
「年末だね〜」
最近なにかにつけていっているこの言葉。
「仕事終わらないね」
「年末だね〜」
「帰り遅いよ」
「年末だね〜」
「酔っ払ってる人たくさんいるね」
「年末だね〜」
などなど、キリがない。
とにかく何かにつけて、「年末だね〜」を言っている。
全部年末のせいにしたい。
わたしの身の回りに起こる小さなことは年末のせいということで、片付けてもらいたい。
このアホは何を言っているんだ、と思われれただろうが、そう思っている人が100%正しいと、わたしも思う。
「年末だね〜」ってそんな雑な返し、あっていいのか。
少しだけ、反省していた頃だった。
***
2人で街を歩いているとき、
かなり盛大な酔っぱらいさんの残骸を見てしまった。
あまり汚い話はしたくないと思って、見て見ぬふりをしようとした。
しかしどう考えても目に入るソレ。
隣を歩いているのだから、気がつかないわけがない。
「見ちゃったね…」「そうだね…」なんて話をしたが、この話は続けたくない。
別に誰も続けるつもりはなかったのだけれど。
そこでうまいこと登場したのが、「年末だね〜」である。
当然のごとく『「年末だね〜」って、そんなことないでしょ』とご丁寧なツッコミをいただいたのだけれど、それをいいことにそのまま「年末だね〜」ですべてを済ませてる話にシフトしたのだった。
「年末だね〜」が唯一有効だった瞬間である。
***
たぶん、「年末だね〜」を聞いた人はみんな、こんなに安直な言葉ありえないと思うだろう。
だって、「今日晴れてるね〜」とか、「冬だね〜」とか、そんなレベルの、コミュニケーション初心者なのか?っていうか返しだから。
それに「年末だね〜」で話が続かなくなるから。
再三ながら、雑でやる気のない返事だな、と思う。
しかし、しかしだ。
この雑でやる気のなさは、ある意味、会話をすっきり流してくれる。
あえて流したい会話があったら、結構有効なのではないだろうか。
それに、別に理由を考えなくていいことに、時間も頭の容量も割かなくていいな〜と思った。
そこでふと気がついた。
なぜ「年末だね〜」を最近多用していたのか。
会話だけじゃなくて、わたしの思考をも、きれいに適当に流してくれている、からだ。
「仕事が忙しい」
「帰りが遅い」
「酔っぱらいが多い」
どれも、なぜ?と聞かれても、答えようとしたって、大した答えは出てこないようなものばかり。
仕事が忙しいときは忙しいし、帰りが遅いときは遅いし、金曜土曜の夜は酔っぱらいが湧き出てくる。
そんなのは何か理由があることではなくて、もうそうなっちゃっている、ことなのだ。
それに対して、なぜ?どうしたら改善できる?と問いを投げかける姿勢も大切だけれど、現実問題、目の前の仕事を終わらせる方が先決だ。
答えが出ても今さらどうしようもないし、どうにかするにしても時間がかかりそうなとき、頭の片隅の容量をそれに取られてしまうのは、なんだかもったいない。
それに永遠と考え続けてしまえば、負のループに陥りかねない。
そんなことは御免である。
頭も心も、自分に必要でないものを置いておく必要はないのだ。むしろそのスペースの分だけ、大事なものを置いておきたいと思う。
今自分に必要じゃないものや、無限ループを生んで必要以上に自分を苦しめる思考のぐるぐるや、特に理由のない世の中の大半のことを、一つ一つ丁寧に考えてあげなくていい。
要らないと思うなら、潔く手放す。
でもなかなか手放しづらいから、適当なラベルを貼って、理解したつもりになる。
それでいい。
むしろそれがいい。
別に「年末だね〜」なんて言わなくていい。
ただ、天気のせい、体調のせい、日本のせい、今の時代のせい、コロナのせい、、、
言い訳に見える言葉たちだけれど、少しくらいいろんなもののせいにしたらいい。
すべてを自分で考える必要もないし、ましてや背負いこむ必要もどこにもない。
本当の本当は、そうじゃないってわかっていても、とりあえず何かのせいにしておくと、本当にそのもののせいな気がしてくる。
なんでもかんでも、自分のせいだと思ってしまうとき、手放せるものは手放していっても、誰も咎めない。
むしろそれで、気持ちが楽になるのなら、積極的にそうしたほうがいいとすら思う。
ゲレンデではじまる恋も冬のせいって言われるくらいだから、1人の人間の身の回りに起こることくらい、年末のせいにしたっていい。
それよりも、この寄せては返す波の多い日々に、その波に攫われてしまわないことの方が、大切だ。
心も、体も、元気でいること。
この上なく難しいことだと思うけれど、なによりも大切なのは、自分が心地よく過ごせることだと思う。
だから、たまには、全部を年末やら何やらのせいにして、頭のなかも心のなかもすっからかんにしたい。それでいい。そうして健やかな心が保たれるのなら、御の字だ。
今年も残りわずか。
こんな変化の多い年に、自分の変化も多くて、わたしは結構ちゃんとやったかな、なんて思う。
本当は仕事もまだ納められていなくて、月曜日までの仕事すら終わってなくて、正直ヤバい状況だけれど、まあ、そんなもんだなと思う。
これもたぶん、何が起きても「年末だね〜」で流せているからだと思う。ありがたく「年末だね」を多用するし、年が明けたら「さすがお正月だね〜」っていうのだろう。
来年は、すべての出来事を、「2021年だね〜」でやり過ごす算段まである。
なんだか、2020年も少しだけいい年だった気がするし、2021年はとてもいい年になりそうな気がしてきた。
自分で幸せをつくって、自分でいらない苦しみは取り除いてあげたいね。
追伸
今年のnote納めかはわかりませんが、1年間、一度でも読んでくださったすべての方、ありがとうございました。
みなさまもどうぞよいお年をお迎えください。
そしてぜひ、「年末だね〜」「お正月だね〜」を使ってあげてください。
心が軽くなる保証はしませんが、気が抜けた返事になるので、適当に会話を終わらせたい時にはきっと重宝します。
まあむしろ、そんな使い道しかないのですが。
それでは。2021年がよい年になることを願って。
2020.12.27
追伸 vol.2
年末に出しそびれたので、元旦に出しています。
まだ年明けて4時間も経ってないので、誤差ということにされたい(無理がある)
それでは、みなさまよいお年を〜〜〜
2021.01.01 AM3:51
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