【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第4話

 ユキは、自分に呼び出しがかかっていることを知っていた。体育が終わって下駄箱に戻ると、青い何の変哲も無いメモ用紙が一枚入っていたのだ。そのメモに、何時にどこに来てほしいのか、その際は一人で来るように、ということまで、きちんと書かれていた。
 読んだけど、行く暇なんかなかったのよ。
 心の中で言い返すが、今の彼女たちに何を言ったって無駄だろう。事を早く終わらせるには、黙っているのが一番いい。アサのように、頭で考えないで行動するのがこの場合、一番やっかいなことを引き起こしやすい。
 目の前では中学二年の頃の景色がまた繰り広げられていた。どこに行っても馬鹿な奴らはいるもんだ。こんな男に引っかかる奴も馬鹿だし、引っかかった上にまだ慕い続けているのはもっと馬鹿だ。
 化粧でババくさく見える先輩たちを呆れた顔で見つめ返す。
「だから、祐美(ゆみ)! 康祐(こうすけ)はあたしと付き合ってるの! それなのにどうしてあたしが黙っていなきゃなんないわけ?」
「だって、それは昔の話でしょう? だいたい、今康祐はあたしと付き合ってたのよ。だから今のこの状況はあたしと康祐の問題で、佐々木さんの出るところではないわ」
「ちょっと、待って。鈴木さんの言ってることだとあたしも康祐にふられたみたいじゃん! それは違うから!」
「何が違うわけ? 佐々木さんと吉田さんはふられたんでしょ」
「違うっ」 
 おお、ハモった。
 茶髪の先輩と毛先がやたらクルクルしている先輩が同時に叫んだ。
ユキはこっそりこの事態を引き起こした張本人を見た。そいつは困ったように笑って……いなかった。恐ろしさに声も出ないような顔をしている。
 女たらしの上にへタレね。このチキン。
 心の中でそっと毒づいて、ぎゃんぎゃん騒いでいる先輩たちから一歩引いて、相手に悟られないために距離をとった。手首を捕まえられて、逃げられなくなるのだけは避けなければ。それから、校庭に通じている細い道を見た。ここは体育館倉庫のせいで日陰になっているからか、校庭の方がやたら明るく眩しく見える。足元の濃い緑色の雑草を見下ろすと、よけいに向こうが眩しく見えた。
 あと少し、この場から離れられれば、逃げ切る自信はあった。だてに十六年間もアサと過ごしたわけではない。足の速さも瞬発力も、アサ以外に負けるつもりはなかった。
 慎重に、気づかれないようにちょっとずつ、倉庫の壁に背中を預けながら横にずれて行く。倉庫の壁はコンクリートでできていてひんやりと冷たい。足元で湿った砂が小さくじゃりっと音を立てた音がした。が、先輩たちが気づく様子はない。
 もう、いいかしら。
 先輩たちが気づいていないことを確認するようちらっと見る。誰も、ユキのことなど気にしていない。
 よし、走れっ。
「ユキーっ」
 聞き慣れた声が、頭の上から降ってきた。
 いきなりのことにびくっと体が震える。
 声がした方を見上げると、倉庫の脇に生えてある木の枝に見慣れたヤツが自信満々で立っていた。手を腰に当てている。
「バッカ……! 何で来んのよ!」
「へ? 助けに来てあげたんだよ! あっうわっ」
 珍しくアサはバランスを崩した。そのまま木から落下する。
「っと、危なかったあ」
 アサは空中で上手く体制を整えて綺麗に着地した。それから何でもないような顔で須藤先輩とその彼女たちも無視してユキに歩み寄る。
「大丈夫? 怪我してない?」
「……してない」
「ならよかった! アサ道分かんなくってさあ。来るの遅くなっちった」
 アサは満面の笑みでにっこり笑った。
「ちょ、ちょっと! あんたいきなり出てきて何なの?!」
 今までアサが登場した状況についていけていなかった先輩たちがやっとショック状態から脱出したらしい。
 アサは先輩たちの方を無表情で振り返って、つかつかと歩み寄った。三人いる彼女をまず一瞥する。
「三人か……減ったね」
「はあ? 何のこと?」
 先輩の彼女だと言い張る人のケバい顔が一斉にわけがわからない、という顔をした。
「こっちの話! ねえ、ユキ?」
「え、ああ、まあ減ったけど」
 すぐに二年前のことを話しているのだと分かった。
 それからアサは、もう彼女たちには興味を失ったように奥に立っている須藤先輩の方に歩いていった。
「何だっけ……杉田先輩?」
「いや、須藤……」
「あ、そうそうっ須藤だ!」
 パチンとアサは指を鳴らした。
 可哀想に、須藤先輩はすっかり動転してしまったようで、後輩であるアサに対してもかなり萎縮しているように見える。倉庫の裏は暗いから、余計須藤先輩の表情が暗く見える。
「あんまし、好きじゃない子にも優しくしない方がいいよ! こういう状況になっちゃうのって、大変なんだから。わかったでしょ?」
 あら、アサにしてはまじめなコメント。
 先輩は、はいともいいえともつかない顔で「はあ」とだけ返事をした。アサはその返事に満足したのか、ユキの方に戻ってきた。
「ん、じゃあ、ユキ行こう」
「あ、ええ」
 先に歩き始めたアサをユキは慌てて追っかけた。ひんやりとしめっていた空気が、アサが来ただけでぱりっと乾燥した暖かいものに少し変わった。 
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 彼女のうちの一人が大声で叫んだ。ユキとアサは振り返った。茶髪で一番ケバい彼女だ。彼女は一直線にアサの方に歩いていく。
「あなた、名前は何?」
「アサだよっ」
 アサが片手を上げてふざけて答えると、相手は本気で怒ったように目を吊り上げた。
 やばい。アサの馬鹿!
 目の前の茶髪の先輩が手を強く握り締めたのが見えた。
「アサ! 危ないっ」
 ユキが叫んだのと同時に、茶髪の手が振り上げられた。その手は、まっすぐにアサの頬へと向かって振り下ろされた。
「ユキー? アサがこんなのの手に当たるわけないでしょ」
 一瞬で身を屈めたアサが当たり前のようにユキを見上げる。
 ユキはほっと胸を撫で下ろした。それでも、強気で言い返す。
「わかってたけど、一応よ! ほら、行かないと。さっき確かもう始業ベル鳴ってたわよ」
 ユキが手を差し出すと、アサは嬉しそうにその手を握った。
「じゃ、ちょっと走ろっ」
 立ち上がったアサにぐいっとユキは手を引っ張られた。
 後ろをちらりと振り返ると、みんな呆然としてアサとユキを見つめていた。それから、前を向いた。手を引いてくれているアサの背中が見えて、その先にやたら眩しい校庭が見える。
 アサと一緒に走っていると、いつも楽しくなってくる。アサと一緒に行く道は、いつもどこに繋がっているのか分からなくってわくわくする。何が起こるのか、全く予測ができなくて、当たり前のことまでもきらきら輝いて見えてくる。
 光の玉が、輝きながらアサとユキの周りで爆ぜているように感じた。次々に爆ぜていき、そのたびに小さな金色の花火のようにユキとアサの回りを光で満たす。
ユキはアサには聞こえないように喉の奥の方でくつくつ笑った。
「ユキ? 何か笑ってる?」
 まっすぐ前を見て走りながら、アサはユキに声をかけた。
「何に笑うのよ。いいから急ぐの!」
 笑わないように奥歯を噛み締めて、アサの一歩前に出た。いつのまにか、手を離していた。それでも、アサはユキの横に並んでいる。
 アサが横で走っているのをユキはしっかりと、でも一瞬だけ見た。こういうとき、いつも思う。
 きっと、今、あたしは誰よりも、楽しんでるんだ。

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