見出し画像

詩織さんの報道を見て思うこと

姿も顔も隠さず、実名でレイプ被害の記者会見に臨んだ詩織さん。

仕事で忙しくて、そのニュースを知ったのはネット記事からだった。タイトルと概要を目にしただけで、胸が震えて先を読むことができなくなった。それからしばらく経ち、ようやく記事を読み、詩織さんが受けた待遇よりも、詩織さんの言葉が当時の私が毎日抱えていた言葉そのもので、電車の中で涙をこらえた。

その夜、夢を見た。警察がやってきて、真実を明らかにする。

「あなたが数年間、飲まされ続けていた睡眠薬と薬物を検出しました。あなたが好んでいる菓子からも検出されました」
「あなたの診断結果はもうクリアです。もう安心していいですよ」

加害者は脅すように、その実、怯えながら強く私の肩を掴んでいたけれど、私がそれを振りほどくと、無言で私を見つめながら連行されていった。私もそれを無言で見送った。傍らには誰かがいたけど、誰だかは覚えていない。目覚めてからしばらくの間、泣いた。「今日が土曜日でよかった」なんて平和に思いながら。

「レイプ」の被害者は、たくさんのものと戦わなくちゃいけない。
チリチリと肌を焼かれるように、そのことを体感し、いくつもの絶望を乗り越えて生き続けなければいけない。


詩織さんの「勇敢さ」は、実名・顔出しの告発以上に、多くのものと「戦い続けている」その姿にあると思う。私が諦めたもの、私の中でたぶん永久に“古傷”にはならない「生傷」を汚れた外気にさらしながら、戦い続けてくれている姿に、私は「ごめんなさい」という気持ちと「負けないでほしい」という気持ちで涙が止まらない。

レイプ被害は、加害者に対して激しい「憎悪」を持つ一方で、周囲と自分自身に対して過度なまでの「恐れ」を抱く。だからこそ、「言語化」することがとても難しくて、「言葉にできる」ところまで心が強くならないと、その第一段階にすら立てないと思う。

おかしな話だけれど、私は「自分」を守るために「言葉」を4年間失っていた。私の場合、加害者は実の兄、告発先は両親で、私の想像していた以上に両親は冷静に最大限の努力を示して対処をしてくれた。それでも、プロではない「普通の人」で、兄を愛する「親」であることに変わりはない。だから、私は深く傷つけられたし、絶望した。

「私は、汚れている」
「私のせいで、これまでの「平穏」を壊してしまった」
「私が悪い」

家族の言葉で傷を抉られ、拒絶を受けた私を守るために、私の体は早急に「外部」を遮断する判断を下した。音や言葉は遠ざかり、食べ物は吐き戻され、世界は色彩を失った。
色も音も乏しい世界だから、私は4年間、肌を露出しない黒い服しか着られなくなった。今思えば、もしかすると、人知れず死んでしまった私のアイデンティティ(「少し生意気だけど愛すべき妹」「のびのびと明るく、両親思いの娘」)のために喪に服していたのかもしれない。
思わず笑っちゃいそうになるけれど、無意識にでも、そうやって自分の命をつなぐ儀礼的行為もするくらい、生きる意味も根気もなかった。それでも、毎日、社会的な「私」を演出しなければならなかったから、毎日、電車に乗り、人形のように社会生活を送り、不自然な笑みを貼り付け、その実、一歩も先へ動けていなかった。

その間、兄を何度も殺そうとして「あんなバカのために人生を棒に振るの?」と窘められても、生気が戻る瞬間は「殺さなきゃいけない」と考える時くらいだった(我ながら物騒だけれど)。親は接触機会を極力抑え、命の危機を感じた兄も私の前に姿を現さなくなった。

心身症や鬱病、レイプ、近親相姦の書籍を読んで、私の状態を知ろうとし、兄がなぜそういう行動をとるようになったのかを客観的に捉えようとし、両親の正しかった点と誤った点を把握しようとした。「誰が悪いのか」「今、どんな状態に陥っているのか」はわかっても、先に進めない。


時間が止まる。
私が両親に「告発したあの日」から、私だけが世界に置き去りにされ、時間が止まっているようだった。

「女」として生きてきた私は「女」である私を殺そうとした。私が生きてきた二十数年をなかったことにして「人間」として生きる道を模索した。でも「汚れている」という言葉は女の私に向けられたもので、「あんたがそんな格好で家にいるから」と視線を向けられる体は女のもので、「私」が「女」をやめるには、命を絶つか、「私」を失うしかなかった。


私は色も味もない世界で何も感じずに、ただ息をしている4年間。つながりを断り続ける私に誘ってきた人たちも遠のいていく中で、一人だけ空気を読まず、打たれ強く、私の色のない世界に目障りなまでに飛び込もうとしてくる人がいた。

断っても断っても懲りない。こっちが疲れるから、根負けして食事に行く。自分が大好きな彼は自分や世界の話ばっかりで、「女」として見られていない、(と鈍い私は)そう感じて安心できた。彼と話すには、自分の知らない分野や国際政治の話ができなきゃで、知らず知らず、閉ざしていた門の向こうに目を向けるようになった。


彼も両親と同じように「普通の人」で、時々適切ではない言動をとり、私を傷つけたり、怯えさせたりする。でも、色のない世界から私を無理やり引っ張り出して、世界が美しいところなんだと私の目や耳や口に感覚を取り戻させ、傷を含めた私を抱き止めてくれた。

「もう大丈夫だよ、僕がいるから。君を傷つける人たちと戦う。僕が守る」

八方美人で頼りなくて、強そうに見えて弱い人にそう言われ、泣きながら思わず吹き出しそうになったとき「私はもう一人じゃないんだ」と知った。そのときから「私はもう言葉や世界を取り戻しても、生きていけるんだ」と思えた。


兄は、今年、6年前から交際していた恋人と結婚する。
制裁を知らずにこれからも「普通の人」として生きていく。周囲からは「優しい人」と思われながら、何も知らない恋人と、未来生まれてくる子どもと「家族」を築いていく。

私も同じように生きていく。
結婚し、「普通の人」として、仕事をしながら「平穏」に「静か」に生きていきたい。傷は決して“古傷”にはならずに、高頻度で血を吹き返し、その都度、私と彼の間で糸がピンと張ってキリキリと音を立てるのだろうけど、私たちが乗り越えながら得てきたものを思い出しながら、そっと糸を巻き取って互いに優しく寄り添いたい。


でも、暴力があった事実が「なかったこと」になる日なんて未来永劫ありはしない。


一人の人間として生きるのに当たり前の「自由」を持って生きたい。
私の世界が色鮮やかに美しくあるように、どんな髪型でメイクで服を着ようが、誰に愛され、誰を愛するのか、私が「私」であり続ける「自由」があるはずだからだ。

その「自由」は、弱さを乗り越えたから得られるものだと、5年経った今は思う。人を愛する「覚悟」も幸せになるための「強さ」も、弱さと戦いながら培ったと思えるからこそ。


「あなたには、その『自由』がありますか?」
「人を愛する権利や覚悟、幸せになる強さがありますか?」


兄の結婚式には出席しないけれど、はなむけの言葉を送るならそう言いたい。妻に「愛している」と伝えるとき。子どもが生まれたとき。娘や息子の成長を見守るとき。被害者を目の前にしたとき。子どもが被害に遭ったとき。

制裁を免れ、「傷」のない加害者は、これからも逃げながら生きていく。
それでも「暴力」という汚れは、その人生の大きな陰になる。

制裁を与えられなかった被害者は苦しみながら生きていく。それでも、私たちは「逃げる」ことなんてできない。血を流す傷を抱えながら、生きる道を模索しながら自力で見つけて生きていく。だからこそ、光は必ず見えてくるし、戦ってきた分だけ、幸せになる覚悟も強さもあると、自分の価値を信じて生き抜いてほしいと思う。

私は詩織さんのように戦えなかった。
好奇の目にさらされることも、ダブルレイプも恐れて、病院には行けなかった。誰も助けてくれないと思っていたから、警察にも行かなかった。何より、自分が失うものの大きさ(家族、「純真無垢な私」という幻想)に怯えていた。でも一人で耐え抜くにはあまりにも辛くて、4年間、自分を殺しながら息だけして生きた。その4年間で、たくさんのことを経験したり、実現することはできたはず。

その自由を誰にも奪わせないように。

そのためにも、暴力の根絶、せめて、被害者の自由が守られる仕組みができるあがるよう、すべての人が自分たちの「義務」を理解し、果たしていってほしいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?