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Off Flavor入門〜㉑ダイアセチル後編

前回からの続き
前回はダイアセチル前編として、化合物としての特徴、VDKsについて、閾値、分析方法などを紹介しました。今回は後編として生成とコントロールについてです。


生成とコントロール

生成

ダイアセチルはその前駆体であるαアセト乳酸が非酵素的で酸化的脱炭酸をすることで生成されます。その背景を含めて説明したいと思います。
酵母が増殖するときには細胞内のリボソームでせっせとタンパク質を作りますが、その材料となるアミノ酸も作らねばいけません。つまりアミノ酸代謝をするわけです。中でもアミノ酸の一種バリンを生合成する経路が下記です。

バリン生合成

2つのピルビン酸からはじまって最終的にはグルタミン酸を使ったアミノ基転移でバリンが生成されます。ちなみにグルタミン酸は、植物が光合成と窒素同化によって生合成する、いわば様々なアミノ酸のもとになるものとして知られています。
さて、発酵が終わりかけるとバリンはそんなに必要なくなります。そうなると酵母はアロステリック調節(フィードバック阻害)の仕組みで上の図の経路を止めます。(アロステリック調整については「⑫酵母の働き」で少し触れてます)そうなると宙に浮いてしまう中間生成物・αアセト乳酸が細胞外に放出されることになります。
なお2,3-ペンタジオンは、イソロイシン合成のための中間生成物・α-アセトヒドロキシ酪酸が前駆体であり、ダイアセチルの発生背景と構造的には同じです。

ダイアセチルの生成経路

上の図はαアセト乳酸が細胞外に放出されて以降の化学反応のイメージです。ポイントはαアセト乳酸からダイアセチルを生成する反応は非酵素的で酸化的な反応であることです。英語の文献ではspontaneous(自然発生的な)反応と書かれているものもありました。つまりαアセト乳酸はビール中でどんどんダイアセチルに変わっていってしまうわけです。多くの化学反応がそうであるように、pHや温度によって反応の速度は変わってきますが、化学平衡の論理に基づいて低温であっても時間をかければ徐々に反応は進むと思われます。
ダイアセチルは一度生成されても酵母が吸収して、酵素的な反応でアセトイン→2,3-ブタンジオールとすることで無臭化されます。つまり、オフフレーバーには珍しくダイアセチルは後戻りできるオフフレーバーなのです。しかしながら、酵母を除去してしまった後にダイアセチルが発生すると回収しようがなく、そのままオフフレーバーとしてビールに残ることになります。
海外ではALDCという酵素を添加して、ダイアセチルをすっ飛ばしてダイレクトにαアセト乳酸からアセトインへの反応を起こしてしまうコントロールもされています。ちなみにALDCは細菌(Bacillus subtilisやBacillus licheniformis)由来の外因性(Exogenous)の酵素で、日本の法令上認めれているかどうか私には分かりかねました。

汚染とホップクリープ

ここまでは通常のビールの発酵工程におけるダイアセチルの生成経路の話でした。ダイアセチルを語る上では汚染とホップクリープについても触れる必要があると思います。
ある種のビール変敗菌はダイアセチルの生成が活発で、しばしばオフフレーバー化します。このシリーズで何度も登場している乳酸菌であるラクトバチルス属(Lactobacillus)、ペディオコッカス属(Pediococcus)はダイアセチルを生成する汚染菌として有名です。種にもよりますが大まかにいうと、ラクトバチルス属はダイアセチルの他に酢酸や乳酸を生成するので発酵バターや腐敗したバターっぽいフレーバーになりがちで、ペディオコッカス属はダイアセチルと乳酸の生成がメインなので普通のバターに近いフレーバーになる傾向があります。
ホップクリープは現代ビールを語る上でなくてはならないものになっています。ドライホップによるホップ由来の酵素が原因で、発酵が終了した(終了しかけた)ビールが再発酵する現象です。オーバーカーボネーションをもたらす他、ダイアセチルの再発生ももたらします。ホップクリープによるダイアセチルが生成される仕組みは、再発酵時の代謝によって前駆体(αアセト乳酸)が細胞外に放出されるというものであり、通常の生成過程と同じです。ホップクリープを詳しく語り始めるとそれだけで連載シリーズが必要な分量になってしまうのでここでは深入りはしないでおきます。なお、島津製作所さんがGCを用いて弊社のビールでドライホップ前後のVDKsの推移と二次発酵によるダイアセチルレストを測定したレポートがありますので参考までに。

コントロール

汚染やホップクリープなど生成背景が多様なので、コントロールも多岐にわたります。汚染のコントロールは酢酸酪酸のときに言及したのでここでは割愛します。また、ホップクリープに関してはコントロール手法が2つに分かれているようです。一つは高温でドライホップしてホップクリープを起こした上で酵母にダイアセチルを吸収させる手法、もう一つは低温でドライホップしてホップクリープ自体を最小化する手法です。いずれにしても設備やブルワーの考え方によって実務的にはいろいろな手法があるので、ここでは詳細は割愛します。一般情報としては、英文になりますが、BAのHop Creep – Technical Briefとか、2020年のCBCのスライドなどに知見がまとまっています。
通常の製造工程でのダイアセチルのコントロールは、非常にざっくりいうと、健全な発酵を促す、ダイアセチルレストの工程をとる、VDKs Check(ダイアセチルテスト)をするの3つです。健全な発酵についてはアセトアルデヒドの回で触れたとおりです。アミノ酸やFAN(遊離アミノ態窒素)、亜鉛、カルシウムなど栄養素、冷却や酵母を抜くタイミングの話です。ダイアセチルレストはエール/ラガー、ブルワリーの環境などによって手法が変わってきますが、目的としてはビール中に発生したダイアセチルを酵母に吸収させて酵素的に還元することです。そのためには酵母がまだ活性していることが必要です。ダイアセチルはせいぜい数百ppbという低濃度しか存在しないので、酵母による吸収は比較的速やかに終わります。VDKs Checkに関しては前回の投稿の中の「閾値と分析方法」で触れました。前駆体もろとも強制酸化させて潜在的なVDKsを把握する手法です。発酵タンクのなかでは一見ダイアセチルがないように感じても、パッケージング後に熱・振動・時間経過などで前駆体がダイアセチルや2,3-ペンタジオンに変わってしまうことがあるので、VDKsのチェックは潜在的な総量でする必要があります。

次回へと続く

このシリーズは実務的な手法に関しては極力触れずに一般教養的な知識に絞って書いていますが、ダイアセチルの話は調べれば調べるほど多角的な情報がどんどん出てくるので、どこまで書けばいいか区切りをつけるのが非常に難しかったです。
さて、次回はメルカプタンです。ダイアセチルに比べたら書くのは楽そうです。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

新しいビールの紹介です。山梨県の生産者さんと一緒になったビール造りの取り組み「Brewed with Yamanashi」より、昨年に続いて燻製ラガービール「Arcadia」を造りました。桃・さくらんぼなどの剪定枝を使って燻製しています。

ARCADIA

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