言葉は少なくても
手紙には謎の言葉が書かれていた。
智也と結婚して3年。
結婚当初からお互い共働きのためすれ違いが多かった。
智也とは大学時代から付き合っていて、そのまま結婚した。
学部は違ったがサークルが一緒でなんとなく付き合い始めたのだ。
智也は生物資源学を学び、将来はアリの研究がしたいというほどアリ好きだった。クロオオアリとクロヤマアリの見分け方について何度聞かされたことか。付き合い始めの頃は楽しく聞いていたが、デートしてても食事しててもアリの話ばかりだとさすがに嫌気がさしてくる。智也も嫌そうに聞いている私のことなんてつまらない人間だと思っていただろう。それなのになぜか私は智也と結婚した。
これといったプロポーズがあったわけではない。智也はアリのことは良くしゃべるがそれ以外はほとんど話しをしない。
ただ、智也といるとなんとなく楽、というか素のままの自分でいられたのだ。「結婚するってこんなもんなんだろうな」っと運命とか赤い糸とかそんなドラマチックなことは一切ない中で私は智也と結婚をした。
私は銀行に就職が決まっていた。
智也はそのまま大学に残り夢だったアリの研究を続けた。
お互い仕事が忙しく、一日会うか会わないかということもよくあった。食事を一緒にすることも少ないことから私は毎日二人分のお弁当を作った。智也が研究室にこもっているときは研究室までお弁当を届けた。
忙しくしていても続けられたのは、すれ違いの私たちにとって中身の同じお弁当は二人をつなぐ唯一のもののような気がしていたからだ。
でも、智也は特に「ごちそうさま」も「ありがとう」も言わなかった。とはいえ、それは既に当たり前のことで気になることではなかった。
しかしあの日。
「ゴメン智也、寝坊しちゃって今日お弁当無いから何か買って」
とLINEをすると。既読と表示されたまま返事がなかった。遅刻しそうで焦ってイライラしていた私は「なんか返事してよ」とつい強めにメッセージを送ってしまった。しかし、それもまた既読と表示されただけで返事はなかった。
結婚して3年。私の中で何かが切れる音がした。
その日の帰り、「しばらく実家にもどるから」とLINEを送った。
既読という表示が憎かった。
1週間が経った。
その間、智也とは連絡は取っていない。「もうだめか」そう思い始めていた時、どうしても着たい服が家にあることを思い出し、「あした洋服を取りに一回もどる」とLINEを送った。
家の玄関をあけるとそこには智也の靴があった。
「あ、いる」そう思ったがもう後にはひけず、そのままリビングにはいった。キッチンにいた智也には声をかけずクローゼットへ向かい目的の服を取り家を出ようとした。
靴を履いている私の背後から「コレ」と言って智也が紙袋を私に渡した。
「なに?」と聞くと智也はそれ以上何も言わなかった。
実家に戻り、智也から渡された紙袋を開けてみた。紙袋の中にはお弁当箱と手紙が入っていた。
うつるアリ?また、アリ!
なんか感染症に気をつけろとでも言うわけ!
結論を出すための決定打ともいえるその手紙は腹が立つこともわすれるほど怒りのやりどころを失った。
さらに一緒に入っていたお弁当箱の中身はひどいものだった。
真っ黒になったウインナー、ぐちゃぐちゃの卵焼きとクタクタに茹ですぎたほうれん草の胡麻和え。のり弁の海苔は蓋にくっついていた。
「これ、嫌味?」
ピコン。
LINEが鳴った。
智也だった。
「読めた?」と一言。
「コレなに?」
「アナグラム」
あ、そうだ、思い出した。
智也はアリも好きだったが、アナグラムも好きだったんだ。
大学時代はよく私に問題を出してくれたっけ。
数学も得意な智也は言葉が少ない代わりにそうして私を楽しませてくれたのだった。
手紙を読み直した。
そして。
「バカ」
とLINEを送った。
既読が表示されてから1分後。
「ひかるの弁当たべたい」
と返事が返ってきた。
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