【オンスロート・オブ・ア・ダイコク・フロウ】#5

承前

 デスドレインとスプレンディドの攻防を注視ながら、ペネトレイトは広大な会場を駆け回る。右腕を纏う無骨なガントレット・ブレーサーにカラテを込め、砲筒内に鉄杭をカラテ生成する。同時にジツの充填をしながら。彼女の切長の眼、その瞳が紅蓮に染まる。

 ペネトレイトがその身に宿すはサクヤク・ニンジャのソウル。タマヤ・ニンジャクランのカイデン者にして、後に同クランから分派したテッポウ・ニンジャクランのパイオニアの一人となった古のニンジャだ。若き女ニンジャはそのワザを知る。但し、かつてのサクヤク・ニンジャと違って彼女は鉄杭の生成及びバクハツ・ジツの充填に時間を要する。威力は申し分ないが単騎での運用は厳しく、連携によってその真価を発揮する。

 ジツを溜めながら、ペネトレイトはデスドレインを睨んだ。彼が吐き捨てたマスター・スプレンディドへの許し難い罵倒に彼女の心中は煮えたぎっている。炎のように燃え上がる怒りの感情がバクハツ・ジツの充填を後押しする。ガントレット・ブレーサーの砲筒が熱を帯び、不穏な光を湛える。

「ゴチャゴチャうるせェんだよ!」

 デスドレインのヒリついた声音が響く。彼は眼前のスプレンディドに意識を集中させている。いける。アスミは切長の眼をより鋭敏にして、ニンジャ集中力を研ぎ澄ます。砲筒を構える。狙いはデスドレイン。鉄杭をバクハツ・ジツで押し出す。

 その時。ふいに少女がペネトレイトの方に視線を向けた。空色の瞳と目が合う。アスミは心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。偶然ではない。明確に気づかれている……!

「イィイヤァーッ!」

 澄んだ声を敵意に満ちさせ、ペネトレイトはカラテシャウトを発した。砲筒内部でバクハツ・ジツが爆ぜ、赤熱のカラテ生成鉄杭を凄まじい勢いで射出する!カヒュン!風を切り裂く金属の叫びが邪悪存在を穿たんとする!

 ……「よけて!」アズールは必死に叫んでデスドレインの拘束衣の端を力一杯に引っ張った。「アァ!?邪魔すンじゃねェ……」デスドレインは少女を睨みつけて怒声を張り上げ、苛立ちの言葉を吐こうとした。直後!

「イィイヤァーッ!」

 カヒュン!恐るべきカラテシャウトと共に高速飛来する赤熱の鉄杭!「ウオオーッ!?」ゴトー・ボリスは咄嗟に回避しようとしたが間に合わず!「グワーッ!!」ナムサン!鉄杭が痩躯の横腹に深々と突き刺さり留まる!熱帯びた杭が彼の体内を熱して焦がす!「グワーッ!」デスドレインはたたらを踏んで悶えた。

 アズールは血相を変えて動揺し、彼に突き刺さった鉄杭を引き抜こうと考えたが、鉄杭から迸る熱気をみて息を呑んだ。手を触れれば火傷では済まない。焼け溶けた皮膚が鉄杭に張りつく悲惨な光景を彼女はニューロンに描いた。

「痛ッ……てェな!?クソ!」

 戸惑う彼女を乱暴に押し退け、デスドレインは血反吐めいたヘドロを吐き出しながら遠方のペネトレイトを睨む。焼け焦げて止血された傷口から徐々に血が流れ出して、その赤色はやがて黒い液体へと変わりだした。鉄杭が刺さったままの傷口がブシュブシュと黒く泡立ち、穿孔を塞いでいく。悪魔は女ニンジャの方に手を向ける……。

「イヤーッ!」

 響くカラテシャウトはスプレンディドのものだ。振るわれた錫杖から放たれた黄金の光球がデスドレインに飛来する。「うざッてェな!」凶悪存在は不気味にグリッと首を曲げて、ぬばたまの瞳で光球を見据える。アンコクトンの沼からヘドロの壁が聳え立ち光球を呑み込む。壁が激しく痙攣して萎縮し、瞬く間に乾いてヒビ割れた。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

 黄金の光の軌跡を空に残して乱舞する錫杖、次々に飛来する光球!デスドレインは暗黒の壁を何重にも重ねて生えさせる。次々と破砕されていく暗黒の壁。飛びきた複数の光球がデスドレインの痩躯に直撃して爆ぜていく!

「グワーッ!」

 目を剥いて蹌踉めくデスドレイン。コウミョ・ニンジャのオフセ・ジツの聖なる光が齎した感触は彼にとって不快そのものであった。炸裂した光のダメージそのものよりも、ずっと不快だ。

「次!」アズールが叫ぶ。「わかッてンだよ!黙ッてろォ!」デスドレインは彼女の頭を押さえつけて声を荒げた。「イィイヤァーッ!」カヒュン!鉄杭飛来!「イヤーッ!」デスドレインは獣のような貪欲な目つきをして暗黒物質を飛ばし、鉄杭を防ぐ。暗黒がグニャリとヘコむ。赤熱鉄杭が……突き抜ける!

「グワーッ!」

 鉄杭がデスドレインの鎖骨付近を貫き穿った。穴の空いたアンコクトンがバシャリと崩れ、主人の元に戻っていく。ゴトー・ボリスの目が見開かれる。瞳に炎を踊らせたペネトレイトが、ガントレット・ブレーサーを構えて急接近していた。

 BRATATATATA !!!

 アズールが遮二無二サブマシンガンを振り回してペネトレイトを狙う。アデプトニンジャは蛇行スプリントでやり過ごし、デスドレインのワンインチ距離に飛び込む。「イヤーッ!」無骨な砲筒が狙うは悪魔の頭部!赤熱するガントレット!

「イヤーッ!」

 彼女の攻撃タイミングに合わせ、スプレンディドが錫杖を振って無数の光球をデスドレインとアズールに向けて撃ち放つ。ALAS……前門のタイガー、後門のバッファロー!アズールはスプレンディドの放った光のカーテンめいた光球群とペネトレイトの赤熱ガントレットとを交互に睨み、銃口を女ニンジャに向けた。

 BRATATATA !!!

「イヤーッ!」

 ペネトレイトは咄嗟に左腕の通常ブレーサーで無理くり銃弾を受け止める。弾丸の物理衝撃に歯を食いしばって堪えながら。その光景を睨みつけるアズールが決死の表情を浮かべ、細い喉を跳ねさせながら声を張り上げる!

「……行けッ!」

「ゴオアアアアッ!!」

 気配を殺して身を潜めていた透明の獣が少女の命に応えて光球のカーテンにインタラプトし、その獰猛な爪と牙を遮二無二振るって光球をカラテ相殺していく。だがその全てを撃墜することは叶わず、獣の巨体に幾重もの光が炸裂する。その巨躯を通り過ぎた複数の光球がデスドレインらに向かってくる。

 この間、実際数秒も満たぬ攻防であった。常人の目には捉えられぬ、超常存在のイクサ。デスドレインは自らの頭部に向けられた砲筒を睨み、それから飛来する光球の輝きに視線だけをやる。

「ッタリィな」

 ボソリと呟き、アズールを強引に抱き寄せる。瞳のみならず、彼の目全てがぬばたまに染まっている。傷口から痩躯をはち切れさせんばかりのアンコクトンが瞬く間に噴き上がり、辺り一面に拡がる暗黒の湖と一体化してジゴクめいて屹立しだす。ペネトレイトは目を見開き、状況判断。

「イィイヤァーッ!」

 アンコクトンに囚われ呑まれる前に引っ込めたガントレットの砲筒を真横に向け、バクハツ・ジツを放出。カヒュン!鉄杭射出の勢いを活かして反動跳躍して急速離脱。一瞬前まで彼女がいた空間には監獄めいた暗黒の檻が聳え立つ。アスミ・キナタコは冷や汗を額に浮かべた。

 暗黒の檻に次々と光球が炸裂する。崩れていく檻にアズールが身を強張らせていたが、デスドレインは何ら気にかけずに首を巡らせた。彼の視線は離脱していくペネトレイトを追っている。痩躯の足元の暗黒物質が激しく泡立つ。パーティ会場の天井に届くほどの暗黒の間欠泉が噴き上がる。黒いヘドロが天井一面にへばりついて拡がり、美麗なクロスを穢れに染め上げていく。汚泥の水滴がボタボタと天井から滴りだす。

「面倒クセェよ、アイツ」

 デスドレインは崩れた檻から脚を踏み出し、若い女ニンジャを睨め付ける……「グワーッ!?」彼は自らの足元に激痛を感じた。彼の踵、或いは爪先……足裏に深々と突き刺さる金属。ナムサン、非人道兵器マキビシだ!ペネトレイトは離脱の寸前にマキビシを展開させていたのである!

「……ダリィ。ダリィ、ダリィ、ダリィ……」

 床に縫いつけられた足を無理くり動かす。彼の靴ごと足裏の皮がバリバリと剥がれていき、筋組織が剥き出しになる。ボロボロになった靴を乱暴に脱落させ、露出した赤色で黒い水溜りを踏み躙る。暗黒物質がジュクジュクと剥き出しの筋組織に纏わりつく。彼の視界の端に映るは錫杖を構えたスプレンディド。暗黒の波を踏み飛び渡り、デスドレインに直接のカラテを叩き込まんと……「イヤーッ!」否、接近ムーブの途上で彼は何かに気づきその場で急停止、錫杖の石突を床に抉り込むように突き刺す。

「イヤーッ!」

 そして両手で掴んだ柄を中心に器械体操選手めいて全身をしなやかに伸ばして回転。虚空を切り裂くケリ・キック。

「GRRRR……!!!」

 獣の唸りと共に空気が歪む。スプレンディドは追撃を試みたが既に不可視の獣は存在を巧みに隠している。ハクトウは微かに眉を顰め、金色の瞳に鋭利な殺意を宿してアズールを睨め付けた。

「躾がなっていないな、アズール=サン?……君を黙らせたら、あの獣もおとなしくなるかな」

「……ッ!」

 少女は怯えた。日常の中で悪魔じみた男から与えられる恐怖とは別種の恐怖に怯えた。その怯えを隠すように、憎々しげにスプレンディドを睨んでトリガーを引く。彼女の胸の中でいつも燻っているやり場のない怒りに頼り、怯えから目を逸らす。

 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!……CLICK !! CLICK !!

 アズールは奥歯を噛み締めて一心不乱にフルオート射撃を敢行したが、無慈悲にも残弾が尽きてしまった。スプレンディドは平然と弾丸を錫杖でいなしながら距離を詰めてくる。焦燥感に駆られながら少女は空マガジンを放り捨ててリロードを行う。焦りと緊張に手元が震え、その手つきはぎこちない。

「モタモタしてンじゃねェぞアズールゥ……」

「わかッてる!」

 ヒリついた声音で詰られ、少女は不機嫌を露わにした。

「ゴオアアアア!」

 獣が躍り出て若きマスターニンジャを襲う。彼は冷徹に錫杖を振い。そして訝しんだ。手応えがない。避けられた。獣の存在を探ろうとする彼の元に電撃的速度で暗黒物質の舌先が伸びる!

「グワーッ!」

 カラテ防御体勢を瞬時に構え、アンコクトンに反発のカラテを浴びせながらスプレンディドは飛び退く。ダメージは最小限。デスドレインは舌打ちし、木の枝状に分裂した暗黒物質の触手を繰り出した。幾度の自己再生にリソースを割かれ、ジツの精度は覚束ない。黄金の錫杖が触手を薙ぎ払っていく。そこへ獣が再び襲いかかる!

「ゴオアアアアッ!」

「ヌゥーッ!」

 月白のニンジャ装束を翻してスプレンディドは紙一重で獣の牙を躱す。「イヤーッ!」錫杖持たぬ方の手に光のスリケンを四枚生成して虚空に向け水平拡散投擲。空間を歪めて突き刺さる端二枚のスリケン。獣は唸りながらそれを払い落として姿を隠す。

 その間にアズールは何とかリロードを終え。反射的に背後を振り返った。「イィイヤァーッ!」カヒュン!「グワーッ!」少女が警告を発するより先に鉄杭が射出され、デスドレインの背を穿って彼の腹部からその先端を生やした。鉄杭を射出したペネトレイトは反動跳躍で飛び退き、ステージ上へ身を翻す。

 一瞬遅れて彼女がいた地点に流動する暗黒物質が飛来し、虚しく床にへばりつく。物足りぬと言わんばかりにそれは鎌首をもたげ、ダイマル・テーブルの下に隠れ潜む生存者に襲いかかる。新たな餌を、アンコクトン・ジツの糧を貪る為に。

「イヨォードッソイ!ドッソイアバーッ!?」

 近くのロイヤルスモトリ重戦士が果敢に立ち向かい張り手を暗黒触手に浴びせるも、直撃と同時に分裂した暗黒物質が重装の関節部に入り込み、彼を内部から苛んで殺した。屍から流れた黒々とした汚泥が床に流れ、生存者を貪り食う。壮絶な絶叫と悲鳴は直ぐに途絶え、醜い水音に変わる。新たな餌を得て流れ出でたる黒の流動体が主人の元へ還っていく。

 暗黒物質がデスドレインの痩躯を這いずり上がる。病的な色白の肌に染み込みながら、ズルズルと彼の目、鼻、耳、口へと滑り込む。身体中から鉄杭を生やしたデスドレインは鬱陶しそうに頭を掻き毟った。全身から流れる赤い血がヘドロ混じりに垂れ落ちる。スプレンディドとペネトレイトは着実にデスドレインにダメージを蓄積させている。ジリー・プアー(徐々に不利)。彼はスプレンディドを、ペネトレイトを、パーティ会場を、そして……アズールを睥睨した。

 もう、全てが腹立たしかった。余裕を崩さぬオスマシ顔のイケすかない男も、ちょこまかと飛び回るウザッたらしい女も。無駄にだだっ広い空間も。モタつくガキも、犬ッコロも。己の奥底で黙りこくって力を出し切らない『神様』も。ムカつく。ムカつくならどうする。決まっている。引き摺り出す。

(((……ガイ……オン……ガイオン……ショウジャ、ノ……)))

 来た。来た、来た、来た。イイ感じだ。

 ドルル、ドルル!質量を増したアンコクトンが迸る。幽鬼じみてゴトー・ボリスの痩躯が不気味に揺れ動く。歪んだ笑みをムカつく全てに向ける。奔流する暗黒の流動体。カヒュン!飛来した鉄杭の前にアンコクトンの壁が生じる。壁を貫き穿った赤熱の杭に無数の触手がヘビめいて躍動して襲い掛かり、呑み込んでいく。

 デスドレインはアズールの首根っこを掴んだ。少女はビクリとして彼の顔を見つめた。デスドレインはその顔に、小さな口にアンコクトンを流し込む……流し込もうと考えた。彼の表情から歪んだ笑みが消え失せ、真顔になった。空色の瞳をジッと眺めて……それから彼はいつものようにニタニタと嗤って、愉悦に眼を弧にした。デスドレインはアズールを殺さなかった。

「イヤーッ!」「ンアァァ……!?」

 彼はニヤケ面のままに少女を空中へ放り投げた。唐突に身動き取れぬ宙空に放られたアズールは空色の瞳に深く重たい絶望を滲ませた。金色の瞳が、紅蓮の瞳が、無防備な彼女を見ている。冷たい孤独感に心が竦む。泥めいて鈍化する主観時間のなかで、少女は無慈悲な死のビジョンを幻視する……。

「アズール!そのちょこまかしたウザッてェ女ァ、ブッ殺せェ!」

「……ッ!」

 デスドレインの声がニューロンに嫌というほどに響き渡った。鈍化していた主観時間が緩慢に解凍され、世界が元通りになっていく。手離しかけていたサブマシンガンのストックを強く抱える。紅蓮の炎を宿した女の瞳が彼女を見据えている。ペネトレイト。赤熱するガントレット・ブレーサーの砲筒が少女に向けられる。主観時間が等速になる。

 アズールは獣を呼んだ。イヌガミ・ニンジャの化身は少女の声に応え、飛んだ。

「イィイヤァーッ!」

 ペネトレイトのカラテシャウト。爆発音。カヒュン!空気を裂く金属の音。だが獣の方が遥かに速い!

「GRRRRR !!!」

 立ち上がる大質量の黒い波を背に弾丸めいて突貫した不可視の獣が赤熱鉄杭を爪で切り裂き、弾き飛ばした。勢いそのままに突進した壁を蹴って身を翻し、空中で自由落下する少女をマズルで掬い上げる。アズールは奥歯を噛み締め、決断的に手を伸ばす。獣が眼下を通り過ぎる前に、しがみつく。

 先の砲撃で反動跳躍したペネトレイトを、空色の瞳がキッと見据える。透明の毛皮にしがみつく力を一層強める。アズールは獣の背で叫ぶ。

……アイツを殺せ!

 不可視の獣が吠え、その四つ脚で床を、壁を蹴って飛ぶ。恐るべき加速を以てペネトレイトに迫る!


◆◆◆

 ……不可視の狼が対峙していたスプレンディドの元から踵を返して反転、急速に飛び離れた。「イヤーッ!」背を向けて飛び去る巨獣を、それを呼び寄せる無防備な少女とを仕留めるべく若き貴人は跳躍。黄金の錫杖を構え……その眼は大きく見開かれた。立ち上がった巨大な黒い波がスプレンディドの行手を塞いでいる。

「ヘヘヘヘ。ガキばッか見て面白ェかよ、オイ?」

 そう言ってデスドレインは身体に刺さった杭の一本に手を掛けた。凄まじい熱が彼の肌を焼き焦がし、鉄杭と癒着させる。「アッチィ!ヘヘヘヘ!」ヘラヘラと嗤う。鉄杭と手との接合部にジュクジュクと煮え滾った黒い泡が生じる。鮮血と暗黒を迸らせて鉄杭を無理やり引き抜き、ゴミのようにそこらに捨てて別の鉄杭に手を触れる。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

 スプレンディドは押し寄せる大質量の黒波を黄金錫杖で打ち据えていた。オフセの光がアンコクを押し退け払う。ヒビ割れたそばから更なるアンコクが噴出する。「イヤーッ!!」マスター・ニンジャは顔を顰めて力強く錫杖を振い打擲。カラテ反動に乗ってバネめいて跳躍し、黒波に光球の弾幕を散らしながら後方へ下がって着地した。

 無数の光球を受け止めた黒波が萎縮して痙攣し、液状化してデスドレインの元に戻る。彼の周囲には赤黒い汚泥がベッタリと纏わりついた鉄杭が散乱していた。痩躯に空いた風穴を暗黒物質が繋ぎ止めて塞ぎ、癒していく。

 スプレンディドは会場内を見渡した。天井から滴る黒い水滴が蔦となって数少ない生存者を貪り喰らおうとしている。既にその毒牙にかかった屍から這い出た暗黒物質が悪魔の元に還っていく。

「へへ。へへへへ。殺して、殺して、殺しまくッたのによォ、まだ足りねェの?へへへへ!イイじゃん、イイじゃん!最高だ!そンならもッとよこせよ!」

 デスドレインは哄笑を響かせながら『神様』の力を乱暴に引き摺り出す。

(((……ガイオン・ショージャノ。カネノコエ)))

ショッギョ・ムッジョノ・ヒビキアリ!ヘヘヘハハハハ!!」

「……なるほど。なるほど?」

 質量を増していくアンコクトンをスプレンディドは金色の瞳で見据えた。その性質を推察し、理解する。死体を、命を貪り喰らって糧とする悍ましきジツ。攻撃や防御への使用みならず異常な再生能力をも備えた、恐るべき強大なジツ。……だが。

「イヤーッ!」

 己の元に這いずり飛んできた暗黒触手を錫杖に込めたカラテで打ち払う。暗黒が砕けて弾け飛ぶ。カラテは効く。ならば問題無し。憂いがあるとすれば……。

「イィイヤァーッ!」 カヒュン!空気を裂く金属の音。「GRRRRR !!!」獣の唸り声。赤熱の鉄杭を蹴散らした不可視の獣の背でアズールが叫んでいる。「アイツを殺せ!」、と。少女に呼応するかのように咆哮をあげた獣がペネトレイトへと急速接近していく。

 スプレンディドはペネトレイトの方に視線をやる。彼女と対するアズールは非力な少女であるが、その優れた直感は驚異的だ。そして彼女を護る非常に強力な不可視の獣。

 ペネトレイトのワザマエは実際確かなもの。それは断言できる、彼女のマスター・ニンジャとして。しかし……デスドレインにせよアズールにせよ、そこらのニンジャと同じ尺度では計りきれぬ規格外の異常ニンジャ。ペネトレイト一人でどこまでやれるか。

「……イヤーッ!」

 デスドレインの足元から飛び出した砲丸めいた巨大黒泥を錫杖で叩きのめす。

「へへ、へへへ。あの女ァー、テメェのカキタレか?へへへへ……アイツのウザッてェ邪魔も入んねェしよ」

 痩躯の男はせせら笑いながら、彼の方に向けた拳を。その握りしめた手を開けた。床に跳ね落ちた巨大黒泥が蓮の花めいて裂き開いてスプレンディドに襲いかかる!

「ヘヘヘヘ!俺と遊ぼうぜ!なァ!ヘヘヘハハハハ!」

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

 打擲、打擲、打擲!宙空に描かれるオフセ・エンハンスの黄金の軌跡!スプレンディドはアンコクトンを打ち払いながら怜悧な声で言葉を紡ぐ。

「邪魔か。邪魔というならアズール=サン、彼女の使役する透明存在も相当に……うん。そうだな、ウザかった!邪魔がなくなったのはお互い様だ」

 そう言いながら金色の瞳で周囲に視線を向け、残り数人ほどの生存者を捉える。ロイヤルスモトリ重戦士は残り二人。全滅はしていない。つまり、オフセのリソースはまだ残っている。

「アレの相手をペネトレイト=サンが引き受けてくれるならば。デスドレイン=サン、漸く君にカラテを叩き込めるな?」

「へへへへへ!エラそうな口利いてンじゃねェよ!」

 打ち払われたアンコクトンの飛沫が、残骸が、瞬時に結合していく。コールタールめいた暗黒の水溜りと混ざって融けあい、貪欲に鎌首を擡げていく。スプレンディドはセイシンテキを研ぎ澄まし、眼前の邪悪存在を金色の瞳に見据える。今はただ、カラテあるのみ。


◆◆◆

「イヤーッ!」

 澄んだ声色を物々しい敵意に染め上げ、ペネトレイトは床を蹴り飛んだ。遅れて獣の爪がその床を抉る。若き女ニンジャは天井スレスレまで跳躍し、空中で砲筒を構えた。矛先はデスドレイン。スプレンディドを支援するために。

 床に四つ脚を踏み締めた獣の背でアズールが身を起こして透明の毛皮に跨り、構えたサブマシンガンの銃口をペネトレイトに向ける。その光景を彼女は視界の端に捉えている。

 バクハツ・ジツを炸裂させる。充填は不充分だが致し方無し、フルチャージしようにもアズールと不可視の獣がそれを許さぬ。KBAM !! 爆発と共に打ち出された鉄杭は、デスドレインが己の周りに盾めいて展開させたアンコクトンの壁の前に呆気なく砕け散り、呑まれていった。

「やはりフルチャージでなければ貫くことすら……!」

 BRATATATATA !!!

 空中のペネトレイト目掛けて放たれるフルオート射撃。「イヤーッ!」彼女は赤熱するガントレット・ブレーサーの砲筒を銃弾に向けた。KBAM !! KBAM !! KBAM !! ミニマル生成された歪な鉄杭を連射して鉛弾の嵐を迎え撃つ彼女の頭上、天井に染み拡がるアンコクトンが不穏に渦巻く。そこから降り来たる暗黒の蔦がペネトレイトに巻きつかんとする!

「イヤーッ!」

 ペネトレイトは流麗なケリ・キックを暗黒蔦に浴びせた。アンコクトンの蔦が一瞬だけ仰反る。彼女のカラテは確かだが、アンコクトンを押し退けるにはまだ足りぬ。呑み込まれる……!女ニンジャは決断的に砲筒を構え、鉄杭無しのバクハツ・ジツを放つ!KABOOM !!!

 暗黒を爆ぜさせ、ペネトレイトはバク転めいた回転ムーヴで床に着地。暗黒物質はそれ以上は追ってこなかった。体勢を整えるペネトレイトの元へ、不自然に宙に浮かんだ少女が肉薄する。不可視の牙が襲いくる。

「ゴオアアアア!」

「イヤーッ!」

 KBAM !! BLAM BLAM BLAM !!! 砲筒から重金属のスクラップペレットを機関銃めいてばら撒きながらバックフリップ回避。

「GRRRRR !!!」「ンアーッ!?」

 猛烈に押し寄せるクズ鉄からアズールを護るべく、獣が爪を振るいながら棹立ちになる。少女はサブマシンガンをスリングベルトに預けて両手で毛皮にしがみつき、振り落とされそうになるのを懸命に堪えた。不可視の鋭い爪の斬撃が脅威を薙ぎ払う。捌き切れなかったペレットが獣に突き刺さっていく。苦しげな唸り声を上げながらも巨獣は両前脚を力強く振り下ろし、身を低くし……「ゴアアアーッ!」飛び出す!

 高貴な朱色のカンザシに結えたミルキーベージュの髪を揺らして着地したペネトレイト、その瞳に宿る紅蓮の炎が赤々と輝く。見据えるは姿見えぬ獣の殺気。そして、アズール。少女の淀んだ空色の瞳の奥に沈んだ、深く暗い絶望とやり場のない怒り。荒廃を滲ませたその瞳に、ペネトレイトは幼きアスミ・キナタコの姿を幻視した。

 分家筋の妾腹の子として生を受けた忌まわしき幼子。本家たる一族の当主マサラサマウジ・ケンゴに、格差社会意識を子供らに植え付けるための『教材』として引き取られ、理不尽な迫害に傷つけられたアワレなキナタコ。末弟たるハクトウから秘密裏に施しを受けるまで、ジゴクにいた少女。

 アスミ・キナタコは年端もゆかぬ少女を殺めることに心を痛めた。だがニンジャは、ペネトレイトは無慈悲だ。殺す。砲筒を構える。バクハツ・ジツ!

「イヤーッ!」

 KABOOM !!!

 爆発の衝撃に乗ってロケットめいてペネトレイトは飛んだ。前方に、獣目掛けて。彼女が撃ったのは獣ではなく、自身の斜め後方。その床。爆発反動跳躍にカラテを込め、ガントレットの重心を活かして回転エネルギーを加える。

 ペネトレイトに宿るサクヤク・ニンジャのワザとはつまり、テッポウ・ニンジャクランの源流のひとつ。後に暗黒武道ピストルカラテへと進化を遂げた、古のマーシャルアーツだ。それを繰り出す。凄まじい物理衝撃の流れに乗って身体を捻る。

「GRRRR !!!」「イヤーッ!」

 不可視の獣の鋭い爪による致命的な攻撃を研ぎ澄ましたニンジャ第六感で察知し、振るわれたその前脚を踏み台にして跳ねる。「イヤーッ!」獣の背に跨る少女へとケリ・キックを放つ。


◆◆◆

 ……再び訪れた鈍化する主観時間。アズールは逡巡した。ニューロンを加速させ、彼女なりに状況判断を試みた。考えろ。考えろ。結論を、一秒よりも早く結論を。でなければ、殺される。ニンジャが獣の腕を踏み台にして跳んでくる。殺される。嫌だ。どうすればいい。

 銃で撃つ。毛皮から両手を離して、銃を手に取って、銃口を向けて、引き金を?ダメだ、絶対に間に合わない。カラテ……は知らない。誰からも教わっていない。獣に殺させる。それももう間に合わない。どうする。どうする。

 後ろに飛ぶ。獣の背から離れる。今すぐに。それならまだ間に合うかもしれない。その後は?獣から離れた後は?あの悪魔は側にいない。獣の背を離れれば、一人きり……。


◆◆◆

「ウ……ウワーッ!」

 アズールはヤバレカバレめいて毛皮から手を離して、獣の背から離れようと試みた。精一杯に、後方へ飛ぼうとした。……躱しきれなかったペネトレイトのケリ・キックが彼女の薄い胴に浅く入り、華奢な身体を軽々と吹き飛ばした。

ンアァァァ……!?

 悲痛な甲高い悲鳴をあげながらアズールは巨獣の背から転がり落ち、床をバウンドしていって倒れ込んだ。

「イヤーッ!」

 ペネトレイトは浅い手応えの感触に眉を顰めながらも、間髪入れずに短時間充填バクハツ・ジツを眼下の獣に浴びせる。KBAM !!!

「GRRRR……!!!」

 身動ぐ獣の背を蹴って床に足をつけ、「イヤーッ!」BLAMN !!! クズ鉄の散弾を接射!

「ギャオオン!」

 至近距離からマトモにスクラップペレットを浴びた獣が血を吹き上げながら蹌踉めく。虚空に浮かぶ無数のクズ鉄。不可視の獣は強大であるが、無敵ではない。傷つけられれば、血を流す。消耗する。消耗が激しくなれば、顕現の維持も困難になる。

 ペネトレイトは悶える透明の獣の存在を強く認識し、カラテを構えて対峙しながら横目でアズールを見る。彼女は小さな身体をガタガタと震わせて激しく咳き込んでいた。若き女ニンジャの切れ長の眼が細まる。本来ならば先程のケリ・キックを以て、一撃で刈り取っていた儚い命。

「……楽に死なせてやったものを、半端に避けようとするから……苦しまずに済んでいたでしょうに」

 嘆息混じりに独りごちる。少女は身を起こそうとして四つん這いになり、咳き込みながら崩れた。ペネトレイトはその様を一瞥し。怪訝に顔を顰めた。透明の獣が苦しみながら、その存在感を陽炎めいて朧に消失させていく様を注視する。


◆◆◆

 尋常ならざる激痛に見開かれた空色の瞳が涙に潤う。少女は激しく咳き込む。咳に血が混じっている。マトモにケリ・キックを食らっていれば彼女の華奢な肉体は無惨にへし折られていたことだろう。ただ、いくら浅い入りであったとはいえ、その一撃はアズールにとっては過酷なものであった。

 ……痛い。痛い、痛い、痛い!

 震える手で涙を拭う。悲鳴を噛み殺そうとする。けれど、痛みはどうしようもなく痛くて、痛いままで、怖かった。込み上げてくる恐怖に震えが止まらない。殺される。嫌だ。怖い。

 痛みと恐怖に掻き乱された彼女の精神状態を反映させたかのように、不可視の獣がその存在を消失させていく。アズールは小鹿めいて震え上がりながら何とか立ちあがろうとして四つん這いになり、虚しく崩れ落ちた。獣が段々と消えていく。

 ……怖い。怖い。怖い?痛いから、怖い?そうだ、ずっとずっと、怖かった。ずっと痛くて、ずっと怖かった。今この瞬間より、もっともっと恐ろしい事がたくさんあった。毎日毎日、あの悪魔にその恐怖を与えられてきた。

 床に倒れ込みながらアズールは必死に唇を噛み締めて、涙を拭った。込み上がる嗚咽を不格好に噛み殺した。今までずっとそうしてきた。痛みも怖さも、どうしようもない。どうにもできないから、全部抱えて押し殺す。

 這いずりながら、近くにあったダイマル・テーブルを囲むレセプションチェアに掴まって、よじ登るように立ち上がる。アズールはサブマシンガンのマガジンを放り捨てた。まだ残弾はあったが、半端であったがために、捨てた。そうして震える手でリロードを終えたサブマシンガンの銃口を、ペネトレイトに向けた。

 ……死ぬのは、殺されるのは怖い。なぜ?殺されたら、死んでしまったら、そこで終わりだから。もう、誰も、連れて行ってくれなくなるから。永遠に、どこにも行けなくなってしまうから。それは怖い。嫌だ。それだけは、嫌だ。だから……。

 涙を堪える空色の瞳が女ニンジャをキッと睨む。

 ……だから、あのニンジャは敵だ。邪魔をするヤツは敵だ。邪魔をするなら、敵なら、殺す。誰も助けてくれない、誰も手を差し出してくれない。だから、やるしかない。こうやって!

「ウ……ウワアアアーッ!」

 アズールは胸中を満たすドス黒い感情に縋りつき、身を委ね、叫んだ。血の味が広がっていく。……構うもンか!

 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!

 サブマシンガンが火を噴き、フルオート掃射の騒音が響く!

◆◆◆

 ペネトレイトの眼前で、透明の獣が完全にその存在を消失した。獣に突き刺さっていた夥しい鉄屑が金属音を立てて一斉に床に落ちてばら撒かれる。ペネトレイトはニンジャ第六感を研ぎ澄まし、付近に獣が隠れ潜んでいないか注意深く警戒した。……やはり、いない。あの獣は四六時中出し続けられるものではなく、限界があるようだ。

「ウ……ウワアアアーッ!」

 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!

「イヤーッ!」

 獣の不在を確認した途端に吹き荒れる銃弾の嵐。ペネトレイトは蛇行スプリントで回避しながらアズールに接近しようとして……「ンッ、ア……!?」蹌踉めく。スレンダーな肢体から鮮血が迸る。藍色装束が僅かに裂ける。銃弾が、当たった。回避した先に射線が通っていた。待っていた。何故?

 ……アズールはがむしゃらに銃を撃っているのではなかった。極限加速させたニューロンがもたらす割れるような頭痛に苛まれながら、彼女は状況判断力を高めた。直感を研ぎ澄ました。ニンジャが銃弾を避ける動きは、少し前に五重塔で見た。眼前の敵が蛇行スプリントでジグザグに銃弾を避ける動きは、さっきも見た。

 だから予測した。敵の動きの、先の先を読んだ。身体能力が思考と予測に追いつかなくとも。否、むしろ身体能力が追いつかないからこそ、先の先の、さらに先を読んだ。でなければ死ぬからだ。彼女は必死だった。ケリ・キックが齎した熱もつ痛みに苦しみ喘ぎ、それを堪えて会場内を駆け回り、ダイマル・テーブルやレセプションチェアに隠れて。或いは飛び乗って、渡って、とにかく撃った。殺されないために。敵を殺すために!

「チィーッ……」

 ペネトレイトは回避動作を続けながら、右腕を覆う無骨なガントレット・ブレーサーにバクハツ・ジツを溜め込もうとするが……!

 BRATATATATA !!!

「ンアーッ!」

 銃弾がその身を抉り取る。集中を絶たれ、砲筒のなかでバクハツ・ジツの火種が窄む。フルオート掃射の暴風からバク転回避で逃れる。執拗な銃撃が彼女の回避先に吹き荒ぶ。BRATATATATA !!!

 ペネトレイトの紅蓮の瞳に苛立ちが滲む。スリケンのひとつも使わぬ少女ニンジャを忌々しく睨みつける。BRATATATATA !!! 向けられた殺意にアズールは銃弾で答える!

「ンアッ……イヤーッ!」

 若き女ニンジャは美しい顔を苦痛に歪めながら歯を食いしばった。右腕の無骨なガントレット・ブレーサーを盾に銃弾の嵐を無理くり押し通る。被弾も厭わずに。防ぎきれぬ銃弾が装束を、その下の麗らかな肌を裂く。BRATATATATA !!! 押し通る。BRATATATATA !!! 押し通る!

 BRATATATATA !!! ……CLICK、CLICK !!!

 アズールは弾切れに躊躇わず、空マガジンをペネトレイトに投げつけ、リロードを開始した。空マガジンが弾き飛ばされる。弾切れの直前から、既にペネトレイトは動いていた。直接のカラテを少女に叩き込むべく、跳躍していた。

 タタミ三枚分、二枚分……アズールがサブマシンガンのリロードを終わらせるよりも遥かに速い接近。右肘から手先までを覆った無骨なガントレット・ブレーサーを振り上げる。全力のチョップ手を少女の頭頂部に振り下ろし、その身体を真っ二つの開きにするべく。タタミ一枚分。殺す。

 アズールは血が滲むほどに噛み締めていた唇を開いた。獲物を狩る獣めいた目付きをした空色の瞳がペネトレイトを睨んだ。少女は声を張り上げた。

「……今ッ!!」

 そうして、ペネトレイトのすぐ隣で、唐突に空気が歪んだ。驚愕に目を見開いた女が、そちらを見た。

「ゴオアアアアーッ!!」

 鮮血を振り払いながら、獣が吠えていた。イヌガミ・ニンジャの化身は再顕現した。否。隠れていた。死んだように息を潜め、待ち構えていた。アズールはペネトレイトをそこに誘い込んだ。射線を構築し、回避先を巧妙に誘導し……弾切れのタイミングを調整して……獣の元へと飛び込ませたのだ!

「ンアァーッ!?」

 紅蓮の瞳に映ったのは、己の右腕。ペネトレイトの右肩に喰らいついた獣が彼女の右腕を噛み千切って放り捨てた。鮮血の尾を引くガントレット・ブレーサーが断末魔じみた砲撃を明後日の方へ放ち、トコロテンめいた溶鉄を砲筒から垂れ流す。そうして無骨なガントレット・ブレーサーは鈍い金属音を響かせて、床に沈む。

「う、うう……ッ!」

 失われた部位の断面から夥しい血が噴き上がる。ペネトレイトは左手で切断された右肩を押さえながら獣から死に物狂いで逃れる。不可視の獣は獰猛に唸り、飛びかかる!

「GRRRR!!」

「ンアアアーッ!!」

 回避しようとした彼女の身体を、鋭く尖った爪が袈裟斬りにした。赤々しい血が飛散する。衝撃で黒瑪瑙のメンポが弾け飛び、狼狽するアスミ・キナタコの素顔が露わになる。全身血塗れの満身創痍のなか、アスミは懐から非人道兵器マキビシをバラまく。獣の踏み出す先へ向けて!

「GRRR!」

 不可視の獣が苦痛に呻いて唸り声を歪める。その間にアスミは死に物狂いで駆け出した。獣から、アズールから逃れるべく。

「ス、スプレンディド=サン!マスター・スプレンディド=サン!も、申し訳ありません!救援、を……!」

 ズタボロの装束と動揺しきった素顔。アスミは気が動転しているようだった。己のウカツを恥じるよりも先に、彼女の脳裏にはハクトウの微笑む顔が浮かんでいた。浮かんでしまっていた。それはイクサに死ぬニンジャの覚悟を恐怖に染め上げた。平時の彼女らしからぬ怯えた声音でスプレンディドへ助けを乞う……ボタリ。

 息も絶え絶えの彼女の左肩に水滴が落ちた。黒い水滴が。アスミは悲鳴をあげて後退り、ダイマル・テーブルに腰をぶつけた。テーブルの下の屍から這い出したアンコクトンが彼女に巻きつき、滅茶苦茶に拉げさせていった。

「ア、アア……アバッ、アババッ……!こんな、こんなところで、わたし、は……!まだ、死ぬわけには……スプレンディド=サン!スプ……」

 苦痛に踊る彼女の身体、激痛から逃れるように振り乱されるミルキーベージュの髪。そこから、朱色のカンザシが振り落とされた。

「……あ……」

 結えられた髪が下ろされる。気品ある雅な朱色のカンザシはアンコクトンに呑まれていった。アデプト昇進の際にスプレンディドから賜った、老舗店のカンザシ。それを呑み込んだ黒い水溜りから湧き上がった暗黒物質が彼女に襲いかかった。

「ああ……!ああああ!嫌だ!嫌!ハ、ハク……ハク!ハクゥ!助けてよ!助、け……」

 アスミは錯乱し、長い髪を振り乱し、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。幼少期から呼んできた彼の名を。そうして泣き叫びながらハクトウを見た。……スプレンディドは冷たい眼差しで彼女に一瞥をくれてやった。それだけだった。「……ハ、ク……」アスミ・キナタコは掠れ声で呟いた。

「ゴオアアアア!!」

 獣の咆哮。非人道兵器マキビシを引き剥がした不可視の獣がアスミに飛びかかる。彼女の首元から肩口にかけてを巨大な顎で喰らいつき、その命を絶つ。

「……サヨ、ナラ」

 アスミ・キナタコは爆発四散した。流した涙と血液は、カンザシと共にアンコクトンに呑まれて消えていった。



#6へ続く

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