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時の流れから目を背けない

文章が書けなくなっていた。

下書きには書きかけの文章がたくさんある。途中まで書いても、最後まで書けなくなってしまっていた。

書いてない期間、何もなかったわけではない。

ずっと連絡を取っていた人と、付き合うことになったり、母が祖母の介護をきっかけに精神を病み何もできなくなったり、自分の生活環境は大きく変わっている。

それでも、noteを開くきっかけを掴めなかったのは、何だかんだで自分の生活が安定していたからだろう。

「何かを書きたい」と猛烈に思うとき、それは、自分の心が落ち着かなくなっているときだ。そのため、家にある日記はすべて辛い出来事で埋め尽くされている。

だから、「文章を書きたい」と思うか思わないかは、私の心のバローメーターなのだ。

そして、今、こうしてnoteに向かっているということは、私の心がそわそわしているということだろう。

先週、自分のスマホに入っているSNSのアプリを全て削除した。

私は、SNS主流の世の中で、あまりSNSを活用することができていない。

友達とはつながっているけど、全くいいねしないし、自分も投稿しない。

ただ、なんとなくぼーっと眺めているだけだ。

いつものようにぼーっとSNSを眺めていたある日、「自分はこの時間で何を得ているんだろう」とふと考えた。

見たいものがあるわけでない、知りたいことがあるわけでない。

何かを見て、心が癒されているわけでもない。

ただ、「なんとなくぼーっと見ている」、この行為が、自分の時間を搾取しているように思われて、ものすごく怖くなった。

私は、昔から、時の流れが怖い。時と共に老いていく両親、自分の身体、そして出会った人との別れ。

幾度となく、「この時間が永遠であればいいのに」と思ってきた。でも、どんなに願って努力をしても、時を止めることはできない。すべての人に時の流れは平等であり、重くのしかかっている。

何にもしない時間が怖い。このまま何もせずに老いて消えていくかもしれない。

でも、何をしたらいいかもわからない。唯一の趣味だと思っていた読書も、ここ数か月離れてしまっている。やらなくちゃと思うことはたくさんあっても、行動を起こすことができない。

テレビを見ていても、成功した人達で溢れている。「考える前に行動しよう!挑戦しよう!」とテレビの向こうから促してくる。

でも、何をしたらいい?何に挑戦すればいいの?これだ!って思うものが見つからずに、30歳になろうとしているのに。

これは愚痴だ。できない言い訳を並べているだけだ。

本当は、少しずつ行動してみることが大事だってわかっている。

もっと、勉強がしたい。知らないことが知りたい。

自分の頭で考えて、自分の人生を歩めるようになりたい。

母は今、考えるのを放棄している。祖母が認知症なのも、もう今までのように会話ができなくなっていることも、全てから目をそらしている。

そうして、自分の世界に浸っている。

私は、あと20年くらいかけて、そうした怖さから目を背けないでいられるようになりたい。

時は平等で、全ての人に別れは訪れる。最愛の人との別れ、この世との別れ。大好きだったものから、離れなければならない時がやってくる。

だけど、その分出会いもあって、幸せもある。

私はいつも、幸せなことは残さないで辛いことばっかり書き残すけど、そういうところから少しずつ変えていけたらと思っている。

別れの辛さは、これまでの幸せが補ってくれるんじゃないかって、ふと思った。

辛いことからも、幸せなことからも目を背けない。どちらも私の人生。

そんな人生を、こうしてnoteに書き残していく。

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