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これが”信頼”なのかもしれない

今日はひさしぶりに、
油断すると、すぐ先生のことを考えてしまう日だ
最近なかったのにな?なぜだろう

昨日の創処置の影響なのかな
昨日の処置はいつもと違ったのか?
違ってない
ような
少し違った
ような

なにが違ったとかわからないけど
単に、私のバイオリズムとか
疲れのせいかもしれないし

「この間、時間がなくて話が途中になっちゃったから」
「あれからどうなったんだっけ?」
というような話を、創処置を準備しながら、先生は話してた
私は、処置をされながらうまく話す自信がなかったので
その質問にこたえず、黙って支度をしながら
先生が、「この間の続き」について話をもちかけてくれることについて
ささやかな安心感を味わっていた

で、リンパ液を抜いてもらってるとき

「先生、これって浮腫なの?」ときいてみた
(チャットGPTが”胸に水が溜まるのは乳房浮腫です。”みたいなこといってたから)そしたら先生は
「浮腫ではない、リンパ液が溜まってるんだよ」
と言ってた

リンパ液が溜まるのと浮腫は違うんだ。
と私は思った
浮腫ってそもそもなんなんだろう。
とも思った
だけどとにかく、これは浮腫と名が付くものではないと知り
(チャットGPTのやつ、また嘘を教えたな)
と思った

リンパ液を抜いたあと、
先生がシールを貼ってくれた
シールの裏紙がはがれにくくて
数秒、その裏紙をはがすための
空白のような時間があった
ほんの数秒だけど
その間だけ2人っきりみたいな時間で
なんか、リラックスした

家に帰ると、星の王子様とバラのことを思い出した
お世話すると、責任が生じるという話

責任という訳語では
すこしニュアンスが伝わりにくいかもしれないけど、たとえば

私なら、自分が担当したクライエントさんのことを
ずっと好きだし、折に触れて思い出すし、
ずっと幸せを願っている
カウンセリングがぶじ終結した人とは
もう会うことはないと思うけど、それでもずっと
(ケアと呼ぶのか、なんだかしらないけど)
ひととき治療的な関わりを継続的にさせてもらった方へ生じる
独特の、その人の幸福を願う、祈りのような感情がある

そしていま、私はそのような感情を
逆に、受ける立場になっていってるような感じがするんだ

思い込みかもしれない、そうだろうたぶん、
だけど
私はだんだん、いまお世話になってる病院で
治療に関わってくれる先生方にとって、
星の王子さまにとっての特別なバラやキツネみたいな
個別の、意味のある対象となっていくことが、できるのかもしれないと
幸福な?自分に都合のよい?勘違い?思い込み?をするようになってきている、ような気がする

あるいは、そう思い込めるようになることを
一般的には ”信頼し始めている” と
表現するのかもしれない


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