見出し画像

Off Flavor入門〜⑲カプリル酸

前回からの続き
酢酸、酪酸と続いて今回はカプリル酸です。化学や生物を忘れてしまった大人の皆さんはこのシリーズの②〜⑮の前提知識編を事前にお読みいただくと良いかもしれません。


化合物としての特徴

カプリル酸

カプリル酸(Caprylic Acid)は炭素数8の直鎖状の脂肪酸です。脂肪酸ということは当然、有機酸でもありカルボン酸でもあります。IUPAC命名法ではオクタン酸といいます。脂肪酸は炭素数が多いほど疎水性が強くなるので、カプリル酸は酢酸や酪酸に比べて水に馴染みにくい性質があります。
カプリル酸のような炭素-炭素二重結合を含まない脂肪酸は飽和脂肪酸といいます。二重結合がないということはすべての炭素に水素が最大数結合しているので、炭素が水素で飽和されていることからそう呼びます。
カルボン酸なので水溶液中では酸としての性質があり、pKaは4.89で酢酸と同じくらい。ただ疎水性が高いのと、ビール中に大量に存在するものではないので、普通はあまり酸として意識されないかもしれません。

関連するエステル

カプリル酸エチル(オクタン酸エチル)

カプリル酸がもとになっているエステルでビールのアロマに貢献するものとしては、カプリル酸エチル(オクタン酸エチル)があります。カプリル酸にエタノールが結合したものです。官能的には、フルーティでフローラルで、バナナやパイナップルやブランデーのようと表現されたり、オレンジやいちごのようと表現されたりします。けっこう形容が難しいアロマだと思います。

似た名前の脂肪酸

カプロン酸(炭素数6)、カプリン酸(炭素数10)はカプリル酸と名前が似ていて紛らわしいですが、それもそのはずこの3つはカプラというヤギの属名から由来しています。属というのは生物分類の階層の一つで、種の上のカテゴリーです。酵母が属するサッカロミケス属とか人類が属するホモ属とかいうあれです。カプロン酸、カプリル酸、カプリン酸はいずれもヤギのミルクから多く発見されたのでそういう名称になっています。
ちなみにカプロン酸もカプリル酸同様、不快な臭気を発し、ヤギ、汗、雑巾などと形容されます。ビール中にも一定量存在しますが、なぜかSeibelやFlavorActiVのオフフレーバーキットにはカプリル酸は入っていてカプロン酸は入っていません。また、カプリン酸の官能的説明はあまり見たことがないですが、カプロン酸、カプリル酸と合わせて汗臭と表現されることが多いです。

臭い

カプリル酸の典型的な官能的な説明は、ヤギっぽい、牛脂っぽい、石鹸っぽい、汗、ローソク、ワックス、クレヨン、などです。けっこう形容が難しいアロマ・フレーバーだと思います。酢酸などの他の有機酸と同様、ビールの中には一定量含まれますが、官能閾値を超えると不快なフレーバーとして認識されます。

閾値と分析方法

閾値は文献によって異なりますが、5-10ppmとするものが多いように思います。ppmオーダーなので比較的高めの閾値です。酵母の脂質代謝の過程で作られる脂肪酸なので、一定量はビールに含まれていますが通常は閾値未満です。
分析方法は官能評価とLC(GC)によるものが一般的です。ASBCで特にカプリル酸用に規定されている分析法はないようです。

生成とコントロール

生成

カプリル酸がオフフレーバー化する場合は、大きくは2つの生成経路が考えられます。ブレタノマイセスによる汚染とビールの経年劣化です。
ブレタノマイセスはサッカロマイセスより多くのカプリル酸(カプロン酸も)を作る傾向があり、カプリル酸もFunky(ファンキー)と形容されるフレーバーの一構成要素になっているとされます。ただし、このような汚染の場合はカプリル酸単体でオフフレーバー化するというより他のオフフレーバーも含めた複合的な香味異常が感じられると思います。
もう一方の生成経路である経年劣化について。ビールの発酵中の脂質代謝では麦芽由来の長鎖脂肪酸をせっせと分解したり、ピルビン酸から産生するアセチルCoAから脂肪酸を合成したりを繰り返しています。カプリル酸もその中間生成物の一つです。

脂肪酸周辺の代謝経路のイメージ

合成と分解では、合成の割合が多いと考えられています。酵母が分裂して増えるために細胞膜の主成分となるリン脂質が必要であり、そのリン脂質の部品としての長鎖脂肪酸が必要だからです。なので、カプリル酸やカプロン酸、カプリン酸は長鎖脂肪酸を合成する途中の中間生成物と考えられます。

レチシンの構造

ちなみにリン脂質はこんな構造です。グリセリンをハブにして、2つの脂肪酸とリン酸+コリンによって成り立ってます。親水基を外側に、疎水基を内側にした脂質二重層を形成することで生体膜が成り立っています。レチシンは代表的なリン脂質で、それを構成するパルチミン酸(炭素数16)、オレイン酸(炭素数18)はいずれも長鎖脂肪酸です。
さて、ビールが経年劣化すると酵母の活性が失われ、細胞膜の透過性が高まります。その結果、短鎖脂肪酸や中鎖脂肪酸が放出されます。ちなみに酵母が死ぬとさらに多くの脂肪酸が放出されます。この過程でカプリル酸が閾値を超えてオフフレーバー化することがあるというわけです。ちなみにビールの温度が高いほうが細胞膜の劣化や酵母死滅は促進されます。クロスフローろ過などで酵母を除去してしまえばこの影響は極小化できると考えられます。
麦芽由来の脂質は大抵が長鎖脂肪酸なので、カプリル酸はとても小さな割合でしか存在しません。ただ、閾値を超える因子になるので麦芽由来の脂質もなるべく低くコントロールしたいところです。

コントロール

生成経路が汚染と劣化なのでそれぞれの対策が必要です。汚染に関しては酢酸や酪酸のときと同じような衛生管理の徹底がコントロールになります。劣化対策としては、ビールの長期保存を避けたり、高温での保管を避けるということになるかと思います。フィルターによる酵母の除去もコントロールになりますが、クラフトビールではこのコントロールが取れないケースが多そうですね。
また、麦芽由来の脂質の取り込みを抑えるということも有効なコントロールの一つで、このためにはワールプールでのトルーブ形成とその除去が重要になってきます。

次回へと続く

3回続けて脂肪酸でしたが、一旦脂肪酸は終わりです。次回いよいよダイアセチル。超メジャーなオフフレーバーです。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

新しいビールの紹介です。YCHが開発中の最新リキッドホップを使ってアルコール度数2%のマイクロIPAを造りました。Hop Frontier Micro IPAです。

Far Yeast Hop Frontier Micro IPA

もう一つ。Off Trailの新作Forbidden Land。りんごとシナモンのバランスが楽しめるサワーエールです。

Forbidden Land

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?