【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第10話

 やっぱり、掃除だった。しかも、読みも当たった。
 ユキは掃除の箒の柄を握り締めながら、気づかれないようにターゲットの人物を注意深く観察した。同じ掃除の班の子には、先に先生に報告に行ってくれるよう頼んであるからもういない。後は、ターゲットの友達が消えてくれれば舞台は整う。
 ユキは須藤がここにくると半ば確信していた。須藤と二人きりで会って、どうしても確認したいことがあったのだ。そのために、掃除が終わってもずっとここ、中庭にひそんでいたのだ。
 中庭の噴水の陰に隠れるようにしながら、ベンチに座って友達とじゃれあっている、須藤をにらむように見つめる。須藤の話し声は噴水から溢れている水の音で何も聞こえない。これだけ見ているのに、相手は全く気づく様子がない。よっぽど気配に疎いらしい。
 この間の告白で、放課後ユキは体育倉庫の裏に呼ばれた。お昼のあの時間に体育倉庫の裏に呼び出すのは珍しい。体育倉庫は、三年のどの教室からもひどく遠いし、お昼の後に体育の授業があるクラスが必ず体育倉庫に早めに来る。だから、体育倉庫は三年生にとって行くことがそもそも大変で、人に見つかる可能性だって高い場所のはずなのだ。
 その場所に、須藤先輩はこのあいだわざユキを呼び出した。わざわざ短いお昼休みに呼び出したということは、普段お昼を中庭で食べていて、どのタイミングで体育倉庫に人が来るかよくわかっていたからだろう。
 お昼を中庭で陣取って食べているグループは陸上部の奴らだ。クラスの陸上部の子に確認すると、確かに須藤は陸上部だった。陸上部、かつ、もうあとがない三年生なら、夏の大会が近いから、テスト期間はまだ続くものの、試験後に少しは部活の練習をするかもしれない……そのために、体育倉庫に備品を取りに来るはずだ。
「って思ってたけど……読みが当たりすぎるのもね」
 地面を掃いているフリをしながら、ユキはこそこそと須藤をマークし続ける。そのうち、須藤の仲間が何か取りに行くことになったらしい。須藤以外の三年の奴らが笑いながらどこに行った。取り残された須藤はしばらく手を振ってから、カバンの中からノートを取り出した。やっぱり、テストも気にかかるらしい。多分、勉強したかったけど友達の誘いが断りきれなかったというところだろう。
 須藤の友達が帰ってこないのをしばらく確認してから、ユキは箒をその場に置いた。こつんと小さくレンガの地面が音をたてた。そして、噴水の陰からゆっくりと出て行く。
 静かに歩いて須藤の方まで行き、目の前で止まった。体育倉庫の前の二三段しかない階段のところに座っていた須藤を見下ろす。ノートがユキの陰で暗くなった。
「こんにちは、先輩」


 不敵な声色で声をかける。ぱっと反射的に須藤の顔が上がった。にっこりと口の端と端を引き伸ばして笑顔を見せる。こう笑うと、自分が結構怖く見えることを承知の上で、だ。
「あ……ユキちゃん」
「慣れなれしく呼ばないでください。そう呼んでいいのはアサだけですから」
 隠すこともせず不快な顔をする。本当に気持ち悪かった。だいたい、どうしてこいつがそういうふうに呼ばれていることを知ってるのよ。
 須藤は始め驚きで目を見開いていたが、さすがに一年のユキはどうってことないと思ったのだろう。ゆっくりとノートを置いて立ち上がった。立ち上がると、ユキは須藤を見上げる形となってしまう。
「何か用?」
「はい。少し、話したいことがあって」
 見下ろされていても、威嚇するような目でにらむことは止めない。
 須藤はこの間の様子とは打って変わって、かなり堂々としている。
「ふうん? 何?」
「三浦安沙奈に、ラインを聞いたらしいですね」
 落ち着いた声で話すと、須藤は一瞬何のことか分からないような顔をした。
「三浦……?」
「もしかして、名前も知らないで聞いたんですか?」
「ああ、アサちゃん?」
「だから、そういうふうにあたしたちのこと呼ばないでください」
 須藤は軽く苦笑して、ごめんごめんと謝った。その余裕っぷりがユキの神経をゆっくりと逆撫でする。頬が引くつきそうになるのを何とか堪える。
 大丈夫。弱みを握ってるのはあたしなんだから。
「そいで? それがどうかした?」
「今後、一切アサに近づかないでくれますか?」
 凛とした声で言うと、小さな声だったのに、中庭いっぱいに静かに響いた。
 須藤はしばらく無言でユキの方を見ていた。多分、染めているだろう茶色がかった髪がさらさらと揺れる。その髪のせいで、にきび一つない顔に陰りができた。
「……それは、何で? あー、悪いけど、俺もう君には興味ないんだよね」
 須藤はぽりぽりと頬をかいた。その顔はうっすらと笑っているが、ユキはほんの少しだけ気味悪さを覚えた。目が、少しも笑っていなかったからだ。
「それは、光栄です。こっちも、全く好きじゃありませんでしたから」
 気持ちをしゃんと奮い立たせるように、表情はなるべく変えないようにする。夏を含んだ匂いが中庭の草をふわりと揺らす。その夏風に押されるように背筋をぴんとん伸ばした。
「あたしとアサの間に、先輩は入れないってことを、あらかじめ言っておきます。だから、これ以上アサに引っ付いたりしない方がいいですよ。傷つくのはそっちですから」
 それに、アサだってきっとどうずればいいかわからなくなる。
 わからなくなって、もしかしたら、何かが変わるかもしれない。
 須藤の方にぴたりと目線を上げたまま、そっとカーディガンのポケットを触った。スマホが入っていることを確認する。
 須藤は少し黙ってうつむいていたが、やがて顔を上げた。さきほどの怒りを隠すような笑顔はもう消えていた。
「あのさあ、そういうこと君に言われる筋合いないと思うんだよね。だってほら、こういうのって自由にやるもんでしょ」
「アサ以外の人と自由に恋愛やってもらう分には構いません。でもアサだけはダメです」
「何でだよ?」
「アサはあたしのだからです」
 それに、あたしはアサのものだから。
 初めて須藤から目線を逸らした。自分の手がひんやりとしてきたから軽く握る。それから、茶色いカーディガンのポケットから白いスマホを取り出した。そこから、データフォルダを開く。
「はあ? 意味わかんねえよ。お前らできてるわけ?」
「分からなくて結構。彼女や友達にはっきり自分の意見が言えないチキンな先輩にわかるはずないもの」
 スマホに録音してあった音声を聞かせながら、敬語を使うのはもう止めることにした。勝敗は、多分こちらだから。音量を最大にして、先輩を見上げると、目の前にいる先輩の顔がみるみる変わっていった。怒りから、焦りの表情へと。
「おい、それ……!」
「この間、先輩があたしを呼び出したときのよ。スマホに録音しておいたの。先輩、結構モテるって聞いたけど……かっこいいイメージなのに、こんなの聞かせたら、先輩を好きな女の子たちはどう思うのかしらね」
 スマホからは、粗雑な機械音の中に、確かにこの間の須藤の声や彼女の声が入っている。誰が聞いても、須藤が実は女たらしで、ヘタレなチキンだということが分かるだろう。
「おい、汚ねえぞ!」
 ばっとスマホを取り上げようと須藤が手を伸ばした。その瞬間、ユキはスマホを制服のスカートのポケットの中へと滑り込ませる。いくらなんでも、スカートのポケットの中に手を突っ込むことはできないと見込んでだ。
「汚くていいわよ。これ以上、あたしたちの前にチラついたら、この音源、あたしの知ってる人全員にばら撒くから」
 悔しそうににらみつける須藤を一瞥してから、ユキはくるりと背を向けた。そのまま、石畳の地面をまっすぐに歩いていく。
「お前なんか、一生誰も好きになんねえよ!」
 苦し紛れに吐いた須藤の言葉が、耳に入った。けれど、すぐさま噴水の横を通り過ぎたから水が落ちる音しか聞こえなくなった。
「……別にいいもの」
 そんなこと、わかってることよ。
 スカートに入れたスマホを取り出して、カーディガンのポケットに移し変える。ラインが来ているかどうか確認したが、特に誰からも来ていなかった。
 こういうとき、ひとりでいるとどうしようもなく不安になってくる。
 ユキはぐっと息を押さえつけるようにして止めて、すぐさま深く吐き出した。
上を見上げると、夏が近いことを表すような青い空と、日の光に照らされている熱そうなアスファルトの校舎が見えた。でもそれもすぐに陰って、校舎の壁でさえぎられる。
いつごろ気づいたのかはもう覚えていない。あたしのことが好きだって言う人は、あたしが好きなんじゃなくて、あたしの見た目が好きってこと。今のそのままのあたしを全部丸ごと受け止めてくれているのは、きっとアサだけ。だから、あたしは失うわけにはいかない。
 校舎の中に入り、日が当たらない暗い廊下をしっかり前だけ向いて進む。
 こういうずるいことをしても、あたしは許される。多分、アサだって分かってくれる。あたしとアサのためだって。
 無表情で、顔が決してうつむかないように、アサが待っている教室まで止まることなく進み続けた。階段を上がるたびに、少しずつ視界が白く明るくなってくる。一年生の教室は上の方だから、一段階段を上がるごとに光の量が増していく。アサのいる教室がある階段を上りきり、廊下に備え付けてある開いた窓が見えた。そこから、さっき見た青い空が綺麗に切り取られて光がこちらに差し込んでいる。生ぬるい風がふわりと廊下に吹き込んでくる。
 それに、今はそんなことよりも夏休みよ。夏休み、アサと一緒に何しようかしら。ああ、二人だと、やりたいことも、できることも多すぎるから、悩むわ。
 教室までの明るく長い廊下を、急に全力疾走したくなった。窓から時たま入ってくる風の匂いは、夏を含んでいる。息を大きく吸うと、余計長い廊下を走り出したくなってくる。全力疾走しないと、これから起こるだろうアサと一緒の胸躍るような時においていかれそうになる気がした。
 ユキは全力疾走をかろうじて抑えて、駆け足程度でアサの待っている教室に向かった。硬く冷たい廊下に、明るくユキの足音が響き渡る。 

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