【御礼】フリーザスタイル次のステージへ
先日、「フリーザスタイル」タグが1000件という節目を迎えたことで、ただ今表彰式が挙行されている。
その映えある1人目の表彰が、なんと俺だった。
「フリーザスタイル」というタグの生みの親であることが理由で、かように過分な栄誉にに浴することになろうとは、ベストジーニスト賞に選ばれたときの草彅くんのように、喜びが全身からほとばしりまくっているところだ。
そこで、これは、記事にて御礼の思いを伝えねばなるまいと筆をとった次第である。
ご覧になった方はわかると思うが、この表彰の何が素晴らしいって、表彰されている本人も忘却の彼方にあるような記事を掘り起こし、表彰者であるフリーザちゃんとの交流の数々を思い起こさせる作りになっているところである。
彼の記憶力の賜物であろう。
俺はというと、基本的に脳を日常生活の記憶に使うことはやめている。
忘れてはならないような予定等は手帳やスマホに書き出すことで,頭に隙間を常に作っているイメージだ。
ほら、パソコンとかでキャッシュをクリアするじゃない?
あれである。
だから、こうやって改めて提示されると我がことながら新鮮に感じられ、とても楽しい体験であった。
さて、この間ピスタチオちゃんのコラボ企画を見た。
この記事のお相手であったミキラさんは、提供者サイドの記事をあげていた。
ほとばしるアーティスト魂の響きあいを見た気がして、なんだかコメントできず、すごすご帰ってきたのだが、曲もさることながら、その制作過程における自分サイドと相手サイドの話を聞くのは、とても興味深かった。
そこで僭越ながら俺もそれをやってみようと思う。
フリーザちゃんとの出会いは、ゴリちゃん絡みの企画からだ。
ワディちゃんの花言葉サークルで、その企画は持ちあがった。ワディちゃんが入念なリサーチを重ねた結果、サプライズをしたらそれを受け止め、喜んでくれそうなnoterとしてゴリちゃんが選ばれた。
サプライズは記事引用。「本音と建前」を内容としたゴリちゃんの記事を、自分の記事の中で引用して、同時刻に一斉にアップするというサプライズである。
この発想力はさすがワディちゃん。
それぞれのnoterが自分のカラーで、同じテーマの記事を書き、なおかつそれが
サプライズにもなるというイベントで、7人(だったかな?)ものnoterが参加した。
これは、そのネタバラシ記事。
ゴリちゃん界隈とワディちゃん界隈の世界がドッキングした瞬間だ。
実はこの時ゴリちゃんのところでフリーザちゃんと絡んでいるかどうかは覚えていない。
お互いにゴリちゃん記事でその姿を見たものの、直接関わることはなかったと思う。
俺の淡い記憶では、フリーザちゃんの記事で最初に見た記事はこのダッシュボード露出狂。
たことひじきにはどういう関係があるのか謎だったが、コメントはしていない。
人見知りだからだ。
その後も、しばらくはコメントもスキも押していない。
ただただフリーザちゃんの記事を眺めていた。
何しろフリーザちゃんの記事はつぶやきなので、タイムラインを見れば全てそこで読める。
ワンクリックの手間がない。
当然、あることに気づく。
ん?これ全部くっつければ、普通に記事のボリュームあるじゃんと。
とすれば、考えられるのは一つ。
この子、つぶやき全部集めたら記事になるのに、あえて呟いてやがる。
もしかして、これはあえて記事にしないという戦略!?
一目見てわかるのであれば記事をストレスなく読める。
しかも,長い記事をスクロールしてコメントを書く手間も省ける。
多投すれば,タイムラインを自分の記事一色にできる。
これは、フリーザスタイル!
俺の中に、このパワーワードが芽生えた瞬間だった。
初コメントは、表彰記事にもあった通り、フリーザちゃんの固定記事だが、そこを見に行ったのは、稲妻の記事にスキをくれたからではない。
なぜ記憶をしていない俺が、そのことはわかるのかといえば、簡単だ。
俺は誰がスキをくれたとか、フォローしてくれたというのにあまり興味ないので、それを確かめないからだ。
確かに、お知らせベルには出てくるのだが、俺はあれもコメントをしてくれたものだけ探してコメントを返しているのでさらっとしか目に入ってはいない。
つまり結論を言えば、フリーザちゃんの記事やコメントを読むうちに、
「ああ、フリーザちゃんと仲良くなりたい」
そう思ったからコメントをしたのである。
それにしても始まりって初々しいよね。
その初々しい距離感を詰めるようになったのは、この呟きかな。
ここで俺は
と返したので、フリーザちゃんは遠慮なく返してくれるようになった。
と言っても、俺の記事は絡みづらい。
初めてフリーザちゃんがコメをくれたのはこの記事
ここで「脳内再生」について話題にしたんだけど(あ、ここでちょっとギターかじったこと言ってるなw)これに絡んでくれた。
んで、フリーザちゃんのつぶやきにも
てな感じで、どうやら、俺との会話で脳内再生が起こっているようであった。
ここのコメント欄で、多分初めて、それまで単発で終わっていたコメントを会話のように相互に送りあったんじゃないかな。
そういうことをしたことで、俺の中にある気持ちが芽生えた。
あれ?
俺、コメントでのやりとりが一番好きかも。
俺は、ちょっと前まで「MARVELオールスターゲーム」というオンラインゲームをやっていた。
そのゲームにはアライアンスという30人くらいの集まりがあって、そのチームで他のチームと戦う感じなのだが、そのゲームのチャット機能はとても脆弱で使い物にならず、他のコミュニケーションツールを使っていた。
顔も知らない相手と同じ目的に向かって、あーだこーだ言いながら会話をしていくのが楽しかった。
戦いが開催される時間が決まっていたり、自分が行動しなければ仲間に迷惑をかけたりするので、結構な生活時間をそれに割くことになって、そのまま続けるのは厳しく引退したのだが、どうやらゲームそのものより、顔も知らない相手といろいろな会話をすること自体が楽しかったので、後ろ髪を引かれる思いがしたものだ。
そんなことを思い出し、猫被りの記事をアップしたのだった。
これはその一部分。
記事の中で、フリーザちゃんのコメントにも言及しているね。
つまり、俺が今noteを楽しんで続けているのはフリーザちゃんたちと出会ったおかげなのです。
フリーザちゃん、表彰ありがとう。
こちらこそ、これからも末長くよろしくお願いいたします。(返答)
多分、一人歩きし始めたフリーザスタイルはこれからも数字を伸ばし続けることだろう。
次の祝いは5000かなw
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