【オンスロート・オブ・ア・ダイコク・フロウ】#6

承前

「アレの相手をペネトレイト=サンが引き受けてくれるならば。デスドレイン=サン、漸く君にカラテを叩き込めるな?」

「へへへへへ!エラそうな口利いてンじゃねェよ!」

 打ち払われたアンコクトンの飛沫が、残骸が、瞬時に結合していく。コールタールめいた暗黒の水溜りと混ざって融けあい、貪欲に鎌首を擡げていく。スプレンディドはセイシンテキを研ぎ澄まし、眼前の邪悪存在を金色の瞳に見据える。今はただ、カラテあるのみ。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 デスドレインが両手を突き出し、沸き立つ黒い汚泥の濁流を秀麗なる貴人にけしかける。スプレンディドは黄金錫杖を振り払い、横一列に光球群を展開させ暗黒を阻む。更なるアンコクトンが噴き上がってくる。囚人メンポの下に邪悪な笑みを浮かべてデスドレインはスプレンディドを睨み……KBAM !! 「あン?」小首を傾げた。瞬間、彼の周囲に盾めいて暗黒の壁が立ち上がり、爆発音と共に飛来した中途生成鉄杭を容易く破砕し呑み込んだ。

「まだやンのか、あの女。しつけェな……ガキは何やッてンだよ」

 呆れたような声でそう言い、鉄杭の発射された方を見上げる。天井スレスレを跳ぶペネトレイトを見据える。「しょうがねェやつ……」気怠げに片手をそちらに向けるデスドレイン。「イヤーッ!」スプレンディドは彼の元へと電撃的速度で接近。「イヤーッ!」光纏う錫杖を振るって暗黒の壁を裂く。

 ほぼ同時、天井に染み拡がる暗黒の水が蔦状になって空中のペネトレイトへ襲いかかる。スプレンディドは冷徹に思考を巡らせる。

(((ウカツ。自らの敵を倒すよりも私への援護を優先するなど)))

 己がメンターを務めたザイバツニンジャの行動を嘆きながら、スプレンディドは眼前の敵を睨む。その金色の瞳で見据えるはデスドレイン。

「イヤーッ!」

「イヤーッ!」

 討滅のクドク・カラテが痩躯を打擲する寸前にデスドレインは暗黒物質をカラテ直撃部位に展開して纏わせた。コールタールめいた粘っこい液体がその質量と弾力性によってカラテを防ぐが、「グワーッ!」アンコクトン越しに伝播したカラテ衝撃が彼を襲った。デスドレインは不快さに舌打ちし後方にバク転。

KABOOM !!! 空中ではペネトレイトが襲いくるアンコクトンにジツを放って爆ぜさせる。

「デスドレイン=サン。私と遊ぶのではなかったかな?」

 油断なき構えをとり、スプレンディドは怜悧な声を投げかける。遠方のペネトレイトとアズールとのイクサの趨勢を視界に入れつつも、注視はしない。デスドレインが面倒そうに頸を掻き、剣呑な視線を彼に向けた。

「アー……やッぱお前、ムカつくな?余裕ぶりやがッてよォ」

 ドプン。会場内の死体から、胎動する暗黒流動体が這い出て、デスドレインの元へ集まっていく。神話級ニンジャ、ダイコク・ニンジャの強大なるアンコクトン・ジツが死者を貪り喰らって力を増していく。スプレンディドは眉を顰め……ダイマル・テーブルの一つへと跳躍した。

「アイエエエエ……」

 テーブルの下に隠れる生存者と、そこに襲いくるアンコクトンとを見やり、「イヤーッ!」黄金錫杖打擲!暗黒物質が跳ね上がって引き下がっていく。

「大丈夫ですか、ナマナ=サン」

「ア、アイエエ。ニンジャ……ニンジャ、ナンデ……」

「私がわかりますか。マサラサマウジ・ハクトウです」

 クロームメンポを取って、穏やかな微笑みを顔に貼り付けながらハクトウは語りかける。ナマナは動揺して過呼吸に陥るも、なんとか彼の顔を見上げた。

「マ、マサラサマウジ=サン?マサラサマウジ=サンが、ニンジャ……」

「ええ、はい。私はニンジャです。そして、あの邪悪存在も、ニンジャ」

 彼の目線の先ではデスドレインが濁った目を爛々と鈍く輝かせていた。ドプッ、ドププッ!穢れた粘着質の水音を響かせた黒い汚泥がハクトウとナマナの元に雪崩れ込む。ハクトウはメンポをつけなおし、「イヤーッ!」錫杖の石突で床を叩いた。CLANK。直後、光の壁が彼とダイマル・テーブルを囲うように生成され、押し寄せる暗黒を払いのけていく。

「……ナマナ=サン。はっきり申し上げておきましょう。貴方はここで死ぬ」

「え……」

「貴方だけでなく、他の者らもだ。努力は致しますが、正直なところ……あの邪悪存在から貴方達を守り切ることは不可能です」

 光の壁に徐々に綻びが生じていく。スプレンディドは眉を顰めた。想定よりも壁が保たない。アンコクトンの勢いが加速度を増していっている。襲撃当初と同様に会場の扉から、暗黒物質が新たに押し寄せてきている。会場外の従業員らを全て喰らいつくしたか。宿主の元を離れながらこうも殺戮を振り撒くとは、なんたる強大かつ自由奔放なジツか。その様を見やりながら、彼は茫然自失のナマナに怜悧な声を投げかけた。

「……ですがナマナ=サン。遺された貴方のご家族はこのマサラサマウジ・ハクトウ、責任を持って援助・扶養致します。ご安心を」

「そう……ですか……」

 光の壁に亀裂が走る。スプレンディドは眼を細くし、徐に錫杖頭をナマナに差し向けた。

「この壁ももうすぐ崩れます。そうなれば、あの穢れた汚泥が貴方を貪り尽くす。惨たらしく、残酷に」シャララン……錫杖の遊環が優麗な音を奏でる。「しかし、ナマナ=サン。貴方が望むのならば私は、今この瞬間。貴方に安らかな死を与えます。……どうですか」

 少々強引な話の進め方だ。スマートではない。そう思いながらも彼は言葉を紡ぎ終えた。ナマナはハクトウと光の壁、押し寄せる暗黒物質とに視線を向け……それから諦観に暮れた表情でハクトウを見上げて言った。

「……妻を、息子を、頼みます……」

「ええ、ええ。勿論です。それでは……どうか安らかに」

 黄金錫杖の遊環が瞬きのように煌く。ナマナの身体から抜け出していった光が粒子となって宙空に舞い、錫杖に吸い込まれていった。オフセとなるは何も金品だけではない。個人の意思で差し出されればそれをオフセと見做す。命であろうと。ナマナは事切れて床に崩れ落ちた。直後、光の壁が崩壊し、アンコクが流れ込んだ。

「イヤーッ!」

 スプレンディドは眉を顰めながら燕尾服めいた装束をはためかせて跳躍回避。

(((奴に抗するには足りん。ヤバレカバレの捨て鉢めいた命では所詮この程度か)))

 思考を巡らせながら別の生存者……ロイヤルスモトリ重戦士の一人の方へ。ダイマル・テーブル下のナマナの骸が暗黒物質に呑まれて潰えていく。

「……ンンー?」

 ナマナの死体からアンコクトンを補充できなかったこと訝しむデスドレイン。黒き汚泥を手繰りながら片眉を吊り上げ、スプレンディドを凝視する。

「ヘェー……なるほどな?」邪悪な知性と獣のような直感を働かせる。そして彼とは別方向にいるスモトリ重戦士を見やった。「そンじゃ、餌の取り合いッてわけだ」そして猫めいて身を屈め、邪悪ニンジャは揚々と跳躍した。

 ……スプレンディドは彼の行動を睥睨しながらロイヤルスモトリ重戦士の生き残りの元に着地。錫杖の遊環を鳴らす。フルヘルムに覆われた屈強なスモトリの目元を確認し、言葉をかける。

「君は……キキダ=サンだな。ここまでよく生き残ってくれた。素晴らしいことだ」

「ハッ……光栄であります!」

 キキダの表情は決意と覚悟に満ち満ちている。教育と調練の賜物だ。スプレンディドが彼から言葉を引き出す前に、誇り高きスモトリ戦士は両腕を大きく広げて片膝をつき、錫杖へと首を下げた。

「このキキダ・サジハマめの賤しき命でよければ、ドーゾ!何なりとお使いください……!」

 貴人は眼を細めて頷き、遊環を閑雅に鳴らした。シャララン……シャララン……。

「ああ。ありがとう、大事に使わせてもらうよ」

 儀礼的には二度断るべきであろうが、そのような悠長なことをしている余裕はない。屈強なロイヤルスモトリ重戦士の巨体から溢れ出た光がスプレンディドに取り込まれていく。オフセは善意の元に差し出された物を力とする。カネであろうと、服飾品であろうと、命であろうと。

 本来ならば、サヤラ夫妻の贈り物たる香水の詰め合わせも彼のオフセの足しになる筈であった。夫妻の善意はデスドレインの悪意に踏み躙られて跡形もなくなっていたがため、それは叶わなかったが……。

 スプレンディドは差し出されたキキダの命を汲み取り続ける。素晴らしい生命力がカラテを漲らせていく。スモトリ戦士は並のニンジャに匹敵する戦力であり、斯様に消耗品めいて使い捨てるは本来ならば愚策である。しかし……デスドレインは並のニンジャではない。かの脅威的邪悪存在に対抗するにはオフセ・ジツを、コウミョ・ニンジャのワザを最大限に活用せねばならぬ。


◆◆◆



 ……遥か昔、平安時代末期。大気に満ちる豊潤なエテルが枯れていき、ニンジャの絶対的な力に翳りを落とした立ち枯れの時代。コウミョ・ニンジャはその立ち枯れの時代に生きたニンジャであった。他のニンジャがそうであったように、彼もまたエテルを求めて様々に試行を重ねた。イクサの爪痕残る廃テンプル、クドク・テンプルで雨露をしのぎながら。

 付近の村に住まう人間や、通りがかった旅人からアワレの眼を向けられ、施しを受ける屈辱の日々。そうして苦難の末に彼が編み出したオフセ・ジツ。他者から差し出された金品や言葉に込められた善意の概念を抽出してコトダマと紐付け、エテルを絞り出してオフセとし、以って己の力とするジツ。モータルから力を分け与えてもらう構図は強大なニンジャたる彼にとって酷く屈辱的であったが、なりふり構ってはいられなかった。

 コウミョ・ニンジャは無力さと悔恨をひた隠してクドク・テンプルに住い続けた。時には付近の村々を渡り歩き、盗賊退治や畑仕事に精を出し、モータルを助けた。形而上的なオフセは定義が曖昧であるために、その対象は幅広いが……一度に抽出できるエテルは雀の涙ほどであった。故にコウミョは名声と仁徳を高め、より多くのオフセを得ようと試みたのだ。

 こうした行いが功を奏し、コウミョは多くのモータルに慕われることとなった。彼らと接するうちに、いつしか彼はモータルとの繋がりに己の人間性を見出していた。そのような時の中でコウミョはクドク・テンプルを修繕して己のドージョーとし、自分を慕う弱きモータル達にカラテを授け出した。ニンジャクランの立ち上げである。

 だが認可なきニンジャクランの立ち上げ及びオフセ・ジツの矮小さが中央のソガ・ニンジャの怒りを買った。なけなしのエテルを得るためにモータルから施しを受ける賤しき行為によって、絶対存在たるニンジャの格を貶める。その大罪をソガは赦さず、ニンジャクランの取り潰しのために私兵を差し向けた。コウミョはソガに反抗した。

 ……コウミョ・ニンジャの迎えた顛末。狡猾なソガ・ニンジャの謀略によって誇りなき悲劇的な最期を遂げたとも、死を偽って反ソガ主義のもとにモータルに与してエド戦争にのぞみ、イクサのなかで死したとも伝えられる。兎角、彼はソガと対立して死を遂げ、クドク・テンプルは焼き払われ……オフセ・ジツは歴史の闇に潰えたのだった。

 そうして長い時を経た現代の世にて、コウミョ・ニンジャのソウルはマサラサマウジ・ハクトウに宿った。コウミョのソウル憑依者がロード・オブ・ザイバツの配下となっているのは、なんとも皮肉な話ではある……。


◆◆◆



「……バン……ザイ……バ、ン……」

 スモトリの巨躯が崩れ落ちる。差し出された命をオフセの対象とし、受け取る。金額の大小やその物の付加価値は然程重要ではないとはいえ、人命から抽出できるエテルは実際多い。黄金の輝きがより一層煌めいていく。

「ヘヘッ、へへへ……ンだよ、お前。お前もアレか、イケるクチかァ?イイ趣味してンじゃねェの」

 下卑た声がスプレンディドに届けられる。貴人はそちらを見やった。デスドレインがニタニタとした笑みを零しながら、最後のロイヤルスモトリ重戦士に飛びかかっている。邪悪存在は重装フルヘルムの目元のスリットに強引に指を押し込んだ。

「アバーッ!?アバ、アババーッ!!」

 電撃に打たれたかの如くに巨体を痙攣させながらスモトリ戦士は絶叫し、絶命した。純然たる悪意に惨殺された重戦士の装備の隙間から暗黒物質が這い出ていく。デスドレインの元へと染み込んでいく。

「へへへへ!ごちそうさン!」

 デスドレインは笑いながらスモトリ戦士を蹴りつけて跳び、黒染めに足をつけた。斃れた巨躯の骸が暗黒の液体を派手に飛散させ、辺り一面の黒い沼に波紋を広げていく。呵呵と嗤う悪魔がヤンクめいて腰を折り曲げ、挑発的な上目遣いでスプレンディドを睨みあげる。

「ハハ。無駄にピカピカ光りやがッて……そンでも俺と同じか、お前。人様の命が餌か?最悪だな?」

「一緒にしてくれるな。私はご厚意のもとに差し出されたものを、丁重に扱っているだけだ」

 黄金錫杖が煌めく。カネモチが戯れに差し出す一万円と、その日暮らしのマケグミが差し出す一万円とでは引き出せるオフセの力は全く異なる。後者の方がより強い力となる。同様に……捨て鉢めいて差し出しされたナマナの命よりも、自らの強靭な意志で命を献上したキキダの方がより強い力となっていた。カラテが高まる。金色の瞳が悪魔を睨む。両者の視線が剣呑にかち合い、空気を歪める……。

「ンアァァァ……!?」

 緊迫する空気を引き裂くは、響き渡った少女の悲痛な叫び。デスドレインは眼を眇めて声の方を気怠げに見やった。ペネトレイトのケリ・キックを受けて床を跳ね転がるアズールの姿をぬばたまの眼が睥睨する。

「アア?何やッてンだ、アイツ。ダセェの……ンー?……アー……いや。ま、いいンじゃねェの?」ボリボリと頭を掻きながらスプレンディドの方へと視線を向け直す。「なンとかなンだろ。多分。知らねェけど」独りごちながら、ゴボゴボと沸き立つアンコクトンの束をスプレンディドに差し向ける。

「イヤーッ!」

 オフセを纏いし黄金のクドク・カラテが暗黒を打ち据える。汚泥を払い除けていく。視界の端にペネトレイトを収めながら、スプレンディドは決断的に前進し、錫杖を振るった!

「イヤーッ!」

 ドプンッ!スライムめいた暗黒物質の質量を無理くり押し除けデスドレイン本体を狙う!「近づくンじゃねェよ、ウザッてェ!」デスドレインは足元に沸かせた黒い波に乗って後方に引き下がった。「イヤーッ!」スプレンディドのカラテシャウトとともに、空振りした錫杖の遊環から光球が射出され、悪魔を追撃する!

「イヤーッ!」

 デスドレインは足元の黒い波に手を突っ込み、掻っ攫った暗黒物質を前方へ放り投げた。空中で飛散したアンコクトンが光球を呑み込み喰らう。引き摺り出したダイコクの力が、討滅のクドク・カラテを容易く屠っていく。光球を撃墜して着地したデスドレインの耳に、再びアズールの叫び声が届けられる。

「ウ……ウワアアアーッ!」

 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!
 BRATATATATA !!!

 銃声を伴った決断的な叫び。遮二無二駆け回って銃弾を撒き散らす少女の姿を視界に捉える。「な?言ッたろ。なンとかなッてンぜ。なァ……へへへへ」誰に向けられたものかわからぬ独り言をボソリと呟き、「イヤーッ!」手のひらを突き出す。彼の病的な色白の手から勢いよく噴き出すアンコクトンが、鞭めいた触手となってスプレンディドに迫る!

「ヌ、ウッ……」

 凄まじい大質量。スプレンディドは跳躍回避。ドプンッ!床を叩きつけた触手はそのまま枝分かれして、宙空に逃れるスプレンディドを追う。押し寄せる暗黒物質を金色の瞳が見据える。マスターニンジャは黄金錫杖を振るった。

「イヤーッ!」

 迫り来る暗黒物質を……弾かない。川の流れに身を任せるかの如く、自然に、されど押し流されず。錫杖にアンコクトンを纏わせていく。絡ませて……絡み取っていく。「あン?」デスドレインが片眉を吊り上げた。ぐ、ぐ、と彼の痩躯が引っ張られている。「テメェ」「イィイイヤァァアーッ!!」黄金の光を纏ったスプレンディドが恐るべきカラテシャウトを発して、錫杖に纏わせたアンコクトンを勢いよく手繰り寄せる!

「ウオオーッ!?」

 デスドレインの身体が宙を舞う。凄まじい勢いでスプレンディドの方へと引き寄せられる。秀麗なる貴人は険しい顔をしてカラテを構えている。錫杖持たぬ方の手を握り締め、中腰になって。一瞬のうちに、デスドレインは彼のカラテの射程圏内に!

「イィイイヤァァアーッ!!」

 炸裂するはポン・パンチ!直撃の寸前、デスドレインは眼を見開き、口を大きく開いた。耳元に迫るほどに彼の頬が裂けていく。「オゴゴーッ!!」裂け開かれた口からアンコクトンが吐き出される。それは幾重にも連なる多重層の膜となって展開され、暗黒の盾となった。

 ドパァン!大質量のアンコクトンにカラテ衝撃が走る。弾力と粘性に分散されたそれが己の身体に伝わる前に、デスドレインは口から吐き出した暗黒の盾と、手から噴き出させていた暗黒の触手とを切り捨て、背後へ倒れ込む。その背を暗黒の波が支え、より後方へと彼を運び去っていく。剣呑に態勢を整えたデスドレインが軽い身のこなしでダイマル・テーブルの上に飛び移る。

 切り捨てられた暗黒の汚泥がカラテ衝撃とオフセの光に駆逐され、萎びれて床に崩れ落ちた。スプレンディドは眉を顰めて黄金錫杖に纏わり付かせていた暗黒の残滓を払い捨てる。彼は視界の端に留めたペネトレイトに僅かに注意を向けた。

 アズールの射撃がペネトレイトに着実にダメージを与えていっている。ペースを握っているのはアズールの方に見えた。……押されている?

「ヘェーヘェーヘェー……ハハ、オゴッ、オゴゴッ」

 スプレンディドは思考からペネトレイトを除け、悪魔を睥睨した。デスドレインの裂けた口から暗黒が滴り、癒着していく。暗黒物質を吐きながら、長い舌をベロベロと挑発的に振って嘲笑う。

「なかなかうまいことイカねェよな?悔しいかよ。なァ。俺みたいな屑相手にカラテしてさ……やりきれねェでやンの。へへ。なァー、どうなンだよ、ザイバツ。悔しいか、これ」

「……」

 スプレンディドは答えない。その表情は冷たいまま。デスドレインはニタニタと笑い続ける。相手の胸中を覗き見ようとするような、下卑た目つきを向けて。暗黒触手を見せつけるように侍らせて。

 ……搾りカス程度のエテルしかない立ち枯れの平安時代に生きたコウミョ・ニンジャと、大気がエテルに満ち満ちていた古の時代に君臨した神話級ニンジャたるダイコク・ニンジャとではソウルの格も、ジツのスケールもスペックも、何もかもが桁違いだ。

 オフセはその対象の定義の曖昧さから広くエテルを収集することができるが、一度に抽出できるエテル量は少ない。その上、あくまでも個人の意思で差し出されたモノでなければ力になり得ないという欠点がある。無理矢理に奪ったところで食い扶持が減るだけの徒労。

 だが、アンコクトン・ジツは、奪う。人の死を、嘆きを、怨念を。簒奪によって力を貪る、正にニンジャをニンジャたらしめる原初のニンジャ存在由縁の力。そしてデスドレインは邪悪だ。奪うことに、殺すことに当然何の戸惑いもない。疑問もない。後悔もない。その訳は、彼がニンジャであるから、ではなく。ただ彼が、ゴトー・ボリスであるがゆえに。

 無論、ソウルの格だけがニンジャの強さではない。状況が、カラテが勝敗を決める。命運を司る。だがしかし……だがしかし。デスドレインのジツは、あまりにも強大であった。彼はカラテを詰り、くだらないと吐き捨て、ジツで押し潰してきた。暴虐を振るい続けてきた。

 ダイコク・ニンジャを宿せし邪悪存在の悍ましき魔の手によって絢爛たるパーティ会場は今や禍々しい穢れた黒に染められ、気品ある参加者は皆屍体。ダイコクの猛襲が全てを台無しにした。協賛各所の力添えによって完成したこのタワーホテルそのものもまた、実際オフセの対象であった。謂わばスプレンディドのフーリンカザン。常々にオフセは供給されていた。だがそれも途絶えつつある。全てが。台無しにされている。

「……なァ、どうだよ。スプレンディド=サンよォー。ヘヘヘッ、スプレンディド……スプレンディド(華麗な)……ヘヘヘヘヘ」

 言いながらデスドレインは大袈裟に上体を仰け反らせて会場を見渡した。死屍累々の黒泥塗れの陰惨な光景を。がむしゃらに戦うアズールを、被弾するペネトレイトを。銃弾を。そして聞いた。銃声を。

「……今ッ!!」

 アズールの決断的な叫びを。

「ゴオアアアアーッ!!」

 恐るべき獣の咆哮を。

「ンアァーッ!?」

 獣に右腕を噛みちぎられたペネトレイトの悲鳴を。

「……ヘヘヘヘヘ……な?連れてきて正解だッたろ……入ッてンだからさァ……ガキでもたまには役に立つンだぜ……」

 ブツブツと譫言めいて呟いた後、デスドレインはスプレンディドを見下ろした。彼は表情を変えず、ただ粛々と錫杖を構えている。デスドレインは煽るように小首を傾げた。

「なンだよ、助けてやンねェの?テメェの女じゃねェのか?見ろよ、必死こいてら」

 顎をしゃくって血みどろのペネトレイトを指す。メンポを無くし、狼狽する素顔を晒すままにこちらの方へと駆け寄ってくるアスミの姿。

「ス、スプレンディド=サン!マスター・スプレンディド=サン!も、申し訳ありません!救援、を……!」

 息も絶え絶えに叫ぶ女の声。デスドレインはケラケラと嗤ってわざとらしく両腕をホールドアップした。暗黒触手諸共に。だがスプレンディドは動かない。周囲を警戒し続ける。デスドレインが肩を竦めた。

「ハハハハ。やッぱワカルか?動いたらヤベェッて……俺、嘘吐くのヘタかもな?でもよォ、危なくても助けに行ッてやるのが男ッてもンだろ?」

「……たかがアデプトのウカツ。その為に我が身を危険に晒す筈がなかろう」

「あッそ。……そンじゃ、あの女頂くぜ」

 言い終えると同時、ペネトレイトの近くのダイマル下、そこに斃れる屍から湧き出たアンコクトンが彼女を雁字搦めに捕らえ、縛り、拉げさせていく。壮絶な悲鳴が轟く。悪魔は愉しそうに肩を揺らす。スプレンディドは努めて冷静にあろうとした。

 ペネトレイトはもはや助かるまい。ペースを乱され始めた時点である程度見切りはつけていた。全ては彼女自身のウカツが招いた結果だ。インガオホー。情にサスマタを突き刺せば、メイルストロームへ流される。平安時代の武人にして哲学者、ミヤモト・マサシのコトワザが胸中に去来する。切り捨てろ。ニンジャの世界は無慈悲だ。ブルータルだ。センチメントを捨てろ。

 髪を振り乱して苦悶するアスミの姿。トリイめいた朱色のカンザシが彼女の髪から振り落とされ、暗黒の沼に沈んでいく。

「ああ……!ああああ!嫌だ!嫌!ハ、ハク……ハク!ハクゥ!助けてよ!助、け……」

 喉が張り裂けんばかりに叫ぶアスミ・キナタコ。悲痛な懇願。彼女の懇願に含まれた『ハク』の言葉に、デスドレインの眼が細まる。泣き叫ぶアスミの声と姿に、マサラサマウジ・ハクトウのニューロンが激しくザワつきだす。幼少期の想い出が、ニンジャとなった日のことが、ザイバツ所属後の光景が、脳裏に過ぎる。鮮明に。鮮明に。

 ハクトウは……スプレンディドはそれらを振り払った。ニンジャのイクサには不要なノイズだ。スプレンディドは冷たい眼差しの一瞥をペネトレイトに向けた。

(((最期にブザマを晒したか、ペネトレイト=サン。名誉なき死だ)))

 冷徹に、冷酷に、無慈悲な思考を。最期にアスミが掠れ声でハクの名を呟いた。直後、不可視の獣が彼女の首元から肩口にかけてに喰らいつき、その命を絶った。「……サヨ、ナラ」アスミ・キナタコの爆発四散をスプレンディドは視界の端に留める。無慈悲に。無慈悲に……。

「……ナムアミダブツ」

 ハクトウは小さく呟いた。金色の虹彩が悪魔を睨みつける。邪悪の権化たるデスドレインは心底愉しそうに手を叩いて乾いた音を鳴らし立てていた。

「ヘヘヘハハハハ!死ンじまッたァ!テメェが見捨てたンだぜ!へへ、ヘヘヘヘヘ……なァ、マサラサマウジ・ハクトウ=サンよォ。ハクッて呼ばれてンの?呼ばせてンの?なァなァなァ」

 アンコクトンが胎動し、ゆらゆらとジゴクの形相めいて沸き立ち揺れる。デスドレインはぬらりとテーブルから降りたって暗黒の沼に足をつけた。彼はアンコクトンをズルズルと手繰り寄せていき、目敏くペネトレイトの装束の切れ端や黒瑪瑙メンポ、カンザシの残骸を見つけ出して弄び出す。

「ハハハ。ハク、ハクゥー。助けてェー。助けてよォー……ヒデェや、ヒデェ。最低だよあンた。へへ、どいつこいつもロクデナシばッか!へへへへへ!」

 グシャグシャと残骸が跡形もなく暗黒に潰されていく。幾つものアンコクトンの触手が立ち昇って鎌首をもたげる。ドス黒い死が蔓延する。スプレンディドは自身の周囲に光球を複数生成し、口を開く。

「君にその名で呼ばれるのは不快だな」

「お?イラついてンな?なァ?へへ、イイじゃん、イイじゃん!強がッてねェで、もう全部出し切ッちまえよ」

「……イヤーッ!!」

 スプレンディドが黄金錫杖を振り翳す。光球は四方八方へと飛び、爆ぜる。クラスター爆弾めいた光の散弾がアンコクトンを討つ。「オゴッ!」デスドレインが口から暗黒物質を薙ぐようにして吐き出した。空中に凝ったアンコクトンが四散し、光の散弾を相殺していく。「イヤーッ!」デスドレインは両手を突き出し、触手を差し向けた。右と左。「イヤーッ!イヤーッ!」スプレンディドは両手に持った錫杖を振り回す。円を描くようにして。彼の元に飛来した触手は錫杖に打たれ、中途で裂けて萎縮し、床に落ちてのたうった。

「「イヤーッ!!」」

 激しい攻防が続く。強大なるジツと強大なるカラテが鬩ぎ合う。乱れ飛ぶ光と暗黒。その壮絶な光景を、二人から離れたところでアズールは朧げな視界に捉えている。彼女はぜぇぜぇと息を吐き、垂れ流れた鼻血を手の甲で拭いながら、レセプションチェアーに寄りかかるようにして辛うじて立っていた。胴に受けたケリ・キックの痛みと、極限過剰加速させたニューロンへの負荷が少女を苛んでいるのだ。

「……ッ!」

 撃ち漏らしたか、或いは弾かれたか、流れた光や暗黒の残滓は憔悴したアズールをも襲いだす。「GRRRR !!!」傷を負った不可視の獣が咆哮をあげて駆け、その身を挺して少女を護る。鋭い爪と牙が獰猛に振るわれ脅威を挫く。少女の碧い瞳がデスドレインを見つめた。彼はアズールのことなど気にも留めていないようだった。少女は唇を噛み締めながらイクサの趨勢を注視し続ける。獣に護られながら、口の中に広がる血の味を呑み込んで。

「ハハハハ!ハハハハッ!なァー神様!?もうねェのか!ヤる気出せよォ!」

 ゴボゴボと沸くアンコクトンを鷲掴んで声を張り上げるデスドレイン。彼の神様、ダイコク・ニンジャはまだまだ余力を残している。こんなものではない。だが引き摺り出すのにも限度がある。デスドレインは顔を顰めた。

「ンだよ、オアズケか?それじゃつまンねェだろ……アー、もういいぜ。わかッた、わかッた」

 言葉を吐き捨て、スプレンディドを睨む。会場内の天井や床に広がるアンコクトンが一斉にざわつき、怒涛の如く立ち上がった。

「そンじゃ、ヤれるだけヤッちまうぜ……イヤーッ!!」

 巨大な壁めいた暗黒の津波がスプレンディドへと押し寄せる。「イヤーッ!イヤーッ!……イヤーッ!」スプレンディドはバク転で後方へと跳び、距離を取りながら光球を発射。ボシュッ、ボシュッ……だがナムサン。暗黒の津波の勢いは止まぬ。万事休すか。否!ザイバツ・マスターニンジャの瞳に宿る戦意に一切の衰え無し。着地したスプレンディドは黄金錫杖を演舞めいて振り回し、その石突を渾身のカラテを込めて床に突き立てた。

「イィイイヤァァアーッ!!」

CRACK!突き立てられた地点から馳せた黄金の光が一直線に疾走し暗黒の津波へ。直撃……そして、引き裂く。アンコクトンを。モーセの海割りめいて!

「……アァ?」

 デスドレインが眉根を寄せた。真っ二つに割れた暗黒の津波、その空白を縫って走る黄金の光は彼の元へと向かってきている。迫っている。目にも留まらぬハヤイ過ぎるそれは、回避の選択肢をデスドレインに取らせない。「イヤーッ!」デスドレインが光に手を向け、暗黒の壁を生成して光を阻む。突き抜けてくる。「イヤーッ!」阻む。突き抜ける。「イヤーッ!」阻む。突き抜ける。タタミ五枚分程の距離に迫る光。「イヤーッ!!」阻む、阻む……突き抜ける!

「うざッてェ……なッ!」

 デスドレインは足元に沸かせたアンコクトンを立ち上がらせ、幾重にも連らせ、自らの周囲を多重層のドームめいて包み込もうとし……そして眼を見開いた。迫ってきているのは黄金の光だけではない。「イィイイヤァァアーッ!!」光の軌跡を追うようにスプレンディドが高速接近……決断的に跳躍。光を追い越す。飛び込む。アンコクトンのドームが二人を包む。遅れて到来した黄金の光が連綿と立ち上がっていく暗黒に呑まれて消えていった。

 光通さぬ暗黒の帷の中を、スプレンディドの纏うオフセの光が爛々と照らし出す。閑雅なる薄紫色の髪にグラデーションめいて混じる金色が一層強く輝きだす。「イィイヤァーッ!!」スプレンディドが黄金錫杖を振るった。デスドレインの足元へと。

「グワーッ!?」

 痩躯の脚が打擲され、あらぬ方向へと折れ曲がった。デスドレインは眼を血走らせる。瞬く間にアンコクトンの蔦が彼の両脚に添木めいて纏わりつき、無理矢理に正の方向へと折り曲げて歪に矯正する。裂けた皮膚に暗黒物質が流れ込み、折れた骨を癒着していく。

「イィイヤァアーッ!!」

 錫杖を振り抜いたスプレンディドは勢いそのままに得物を振り上げた。そして、オフセ纏いしクドク・カラテを……振り下ろす。デスドレインの頭頂部へと!

「アアアア!!」

 デスドレインは叫んだ。触手に己の身体を掴ませて引っ張らせ、錫杖を躱そうとする。だが僅かに間に合わぬ。頭部への直撃は免れたが……黄金の錫杖は彼の肩口を、鎖骨を砕いた。「グワッ……」それだけでは終わらない。爛々と輝く光が彼の身体を内から焼いていく。「グワーッ!?」痩躯から光が迸る!

「イィイイヤァァアーッ!!」

 スプレンディドはより強くカラテを込め、黄金錫杖を更に下へと押し込む。デスドレインの痩躯をバターめいて易々と袈裟懸けに溶断していく!

「グワーッ!グワーッ!!」

 裂ける、裂ける、裂ける。デスドレインの心臓部へと到達……「グワーッ……ハ、ハハッ!ヘヘヘハハハハ!」到達ならず。裂けていった彼の身体、その裂け目から夥しい量のアンコクトンが溢れて零れ、激しく泡立つ。千切れかかる肉体を繋ぎ止めていく!

「ヌゥーッ……!?」

 スプレンディドが唸った。黄金錫杖をデスドレインの心臓部へと振り抜こうとするが、その動きは緩慢になっていく。裂けるそばからアンコクトンが溢れ、押し上げ、繋いでいっているがために。悪魔存在は嗤いながらそれを掴んだ。

「ヘヘ、ヘヘヘヘ!イイもん喰ッてンなァ、あンた!俺にもくれよォ!」

 黄金錫杖の光が窄む。デスドレインは黄金錫杖に込められたオフセ、その中から命だけを抽出し、貪り出した。ドクン、ドクン!暗黒物質が鳴動し、勢いを増す。ドーム内壁から茨めいた暗黒の蔦が生え、スプレンディドを襲う!

「イヤーッ!」

 ビクともしない錫杖を手放した彼は素手のカラテを構えた。迫り来る暗黒を見据え、上体を逸らして回避。黒染めの床をカラテで弾き、手をつく。「イヤーッ!」そして流れるような流麗なカポエイラの逆さ蹴りを繰り出した。即ちメイアルーアジコンパッソ!光の軌跡が渦巻き、アンコクトンを蹴散らす!

「イヤーッ!」更に回転を加えたアルマーダ!「イヤーッ!」そこから更に回転力を乗せた跳び回し蹴り、アルマーダ・マテーロ!アンコクトンを蹴散らし、蹴散らし、蹴散らす!スプレンディドはドームの天井部を蹴り付けて急降下、デスドレインの眼前に着地!

「イィイイヤァァアーッ!!」

 勢いよく踏み込む。その背中から肩にかけてを悪魔に叩きつける。ボディチェックだ!

「グワーッ!!」

 ダンプカーじみた衝突をマトモに受けたデスドレインが体から暗黒物質を撒き散らしながらキリモミに吹き飛ぶ、その直前にスプレンディドは手を伸ばし黄金錫杖を掴んでいた。悪魔の身体に埋まったそれをカラテ衝撃を活かして引き抜く。キリモミに吹き飛んだデスドレインの痩躯がアンコクトンドーム内壁にめり込む。めり込み、めり込み、めり込んで……突き破った。

「アアアア!!」

 吹き飛びながらデスドレインはドーム展開アンコクトンを引き上げ、自身に纏わせた。黒に包まれた悪魔がカラテ衝撃をアンコクトンに流しながら床を跳ねていく。萎れた暗黒物質が次々と離脱していき、剥がれていく。暗黒の剥がれた目元、ぬばたまの眼は殺意に満ちた眼差しを向けている。スプレンディドはそれを睨み返し……「イヤーッ!」跳躍。背後へと。向かう先はパーティ会場の開け放たれた巨大扉。

(((よく理解した。口惜しいが……私では勝てぬ。殺せぬ)))

 状況判断を下し撤退。どれほどのカラテを叩き込もうと矢継ぎ早に再生していく邪悪存在、底無しの如くのアンコクトン・ジツ。オフセ・ジツをどれだけ消費しても決定打を生み出せていない。オフセの消費が募るばかり。このままイクサを続ければジリー・プアー(徐々に不利)に陥る。直にアズールも、彼女が使役する獣も復帰してくるだろう。

 救援は望めぬ。デスドレインらが会場内に乗り込んできた時点で一応の救援要請は出しているが、返答はない。当然の如く、審議中のまま。根無草のスプレンディドを助けるためにデスドレインとイクサを交えるのはリスクが高過ぎる。

 ……寧ろ上層部は己の死を望んでいるだろう。カネの成る木さえ残っていればそれでいい。このタワーホテル以外の財源が、マサラサマウジ家の抱えるビズが、資産が、カネの成る木だ。そしてその管理者たる自分の存在は目障りといえる。あわよくばデスドレイン共々に死に絶えるのが、伏魔殿の望みであろう。故に救いは無い。既に勝敗は決した。私は負けた。デスドレインの勝利だ。

「……アアアア!!アアアア……」

 アンコクトンをあちこちに吹き散らしながらデスドレインは叫び続ける。新たに染み出した暗黒物質が束になって飛び出していき、壁に床に天井に伸びていき、張り付く。千切れれば即座に修復する。キリモミ回転の衝撃が衰えていく。シュルシュル、シュルシュル……ギュルル、ギュルル。減衰し続けたカラテ衝撃が収まり、デスドレインは空中でピタリと停止した。

 デスドレインは扉から飛び出していくスプレンディドの背を睨んだ。周囲のアンコクトンが激しく胎動し、液状化していく。伸びきり張り付いた触手らも同様に液状化し、空中停止状態のデスドレインが床に落ちた。彼の方へとアズールが駆け寄ってきているが、彼は見向きもしない。

「ゴボッ、ゴボボッ……逃げてンじゃねェぞォー……!」

 ヘドロ混じりの血反吐を吐きながら、ぬらりと上体を起こす。ボコボコと滾った暗黒物質が足元に生じ、水流となる。「イヤーッ!」暗黒の波に乗ってデスドレインは弾丸めいて飛び出していった。スプレンディドを追って。

「うう……ま、待ってよ……」

 取り残されたアズールはフラつきながらテーブルに乗り、不可視の獣の背によじ登って透明の毛皮にしがみつく。眼を擦って獣に命じ、デスドレインの後を追わせる。振り落とされないよう懸命にしがみついて。獣は暗黒の波を踏み渡って駆けていく。


◆◆◆



SPLASH……!!! PLOP !!! PLOP !!!

 扉を突き破った暗黒の波がスプレンディドを追う。吹き抜けになった長く広大な廊下を駆け、装飾を、調度品を汚泥に染めていく。スプレンディドは首を巡らせて、デスドレインの姿と、彼の背後に追い縋る不可視の獣とアズールの姿を見据えた。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」

 波から生えた触手が襲いかかるが、スプレンディドはそれらを蹴り付けて三角跳び回避。柱を、壁を、触手を蹴り飛ぶ。「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」回避ムーブに攻撃を交えて。振るわれた錫杖は光球群を追跡者に差し向けた。

「鬱陶しいなァー」

 ヒリついた声音で光球群を眺める。暗黒の波はそれらをものともせずに呑み込む。しかし……幾つかの光の群体は軌道を急変させてデスドレインの真上を通過した。「あン?」怪訝に眉を顰めるデスドレイン。彼を通り越していった光球群が急降下していく。狙いはデスドレインではなく。

「GRRRR !!!」

「ンァァッ……!?」

 不可視の獣とアズールが悲鳴をあげた。傷ついた獣はアズールを護るべく遮二無二駆けたが……ナムアミダブツ。執拗な光球の追跡が無慈悲にその巨体を襲った。暗黒の波から獣が足を踏み外し、後方へとアズール諸共に転がり落ちていく。「アアアア……!」毛皮に必死にしがみつきながら、少女はヤバレカバレに叫んでデスドレインを見た。空色の瞳に映る悪魔は少女に一瞥をくれ、面倒そうに肩を竦ませた。

「ついてこねェの?そンじゃ、先行ッてるぜ。アズール」

 デスドレインは何でもないような声で言葉を吐き捨ててスプレンディドの方へと向き直り、黒い波に乗って駆ける。遠ざかっていくその痩躯を、凍りついた心でアズールは呆然と見つめていた。満身創痍の獣が荒く息を吐きながら、少女を傷つけぬようにその背から下ろす。空気を歪ます透明の輪郭が曖昧になっていき、朧に揺らぐ。その存在が消失すると、アズールは力無くペタリと床に座り込んだ。

「……置いて……いかないで……」

 一人きりの廊下に、か細い声が虚しく響いた。


◆◆◆




「「イヤーッ!!イヤーッ!!イヤーッ!!」」

 襲いくる暗黒触手を錫杖が打つ。スプレンディドが吹き抜けを上へ、上へと跳躍移動していくのをデスドレインは追う。暗黒の波が縦横無尽に形状を変化させていく。

「オゴッ、オゴゴッ!ゴボボッ!!」

 デスドレインは暗黒物質を口を裂けさせながら吐き飛ばす。SPLAT !!! SPLAT !!! SPLAT !!! 吐き出されたそれらはスプレンディドを追い、空中で爆ぜて飛散する。「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ……!」スプレンディドはカラテを振るって撃墜していくが、その表情は苦しげだ。長期戦によってオフセ・ジツが減じている。加えて、先の攻防でオフセの命をデスドレインに奪われたのが大きく響いていた。命を奪ったアンコクトンは益々力を強めており、カラテの差という絶対的アドバンテージが埋まりつつある。

「イヤーッ!イッ……」

 そして、遂に。暗黒の触手が彼の身体を捉えた。秀麗なる貴人が眼を見開く。瞬く間に彼の身体を暗黒触手が絡め取っていく!「グワーッ!?」月白色の燕尾服めいた装束が汚泥に穢されていく。全身の骨がミシミシと軋んでいく。皮膚が裂け、血が滲む。

「グワーッ!!」

「ヘヘヘヘ……やッと捕まえたァー」

 デスドレインは橋のように形を変えた暗黒物質の波の上をズカズカと歩き、宙空に縛りつけられたスプレンディドに躙り寄る。屈辱と痛みに顔を歪ませる貴人の顔を愉快そうに眺めて嗤う。

「イイぜ、イイぜ、その顔。悔しいな?ハハハ!どンな気分だ今?なァ?ヘヘヘヘ……」

「グッ……」

 錫杖がスプレンディドの手から零れ落ち、光の粒子となって消えていく。デスドレインは彼のクロームメンポに手をかけ、無理やり剥ぎ取った。露わになったマサラサマウジ・ハクトウの表情をニタニタと見やり、その口元に手を翳す。

「くれてやるよ、アンコクトン。たッぷり味わえよな。窒息死するかな?腹破けて死ぬかな?……ヘヘヘハハハ」

「……」

 スプレンディドは悪魔の嘲笑に奥歯を噛み締め……それから歪に口角を上げた。

「いいや、結構だ……デスドレイン=サン」その虹彩の金色の光が爛々と輝く。瞳のみならず、その眼全てが黄金の輝きに白熱する。デスドレインは顔を顰めた。「ふ、ふふ。ところで……デスドレイン=サン……私から、君に贈りたいモノがある……受け取ってくれ」スプレンディドの全身から黄金の煌めきが迸っていく。彼を縛る暗黒物質が討滅の光に灼かれていく。

「アア?……戻れッ、テメェら!戻れェーッ!」

 ニンジャ第六感に突き動かされ、デスドレインは跳び下がった。周囲全てのアンコクトンが液状化して螺旋を描いて渦を巻く。空中に放り出されたスプレンディドは身を丸め……「……バンザイッ!!」大の字に全身を張り、宿りし全てのオフセを、カラテを解放した!

KRA-TOOOOM !!!

 ナムサン……自爆だ!黄金の大爆発が辺り一帯を包む!爆ぜ散ったエテルの輝きがカトンめいて燃え揺らぎ、アビ・インフェルノ・ジゴクめいて全てを焦がしていく……!


◆◆◆



 轟く爆発音と建造物全体を揺らがせる衝撃。アズールは顔を上げた。澱んだターコイズブルーの双眸が吹き抜けの広大な廊下を眺める。大爆発が齎した災厄、あちこちに上がる火の手。墜落する真っ黒な人影……少女は瞠目して立ち上がり、華奢な脚で駆け出した。ベシャリと落ちて床に転がる黒焦げの痩躯へと。

 息を切らしながらアズールはそれを覗き込んで見下ろす。黒焦げの焼死体……否。焦げついた暗黒物質がバリバリと剥がれ落ちていく。デスドレインの姿が露わになっていく。彼はスプレンディドの自爆に対し、アンコクトンを己の全身に纏わさせることでこれを防いだ。とはいえ無傷ではない。彼の焼け爛れた皮膚をボロボロになった暗黒物質が這いずり、染み込む。あるいは、力無く床に落ちる……。デスドレインは唐突にガバッと身体を起こした。

「……うあッ」

 彼の顔を覗き込んでいたアズールは頭をぶつけられて蹌踉めいた。デスドレインは周囲を見渡したあと、つまらなさそうに耳を掻きながら立ち上がった。

「……アー、アー。締まらねェの……パッとしねェや。俺が。……あン?どした、アズール」

 己に向けられた不機嫌そうな眼差しに気付き、アズールへと視線を向ける。

「ンだよ、その顔。置いてかれて拗ねてンのか?泣いちまッた?へへ……ガキだなァ、アズール……テメェがついてこれねェのが悪ィんだよ」

「……」

「へへへ……アーア。これじゃ、つまンねェ。つまンねェ……ムカつくな。ムカつくなァ……」

 デスドレインの目鼻口、耳へとズルズルと染み込む暗黒物質。彼はヒリついた声音でブツブツと呟き、近くの調度品を意味もなく殴りつけて破壊した。壁に飾られていた絵画、無惨にアンコクトンに汚されたそれに触手を差し向けて壁から引き剥がし、床に叩きつけて踏み躙る。目につく全てを無意味に壊していく。

 その様をアズールはジッと見つめている。破壊と蹂躙を繰り返すデスドレインが、不意に彼女の方へ振り返った。

「……オイ、アズール」

 デスドレインは懐に手を突っ込んで不躾に彼女の名を呼ぶ。少女の空色の瞳が彼を見つめる。いつものニヤケ面ではない、張り付けたような無表情の彼を。冷たい声音が囚人メンポの下から発せられる。

「お前さ。ムカつかねェの?……ムカついてるよな。なァ。なンだッていいンだ……何にムカついてンのかはどうでもいいンだ」

 無表情のままに彼は言葉を紡ぐ。

「だからさァ……全部出せよ。そンで壊せ。壊せ、壊せ……ブッ壊せ。メチャクチャにしてやンだよ……やれンだろ?オイ」

 顎でジゴクめいたタワーホテル内を示し、デスドレインはアズールを睥睨した。少女はスリングベルトに携えたサブマシンガンを抱えながら、身動ぎすることもなく彼に物憂げな眼を向けている。

「……」

「ンだよ、その眼」

 アズールは彼を見つめる。黒い瞳を見続ける。光を呑み込み喰らうような、ぬばたまの瞳を。その瞳の奥を、捉えようとする。彼が自分に何を求めているのか、何をさせたいのか。

 理解できず、理解しようとも思わずにニューロンの引き出しにしまったそれらを、開けてみる。……そして、少女は、噤みかけた口を開いた。

「……私、は」

「アァ?」

「私は……ランペイジじゃないよ」

 彼女の言葉が、時が止まったかのような静寂を齎す。あの退廃ホテルでの一夜を、反抗の爪を立てた瞬間を想起し、己の中に渦巻く感情を理解しながら、少女はデスドレインを見る。芯の底から湧き上がる恐怖心に竦みそうになって……それでも彼女は悪魔を見据えた。悪魔は不愉快そうに首を傾げて口を開き、静寂を裂く。

「……何言ッてンだ、テメェ。そンなこたァわかってンだ……アァ?……アー、そういうことか?」

 悪魔はゆったりと少女に近付いていく。彼女の眼前に立って、小柄な体躯を冷たく見下す。

「チッ……ガキが。ナメたこと考えてンな?わかンだよ、そういうの……生意気だぜ、お前」

 少女は後退りかけた脚を努めて留め、顔を背けそうになるのを堪え……意を決して口を開く。「アズール」痩躯の男を見据えながら、その名を発する。デスドレインは無言で少女を見やった。彼女は息を吸い、己の眼を指差して、言葉を紡ぐ。

「……目の色がアズール(空色)だからその名前なんだッて、そう言ッてた……お前が、言ッたンだ。お前が、名付けたンだ

 緊迫感を堪えた声は僅かに震えていた。デスドレインは……デスドレインは気怠げに頭を掻いた。

「アー……アー、アー。面倒くせェな、お前。……アズール」

「……そう。私、は……アズール。ランペイジじゃ、ない」

 アズールは辺りの惨状を後目に見やり、痩躯へ声音を届ける。「それで。次は何をするの。私は何をすればいいの」サブマシンガンを抱える手が強張る。デスドレインは暫くその場で立ち尽くし、アズールを見据え……そっぽを向いて歩き出した。

「もういい。萎えた。ダリィ。出るぜ、ここをよ」

 アズールは控えめな溜息を吐き、彼の後ろをついていく。歩きながらデスドレインが不意に口を開いた。

「……ンー。なンか癪に障るッつうか。俺がパッとしねェンだけど。そンでも、身体中こンなだからよ、俺」

 彼は振り返ってアズールへと眼差しを向けた。彼の全身の傷に泡立ち蠢く暗黒物質から、ボトボトと黒い残滓が溢れていく。

「だからよォー、アズール。お使い行ッてこい。ヘヘヘ、ガキのお使いだ……」

 アズールの碧い双眸がデスドレインを見つめる。いつも通りの、眼元に愉悦な弧を浮かべてニタニタと嗤う悍ましきニンジャの顔がそこにあった。

エピローグへ続く。

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