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【小説】『星をたどるように(七星の場合)』第1話

 青天の霹靂という言葉は知っていた。でもまさか、本当に真っ青な空が広がる日に、この言葉にぴったり当てはまる出来事が自分の身に起こるとは、思ってなかった。
今日は終業式の前日。ときめきであたしの心はいっぱいだった。小学校においてある重たい荷物は何日もかけて少しずつ持ち帰った。教室の中にある自分のものが減れば減るほど、心まで軽くなった。相変わらず、クラスのみんなは誰も用事がない限りあたしに話しかけないし、あたしは中休みも昼休みもずっと図書室で本を読んで過ごしていたけれど、へっちゃらだった。
だってもうじき夏休みが始まるのだ。
夏休みは、かき氷をとアイスを食べて、詩緒と映画を見に行って。そうだ、詩緒と新体操の先生の謎を解き明かすってやつも実行しないと……。
むふふ、と幸せな妄想を続けながら、あたしはスイカバーをかじり、スマホで動物の可愛い動画を眺めていた。今日このあとは新体操だ。学校が違う詩緒に会えるのは新体操のときだけだから、楽しみでしょうがない。
 そんな癒やしタイムをぶち壊したのが、パートから帰ってきたママだった。
「ただいま〜。あ、七星、これ申し込んだから。とりあえずこの期間は遊びの約束とかしないようにしてね」
 バタバタと両手であおいで、暑い暑いと呟きながら、ママがあたしのスマホの画面の上に紙を落とした。当たり前だが、動画が見られなくなる。
「もう、今動画見てるのに!」
「何度でも見られる動画でしょ。ちゃんと読んでおいて」
 あたしのほうを一度も見ることなく、ママは忙しそうにキッチンへいってしまった。しぶしぶ紙を見ると、その紙は塾の夏期講習のおしらせだった。
 塾? 夏期講習?
 思わず口が半分開いた。
 なんだこれ。これ、あたしの? 灯理のじゃなくて?
 いや、灯理は去年、中学受験が終わっているんだった。
 ちらしには、はっきりと対象年齢五年生、つまり、あたしのための夏期講習だということが明記されている。
 これは、一大事だ。
「ママ、ママ⁉」
 大声で叫びながら、食べ終わったアイスの棒と紙を二枚つかんで、キッチンへと駆け込んだ。
「ママ!」
「なあに、そんな大きな声出さなくても聞こえているわよ」
「だって、これ! 夏期講習!」
「もう七星も五年生だしね。家で勉強させてるといっても中学受験するならそろそろ、塾には行っておかないとでしょ?」
「……通うの?」
「九月からね。週五で塾。入塾テストは多分受かるから大丈夫よ」
「そうじゃなくて!」
 あたしはママの声をかき消すような大声をだした。
「そうじゃないよ、だってママ、これ見た? 夏期講習、新体操の夏合宿とかぶってるよ。それに、九月から新体操はどうするの? ていうか、あたし中学受験するの?」
 灯理は、あんなことになってるのに?
でかかった言葉をなんとか飲み込んだが、ママには伝わるものがあったらしい。忙しそうにじゃがいもの皮をむいていたママの手が、初めてとまった。くるりと振り返って、あたしと目があう。
「あのね、ママはね、新体操は中学に入ってからがんばれば良いと思う。それに、新体操がんばりたいならなおのこと、中学受験するべきよ。新体操部が強い中学にいくの。地元の中学じゃ、新体操部すらないじゃない」
「べつに、部活で頑張らなくったって、このまま習い事を続けていけば」
「幼稚園から五年生の今まで、続けてるのって七星と詩緒ちゃんだけでしょ? 中学生になったら幼稚園のホールじゃなくて隣の駅の体育教室まで通わないといけないし。遠いじゃない。だったら、新体操の強い学校にいって毎日部活で練習したほうが、早く上達する」
 でも、とママを見続ける。
 だって中学受験して良いことある? 灯理はあんなに一生懸命頑張って勉強して入った中学校に通えなくなったんだよ。あたし今、学校全然楽しくないんだよ、週二回、新体操で詩緒に会えるから、毎日学校に通えているだけ。その唯一、あたしが息できる場所の新体操をなくすの? ママ、本気?
「でも」
「でも、じゃない。もうこれは決まったこと。秋になったらいろんな学校の文化祭を見に行きましょう。きっと、ここに通いたいなってところが見つかるから」
 話はこれでおしまい、というように、ママはまた流しの方をむいてじゃがいもの皮をむき始めた。
「今日は夕方、新体操でしょ? ママ、先生に夏合宿休むことと九月から辞めることを電話しておくから。七星は詩緒ちゃんに新体操やめるってことを伝えておきなさい」
「……でも」
「7、8月は新体操続けるのよ、夏合宿にいかないだけ。だからあんまり考えすぎないの。詩緒ちゃんにもう二度と会えないってわけじゃないし。中学で新体操部入ったら、詩緒ちゃんくらい仲の良い子が、学校でできるかもしれないわよ、そうしたら毎日、楽しいでしょう。ほら、今日ママ忙しいのよ。サラダとカレー作ったらこのあと灯理と灯理の学校に行かないといけないの。お夕飯は、パパが帰ってきてからパパと先に食べておいて。じゃ、はやく新体操の支度しなさい、そろそろ時間でしょ?」
 あたしは黙って、ママの横に立って、心の中にある言葉のバケツの中をあさっていた。ママに対抗できる言葉、あたしの気持ちを理解してくれる言葉を探したが、あさってもあさっても、言葉が見つからなかった。
ママには、あたしが学校でどんなふうに過ごしているのか、一ミリも言っていない。
でも、今の言い方からしてたぶん、ママは何かしら気づいてる。気づいていて、中学受験をして新しい環境にうつれば、あたしがもっと学校を楽しめるはずだと信じているのだ。
 まったくもって、ママはあたしのことをわかってない。大きな声でちがうちがうと赤ちゃんのようにだだをこねたかった。でも、そのあとに続けなければならない説明、そのための言葉や文章が、さっぱり出てこないから、あたしはこくん、と一つ空気を飲み込んだ。
 ママはわかってない。
あたしはもう、諦めてる。今さらなんの期待もしていない。だからせめて今もってる幸せだけは続くように両手で大事に持っていたい。それだけなのに。
「……新体操、いってくる」
 なるべく平坦な声になるように気をつけながらママの背中に声をかけると、あたしはまっすぐ玄関に行った。準備してあった新体操のリュックをつかむと、帽子もかぶらずに重  い体を投げ出すように、熱と光がうずまく外へと出ていった 。

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