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【小説】君に触れたい 後編

背中に重みと温もりを感じながら、車通りの閑散とした夜の街を歩く。所々にある薄暗い街灯と自販機の灯り以外はコンビニ一つない。

「ごめんね。」

耳元で呟く声に、気にするな、と何度目かの同じ言葉を返す。

よっと。

少し下がりかけた澪の身体を背負い直し、努めて陽気に振る舞う。

「いい経験だよ。俺、今までの人生で女の子背負ったことないし。むしろラッキー。」

実際のところ本音だ。さっきから俺は全神経を彼女側に集中している。

申し訳なさそうに、俺の首にまわした腕。右の首筋に時折かかる吐息。肩胛骨へ当たるほのかな弾力も、布越しに伝わる温もりも、全てが俺の気分を高揚させた。

「ごめんね…。」

また、消え入るような謝る声。しかし、それは整ったリズムの息とともに俺の耳に届いてくる。

…これは、寝てんな。

立ち止まって、少し顔をずらし、相手の顔を確認する。背負ったままだから、鼻と鼻が触れ合う距離に、目を閉じた澪はいた。

「…どおりで。」

少し前から重みが増したように感じていたのは、背中の人物がその力を手放したからだった。

すぐそこにある半開きの口元に知らず視線を引き寄せられて、振り切るように前を向く。

「…しょうがねーな。落ちないようにつかまっとけよ。」

声をかけると、微かに腕に力が戻る。

もう一度、今度は相手を少し肩に乗せるように大きく引き上げ、腕をしっかりと首に回させた。その反動に少し目を覚ましたのか、後ろから俺を抱きしめるように、ぎゅっと力がこもったのがわかった。

「ああ、ごめん。寝てていいよ。さっき言ってたところに着いたら起こすから。おやすみ。」

歩きながら声をかけると、返事の代わりに規則正しい寝息が、俺の耳をくすぐった。

※※※

「ほら、やるよ。」

よくわからないが、この辺りで名水といったらここなんだろうという名前を冠した、どこかの地名が書かれた水を自販機で買い、二人の間に置いて腰を下ろす。

「ありがと。…あー、冷たくって気持ちいい!」

手に取った水を、首に挟み込むようにして頬にあてる。

自販機の明かりにうっすら照らされた顔は、上気しているようにほんのりと紅く光っている。

目を閉じて、その冷たさを全身で感じている様を、俺はただ眺めていた。

不意に開く瞳。

わずかに視線が絡み、思わず目を逸らす。

同時に、逸らすのもおかしいように感じて視線を戻すと、彼女はペットボトルに口をつけていた。

口から喉、その先へと水が流れていくのが見えるようだ。微かに上下する彼女の胸元をぼんやりと眺めていた。

「…んん、生き返るなあ。体に染み込んでいく感じ。」

やっとペットボトルを口から離し、一息つきながら澪は笑った。

「いる?」

「え?」

「欲しそうな顔で見てたでしょ。はい!」

ぐっと顔の前に突き出される水。

言われるがまま手に取ると、澪の目線が飲むように促してくる。

「…サンキュ。」

少し躊躇しながら、口をつける。

ああ、うまい。

冷たい水が自分の体内へ流れていくのを感じた。

「ね、美味しいでしょ。」

「うまいなあ、この水。俺初めてこんなうまいの飲んだかも。」

「私と飲んでるからじゃない?」

どきんとする。図星かもしれない。

かもな、と曖昧に笑うと澪も笑顔を返してくる。

楽しいな。

女の子といて、こんなに自然でいるのは、もしかすると初めてかもしれない、と思う。

気づくと、さっきまで星しかなかった空に、下弦の月が煌々と浮かんでいた。

「さ、目印って言ってたの、ここだろ?もうここからすぐなんだよな」

自分の今の気持ちと、最も離れた言葉を口にして立ち上がり、大げさに伸びをした。

「ほんとだ。もうこんなに時間経ったんだね。ごめん、付き合わせちゃって。…なんかさ、こうやってみんなと会った後って、何となく終わらせるのが寂しくって、つい引き伸ばしちゃうんだよね。」

「ああ、わかる。俺もそうかも。」

振り向いて手を差し出す。意図を理解したのかその手をつかみ澪もベンチから立ち上がった。

「手、冷たいな。」

夜風に冷えたのか、それとも先ほどのペットボトルの冷たさがまだ残っているのか。なによりその手を離したくなくて、そんなことを口にした。

「うん、ゆうくんの手はあったかいね。」

「心が冷たいからな。」

笑い合いながら、そっと手を離す。

「じゃ、俺行くよ。すぐそこだからって気を抜くなよ。さっきまで歩けなかったんだからな。…もう、歩けそう?」

澪はここにくる途中、足元がおぼつかなくなって座り込んでしまったのだ。どうやら、自分の限界を知らず、飲みすぎてしまったらしい。

「…うん、大丈夫そう。ごめんね、ここまで連れてきてくれたおかげだよ。ありがとう。…それじゃね!」

手を振りながらゆっくりと離れていく澪の姿を、同じく手を振りながら、その姿が闇に溶けていくまで見送り、またベンチに腰を下ろした。

今まで感じていた温かみがあっという間に周囲から消え失せ、空虚な感覚が自分に染み込んでいくのを、しばらくそのまま受け入れていく。

急に今日という日の終わりを感じつつ、そういえばこれから部室にいくんだったと、どうでもいいことを思い出して、空を見上げた。

さっき見た月が、もう大分高い位置にあった。

もう気づいていた。

自分の心がここにはないことに。

目を閉じると、鮮明に浮かんでくるその声、表情、そして温もり。

そこにもう、君の姿はないのに。


君がいないとまるで 空っぽの冷蔵庫みたい…


彼女の口ずさんでいた曲が、彼女の鼻歌で脳内再生される。

ああ、今すぐにでも追いかけて。


君に触れたい。


※※※


この小説を書くきっかけとなった作品群はこちら。マガジン作ったよ。





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