【小説】『もうすぐ、光の玉が爆ぜる』第6話

 机の上がすごい勢いで散らかっていく。始めはノートや教科書類だけだったはずなのに、気付けば空になったお菓子の袋が山のように積み重なっている。カラフルなお菓子の袋は見ているぶんには楽しめるが、匂いも伴うとそうもいかない。ユキは自分のノートから顔を上げて、好き勝手に人の部屋を散らかすアサを見た。
「アサ、あんたねえ……」
 呆れた声で呟くが、アサは全く気付いていないらしい。当たり前だ。アサの耳にはワイヤレスイヤホンが押し込んであり、スマホから流行りの曲を爆音で流しているのだから。
 どんだけ馬鹿でかい音で音楽聞いてるのよ!
 ユキは無言で目の前で体を音楽に合わせて揺らしながら、英単語を覚えているアサの耳からイヤホンをもぎとった。
「ああ?! 何すんのー?」
 驚いた顔でイヤホンを取りかえそうとするアサをにらみつける。イヤホンからはアサが好きな歌手の歌が微かにもれている。ユキも好きな歌手だ。まだ聞いたことがない歌だったから気になったけど、ここでユキが歌を聴いてしまったら収拾がつかなくなってしまうからぐっとこらえる。
「こんなの聞いてやっても、覚えられないでしょうが!」
 ワイヤレスイヤホンの電源をオフにする。アサは不服そうな顔をして、飴玉をひと粒口の中に放り投げた。
「それも! お菓子食べながらは禁止」
 まだ中身が入っているお菓子の袋を取り上げた。
「やだー返してよ! あれはアサの元気のもとなの!」
「勉強に元気はいらないわよ。あ、こら! ふとんの上で足をばたつかせるな!」
 ユキの部屋に置いてあるベッドの上で暴れるから、ほこりがすごい勢いで舞っているのが分かった。
 本当に、何歳児だ、こいつ……。
 ユキは疲れた顔をしてアサを見つめた。アサは足をばたつかせるのこそ止めたが、今度は悲しそうな顔をして英単語を見つめている。そんな顔されたら、こっちだって気分が重くなる。
 ここはユキの部屋だ。今はアサが持ってきたお菓子のせいでだいぶ汚れてしまっているが、本当は普段は今の状態も何倍も整理整頓がいきとどいた綺麗だ。脱いだ服が床に置いたままっていうこともないし、ゴミがゴミ箱に入ってない事態も本当はあり得ない。全てアサが来たからだが、テストのたびにこうなるからいい加減見慣れた風景だ。
 アサの住む家は、水川家の隣にある部屋である。同じ団地で、同じ階で、そしてお隣さんだ。
 自転車で帰ってきたユキとアサはさっそく、ユキの部屋に集まった。中間テストの勉強時間はあと三日間しかない。その間に何とかしなくては。そう思ってはいるのだが、さっきからさっぱり進んでいなかった。ユキはまあ大丈夫として、アサは口の中でころころ飴を転がしながら勉強をしている。それだけならまだいいものの、飴の袋に突入する前はポテトチップスやクッキーを平気で食べていた。いくらなんでも食べ過ぎだし、勉強に集中できていない。
「だってさー、お腹壊しちゃったからお腹減っているんだもん」
 そうだ、夕飯……。
 思い出すように壁に掛かっている青いシンプルな時計を見上げると、いつもの夕飯の時間はとっくに過ぎていた。ユキのお腹も空腹感を感じ始める。
「どうする? あたしの家でご飯食べていく?」
 アサを見ると、アサは自分の鞄を引き寄せて、スマホを取り出した。
「ちょっと待って。お母さんに聞いてみる」
 聞いてみるってことは、アサはあたしの家で食べたいのよね。
 当たり前になった習慣だが、今日の帰り道のことがあったからなんとなく心の中でほっとする自分がいる。
 ユキはまだ、帰り道の自転車に乗りながらアサがなんであんな質問したのか聞いていなかった。普段聞かないようなことを聞いてきたうえに、ちょっぴり泣いていたし。絶対にユキが知らないうちに何かあったはずだ。
 何があったのか、ちゃんと聞かないと。
 そう思ってアサを幾度となく見たのだが、今のように、布団の上にペタンと座るようにして電話しているアサを見ていると、何となく、聞くのはよくない気がしてくる。ここは、アサを信用して、アサから話してきてくれるのを待つのがいいのかも知れない。
 ……とか考えるけど、あたし、本当は何が起こったのかあんまり知りたくないのかも知れないわ。
 自分の心の中の声に思わず顔をしかめるのと、アサがスマホを耳から離すのとほぼ同時だった。
「何だって?」
「直樹も忙しいし、有姫ちゃんのところで食べなさいってさ」
「あ、そっか。アサがいると勉強の邪魔になるものね」
「ちがうもん! そんなことないよっ」
 いつもと同じ調子でアサと話しながら部屋を出て洗面所に行くと、狭い洗面所には先客がいた。


「あ、安沙奈ちゃん?」
「ああー咲姫ちゃん! 久しぶりだねっ」
 アサと咲姫は嬉しそうに二人できゃあっと喜んでいる。咲姫の長くてほんわかと緩く巻きが入っている髪が、今日は出かけていたことを物語っている。
「咲姫ねえ、帰って来てたんだ」
「ちょっと前にね。玄関見たら可愛いスニーカーあったから、もしかしたら安沙奈ちゃん来ているかもって思っていたところなの」
 おっとりした顔で咲姫は微笑んだ。笑うと、八重歯が少し見えた。
 今年高校三年生になる咲姫は、世間から見れば受験生だ。しかし、高校が大学まで直結していて、しかも咲姫の内心なら十分希望の学部にいける。だから、今はのんびりと自分の好きなことをして過ごしている。性格はユキと正反対で、ユキ自身も、どうしてここまで性格が違う姉妹ができるのか不思議に思う。似ているところと言えば、容姿ぐらいなものだろう。
「今日は多分、アサお泊まりなんだ」
「そうなの。あ、中間テストの時期なのね」
 アサがお泊まりイコール試験の時期と咲姫の頭の中では成り立っているらしい。
「ごめんね、咲姫ねえ。ちょっと今日は夜遅くまでうるさいかも。寝にくくても勘弁してね」 
 先に手を洗ってリビングの向かってしまったアサの背中を見ながら、小さく呟いた。アサはもう夕飯にしか興味がないようで早速、台所のほうへ向かっている。あれだけお菓子を詰め込んだくせに、まだ食欲があるなんて、信じられない。
「いいわよ、そんなこと気にしなくて。久しぶりに安沙奈ちゃんが見れて嬉しかったもの。相変わらず、変わってなくて、すごくいいと思う」
 何がいいのかわからなかったが、咲姫はたまによくわからないことを言うから、つっこまないでおく。それに、すごく嬉しそうな顔をしているから咲姫ねえがいいなら、いいわと思ってしまう。
「あ、そうだ。咲姫ねえ、今日の夜、暇よね?」
 食卓の椅子に着いてから、ユキはアサに混じってお椀を運びながら咲姫に訪ねた。
 アサが意気込んで母の手伝いをしている。今日はハンバーグらしい。気のせいかもしれないけれど、アサが家にいる日の夕食はいつもお子様ランチのようなものになる。別に嫌いでもないが。
「暇だけど……どうして?」
 みんなの席に白い湯気がたっているご飯茶碗を置きながら、咲姫が首を四十五度ぐらい傾けた。無意識でやっていることだと思うが、咲姫がこれをやると妹のユキでさえ姉をかわいいと思ってしまう。
「テストが三日前に迫ってるのに、アサったら何かいまいち集中できてないのよね。このままじゃ初の豊駕島なしの夏休みになる可能性もでてきてるの。だから、アサの勉強一緒に見てくれない? あたしは自分の勉強もあるし」
 お願い、と頼むポーズをすると、何だ、そんなことと咲姫が微笑んだ。
「もちろん。わたしもみんなとドンチャン騒ぎしたいもの」
「え、ドンチャン騒ぎなんかしないわよ」
「えー? でも、いつもテストのときは有姫と安沙奈ちゃんでドンチャン騒ぎしているじゃない」
 不満そうな顔で咲姫は口を少し尖らせた。
「好きでドンチャンやってるわけじゃないのよ……」
 脱力した感じで言ったが、咲姫にはいまいち伝わらなかったらしい。まだよく分かっていないような顔をしている。でも、ま、協力してくれるんだったら、なんと思ってくれてもかまわない。
 アサが母の手伝いを終わらせて席に着いた。
「なになに? 何の話してたの?」
 おいしそうに熱々のハンバーグをほおばりながら、アサがユキの方を見た。ついでに言うと、アサが持っているお茶碗も、お箸も、全てアサ専用のだ。ユキの家ではアサがご飯を食べることが昔から日常茶飯事だったから、アサ専用の食器や歯ブラシもある。アサの家にも、ユキ専用のものは置いてある。
「アサ、いい話よ。ご飯食べたら咲姫ねえがアサの勉強見てくれるって」
「え、ほんと? わーい。人数多いほうが楽しいもんね」
 嬉しそうにアサは咲姫の方に目をやった。こっちもこっちで遊びの気分だ。何だか無性にに不安になってきてしょうがない。
 箸でハンバーグを小さく切り分けながら、あたし、いつもどうやってアサの勉強間に合わせてたんだっけ……と真剣に考えた。本当に、いつもなんとなくで間に合わせるのだから、アサもすごいし、あたしだってすごいわと一人で思った。切り分けたハンバーグを食べてみると、いつもよりコショウが効いてなくて、ぴりっとした辛味がなかった。ぼんやりとした味を噛み締めながら、ご飯を食べたあとの勉強の予定を考え始めた。

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