見出し画像

セックスについて考えてみる。

自分たちのセックスについて語る場面は極めて少ない。
それは、恥じらいの国ニッポンだからかもしれないし、紳士淑女の体裁で生活を送っている私たちの“外面”のせいかもしれない。あるいは、私が体験した性にまつわる暴力のせいであったり、彼が“慎み深さ”を重んじ、セックスに異議を唱える恋人を軽蔑するからなのかもしれない。


1.「する」「しない」という静かなる戦い

かくして私たちは密やかに交わり、快楽を共有し、愛情を深める。
時が経つにつれ、やがて彼は一方的な理由を告げたり告げもせず、その共有を拒み背を向けることで遮断するようになった。議論しようとして数度、「議論」にすらならないことを知った私は「諦め」と「忍耐」を覚えることにした。

「この、イン●野郎・・・!!!!!」

と、真夜中に叫びそうになったところで、グッとその言葉を涙とともに飲み込み、自律神経にやさしい音楽をイヤホン越しに聴きながら眠る。
その翌朝、大抵、機嫌が悪くよそよそしいのは彼だ。人権を侵害され、腹を立て、まるで無言の抗議のように口を噤む。私の挨拶でようやく口を開き、恐る恐る朝のリズムを刻む。

私は何事もなかったかのように静かな朝を送りながら、一緒に外食に行くことを提案する。仲良く暮らす秘訣のひとつだと自分の手帳に書いてあるそのルールに従ったからだ。

「うーん、ちょっと今日のスケジュールを確認してみないと。忙しくて難しそう」

そそくさと灯りを消すのも忘れて彼は逃げるように出かけていった。
ベランダで静かに洗濯物を干していた私だったが、こらえきれずに彼のちびた靴下を丸めて空に向かって投げつけながら叫んだ。

「この、イン●野郎・・・!!!!!」

もちろん、そんな公共に迷惑をかける行為はしない。
小心者なのでせいぜい靴下を部屋を壁に投げつけてから、マカのサプリを彼の机の上に叩きつけたくらいだ。


2.夢見る性器と現実的な性器

セックスを拒むという行為は、互いを傷つけ合う。

「その気にならないんだ」

ポツリと呟かれた彼の一言に私は目を丸くし、おとなしく布団をかぶって静かに泣きながら朝を迎えたことがある。

「他に好きな人ができたの?」
「違う」
「浮気してるの?」
「違う」
「男性が好きになったの?」
「違う…」
「じゃあ何なの? 何なわけ?」
「その気になれないんだ」

ありきたりな会話の果てに言い捨てられる台詞。
それは、「恋の終わり」を告げる言葉だ。彼の私に対する「女の終わり」を一方的に告げる言葉で、私は自分の価値の揺らぎを覚え、絶望した。

でも、彼はその言葉でどれほど私を傷つけたかも知らない様子で、数日後に平然と眠る私を起こして寝ぼけた私に触れ、目覚めた私に彼を触れさせ、いつものように交わった。

「お前は何がしたいんだ!!!!!」

と思いながら「その気になれないんだ」はどうも「時と場合がある」ことがわかった。もしかすると彼の自慰に付き合わされているのかもしれないし、何をもって欲情するのかは知らないが、とにかく彼の性器は「夢か現か」なのだ。

手帳の印で現実であったことを確認していると、彼の「夢現つ」には周期があることがわかった。おおよそ週1。曜日に決まりはない。それは彼が元気な日だろうが不安げな日だろうがあまり関係がない。仕事などで不安が強い日が続くと遠のくが、だからといって不安が解消されて元気になっても周期が縮まるわけでもない。つまり、私の考えが正しいかは別にして「パワーチャージ」に彼は1週間程度を要するようなのだ。

私は男になったことがない。
現時点の私は、「男女平等」を理解し推進を望み、男尊女卑をジェンダーの面からもセクシュアリティの面からも憎み、「人間」と「人間」として愛を知り、学び深め、人間同士の成長を望んでいる。それが私の「性」に対する思想だ。

けれど、私は男性性器を持たない。
恋人のそれがどんな刺激でどんな反応を示すかは知っている。男性性器という、内臓が体の表面にむき出しになった非常に恐ろしい設定のうえでできあがった性器が、しかも子孫を残すために一斉に身体中の血をかき集めなければ奮闘することができない、という自分の性器からは想像もできない構造と仕組みで動いていることを彼に教わった程度で、そのものが毎日どんなふうに絶えることなく「生きているのか」まったく知らない。

彼は非常にデリケートな人間で、自分のことで精一杯な人だ。
きっと彼の性器もそうなのかもしれない。初めて体を重ねた頃は20代。付き合い始めは、私と目が合うだけで落ち着かず、私が椅子に座ったり微笑むだけで何度もトイレと席を立つような人だった。よく腹を壊す人だと思っていたが実は竿を濡らしていたと告白するような変態だった彼が30を過ぎ、私たちの関係性も落ち着き、問題を抱えたり乗り越えたりと忙しなくなるうちに、彼の額は広がり、私は洗髪中に白髪を発見するようになった。肉体や精神、恋情の衰えは顕著だ。

まして、彼の性器は私の性器よりデリケートだ。
少しの力に痛みを覚え、鬱血しやすい。興奮しすぎると事後に後悔したりプライドが傷つくし、だからといって興奮を抑えすぎると強度が足りず「折れる」という女性性器では想像できない危険と隣り合わせになる。よく漫画やゲームで「朝まで寝かせない…」なんてシーンがあるが、あんなことをしたら出血沙汰なうえに下手をしたら死んでしまう(?)らしい。
私は、ただただ彼に優しく触れ、慈しみ、どんな状況も受け入れることが、2人(と2つの性器)の幸せになるのだということを、このデリケートな性器から学んだ。

なんて単純で、面倒で、繊細な性器なのだろう。
だから、そんな性器は、まだまだ謎に満ち溢れている。

私の性器だってデリケートだ。
検診で惨めな体勢で人工物を差されながら「大丈夫ですね、綺麗ですよ」なんて言われた後は心も性器も血を流す。乱暴な手つきで触れられれば傷もつくし数日間、血が流れる。けれど、好きな人に抱きしめられれば安堵し体が緩む。寝ていても彼に抱きしめられれば無意識に抱きしめ返す。触れられ求められていることをしれば、私の性器は受け入れ態勢をとる。それは子種を迎える準備のためかもしれないし、痛みを軽減することを覚えたからかもしれない。私の性器は現実に順応して動いている。嬉しいときや悲しいとき、喜んでいるときや怒っているときで感じ方は同じ行為でもまるで違う。それでも、たとえ気分が落ちて性欲がない状態でも彼を受け入れることはできる。素直でない私に対し、私の性器は私が彼を無条件で愛していることを知らせてくる。

なんて単純で、浅ましく、切ない性器なのだろう。
だから、私の性器は、私を振り回す。


3.「求め合う」ことの継続の難しさは、セックスに限らない

先日、学生時代の後輩と食事に行った。
生春巻きを頬張っていると彼女が唐突に切り出した。

「実は彼氏と別れたんです。私は結婚したいことをアピールしてたけど、彼はうじうじしたままで。ひとまわり年上のくせに男らしくないから。デートもずっと私が我慢。彼の『疲れてる』に付き合わされ続けるのは嫌だなって。友だちに相談したら皆が怒ってくれて別れるべきだって。やっぱり結婚するなら友だちも応援してくれる人がいいし。今でも彼のことが好きですけど、別れて良かったと思えてます」

うんうんと頷いていると彼女は続けた。

「優しい人だし趣味も話も合う人だったけど、でも私が求めてるときには優しくしてくれなかった。体調を崩してるときも家に来てくれなくて、後から知人に『彼すごく心配してたよ』って言われたけど心配してるんだったら私にそのことを伝えるべきだったし来てほしかった。いつもズレてて、仕事とか友人が最優先で、結局、彼にとって私はそれまでの女でしかなかったんだなって」

それは悲しかったねぇと相槌を打つ私を見て、彼女の話の矛先は変わった。

「私、今の彼と付き合いたての頃のしろたさんのこと苦手でした。彼の問題点に悩み続けてるのに別れないし、私が反対しても納得してくれなくて。あんなに好きだったしろたさんが彼のせいで弱い女に成り下がっていくのを見るのが辛かった。でも色々ありながらも婚約されたことを祝福してますし、そこまで頑張ってきたしろたさんのこと、今は前みたいに好きですよ。良い人いたら紹介してください! あと、結婚に効くパワースポットも!」

ありがとう。思いついたら紹介するね。
そう答えながら、私は当時の私の未熟さを思い出し、彼女の若さを考えた。
彼女は正しい。そう頷きながら「女」であることの大変さを思った。


「相手に求められる」とは何だろう?
性欲を掻き立てる。競争し勝ち取るような美しい価値あるもの。

「相手を求める」とは何だろう?
性欲を満たす。相手が自分のものであること、自分が相手のものであることを確認する。その度合いによって愛は決まるのだろうか。自分の価値は決まるのか。「人生をかけた幸福」は決まるのか。


恋はエゴイスティックだ。
私が幸せになるために、私を幸せにしてくれる人を求め探す旅。
市場を開拓し、値踏みされ値踏みし、ふさわしくないのであれば、また旅に出ればいい。

エゴイスティックな恋のまま、愛を勝ち得たら「女」は幸せになれるのか。
王子様と出会い、お姫様のまま母となり、愛し愛され、理想の家庭を築けるのか。

そうなのかもしれない。

私はエゴイスティックの恋や欲望の果てを見て体感してきた。
お姫様のように美しく癇癪持ちで手のつけられなかった母。
妻に尽くす代価にバレぬように他の女たちを貪っていた父。
妹を性玩具と考えながら育ち、大人になってもやめなかった兄。

そんなことがあっても、母と父は何事もなかったように仲良く暮らしている。
兄は何も知らない年下のお嫁さんをもらい、社会的にも順風に暮らしているように見える。
私だけが「異質」の家族。私だけが「反発要因」の一見幸せそうな家族。

私は「正解」を知らない。
「唯一の正解」なんてないことだけを知り、他人の恋路も愛も判定する権利など誰にもないのだろうということを知っている。


いつもの「その気になれない」に続けて彼が言った。

「そんなにしたければ、僕のいないところで自慰でもすればいい」
「気持ちいいからしたいんじゃない。セックスはコミュニケーションなんだよ」

そう言って泣きながら眠った私に、しばらくして、私が眠っていると知りながら彼が「もう寝る?」と声をかけてきた。言い間違いなのか、わざとなのか。なんて面倒な男なのだろう、と考える思考力もなく、寝ぼけながら私は彼へ向き直った。両腕を広げた彼の胸の中に入るとスッポリ彼に包まれた。

寝苦しい。

そう感じながらも、彼の思いや答えが体温を通して伝わってくるようだった。


4.セックスは「未知」との共存に至る

バイブレーターは、女性のヒステリーなどを解消するための医療行為から生まれたものらしい。張形は男性権力者の衰えを補うものとして紀元前から使用されてきた。生殖行為をする生き物として、文明・文化の中で快楽や医療、信仰と結びついてセックスは人類の歴史(のおそらく常に中心)とともにあった。興味のない人や嫌悪する人でも恋愛至上主義の現代社会で色眼鏡で見られるから、誰にとっても完全に切り離させないもの。

なんにせよ、セックスは異物との交わりだと思う。
私という誰も脅かしたことのない身体的境界線を否応なく越境してくるもの。
「支配」や「暴力」と紙一重の「受容」や「愛」。

交わる相手は、私を脅かす存在だ。
私という境界を越境し、私の自我に影響を与え、あまつさえ依存にも似た感情すら植えつけながらも、時にわずらわしく、あるいはないがしろにしてくる忌まわしき存在。

そりゃそうだ。
他人なんだもの。

同じ女でも未知なる生き物ばかりだ。
母は私と違うし、後輩も私と違う。互いに「未知なる生物」で交わりようがないと思いながらも、どこかで共存できるポイントを見つけてうまく一緒に生きている/交友関係を続けている。

自分に似た男だって、自分の知らない何かを隠して持っている。
肌を重ね、同じ屋根の下で暮らし、癖や態度が似てこようが、それでも恋人は「未知なる生命体」なのだ。その「未知なる生命体」と共存すること。私のヒステリーを生み出し、解消する。彼の安寧を脅かし、安寧をもたらす。互いの五感を刺激し合って共に生きていくこと。

セックスという関係が完全に消えたとき。
私たちの関係は何になるのだろう。

血もつながらず、友とも違う。
あの嵐のようだった恋情すら霞み、このまま入籍もせず、ただのオジサン・オバサンになりながら、それでも一緒にソファに座って朝食を食べ、夜になれば電気を消して同じベッドで眠りにつく。そんなふうになったとき、私たちは何という関係になるのだろうか。

そのとき、エゴはどこまで丸まり、あるいは尖っているのだろう。

わからないことだらけだけど、そんなふうになっても隣に居ることができたら良いなと思ってしまう。性器やエゴを失っても「情」が2人に残れば、それはそれで良い人生だ、とあなたも思ってくれたら、それを幸せだと呼びたい。

「夜ご飯は一緒に食べよう」という連絡を見ながら、私はそっとマカのサプリを引き出しに戻した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?