見出し画像

夏の思い出

夏生まれのせいか、夏が大好き。テレビで流れる歌もドラマもなんだか明るい感じ。この地域では6月から8月にかけていくつもお祭りがあり、名実ともにお祭り騒ぎで皆浮足立っている。暑さはウンザリだけど、それすらもなんか楽しく思える。

そして明るく楽しいだけに終わっていく時の切なさや寂しさ。そういう夏の全てが好きです。

そのせいか夏がくると目一杯楽しみたいという気持ちが勝り、まだ娘が小さかった頃の夏は遊んでばかりでした。

我が家からは10 分も歩くと「海」に行けます。ただ「海」といっても、大きな砂浜のある海水浴場ではなく、海に隣接したショッピングモール内に整備された人工海浜のような感じで、小さな小さな砂浜です。大きな砂浜の普通の海に行くには車で10分ほど。そちらもたいして遠くはないですが、徒歩で行ける小さな砂浜が、小さい娘が遊ぶにはピッタリだったのです。お手軽なので週に1回は行っていました。

でも人工海浜といっても、決して侮れない。潮溜まりのようになっていて、ヤドカリをはじめ、小魚や小エビがたくさんいて、アサリもいる。子供たちに混じって大人も真剣にアサリを探す姿が見られるほど。

小さな網で魚をとって、砂浜に作った池で泳がせたり、砂でヤドカリの家を作ったり。かなりの浅瀬なので泳ぐことはできませんが、波が打ち寄せる砂浜に座りこんで「お風呂〜!」といって水に浸かったり。

潮の満干、砂の中にこっそり隠れている生き物たちがたくさんいること、雨の翌日は水が濁ること・・・幼稚園に行く前からたくさんのことを海から教えてもらった娘。

朝ごはんを食べ、お父さんいってらっしゃーいをし、「おかあさんといっしょ」を見たら、砂遊びセットを持って、水着にTシャツ、水中用サンダルを履いた娘とてくてく歩いて海へ。

3時間ほど遊び、水道で軽く砂を落とし、てくてく歩いて家に帰り、シャワーを浴びて、お昼ご飯を食べる。

その後本を読んだり、ごっこ遊びなど、ひとしきり遊んだら、玄関前の廊下に娘の身長ほどの長い座布団とバスタオルで作った簡易ベッドでお昼寝。

水辺が近いせいか風がよく通るので、玄関を半開きにしておくと、風が通り抜けていきました。暑い盛りでも自然の風だけで涼をとることができたのです。

我が家はオートロックマンションで部屋は端のほうだし、門とポーチのおかげで外廊下からは室内が見えないので、夏は常にドアが開けっぱなしでした。特に風が強く吹き抜けて、強い日差しが遮られる玄関前の広い廊下が一番涼しく、夏は娘のお気に入りの場所でした。

お昼寝から目覚めたら、まだぼんやりしている娘と涼しい廊下で麦茶を飲んだり、絵本を読んだり・・・。

娘が幼稚園にいくまでの夏の一日はこうして過ぎていきました。

今振り返ると幼い娘と親子で家で過ごしていた時間は、楽しいことばかりではありませんでした。辛いな、子育て向いてないな、早く大きくならないかなと思っていた日々。良い母親であろうと、その役割を演じることに必死で、毎日を楽しむ余裕はなかった。

それでも一緒に魚を捕まえて大騒ぎした時のワクワク感や、帰り道で二人でアイスを食べながら、美味しいね、冷たいね、と笑いあった時の幸せな気持ちは、今でもハッキリと思いだせます。

そしてこの夏の日のような日常を繰り返していく中で、良い母親になるのではなく、ただ一緒に楽しく暮らしていくだけでいいのかもと思えるようになって、苦しさや辛さを感じることは段々無くなっていきました。

娘が幼稚園に行き始めると、海へのお散歩はシーズン中1〜2回に減り、小学生の夏は友達同士で近くのプールへ。中学生になると「海」の隣のモールで友達とゲームをしたり、映画を観たり。側を通ることはあっても、「海」で遊ぶことはなくなりました。

私も普段の買い物ではそのモールを使わないこともあり、近いにも関わらずその「海」にはもう数年行っていません。

そして年々地球温暖化を実感するほど、ここ数年の気温や風の変化は大きなものでした。残念なことにどんなに風が吹いても、それはもはや涼しさを運んでくれるものではなく、ドライヤーの熱風となってしまいました。

数年前からとうとう我が家も夏は窓を締め切り、冷房をつけることに。

玄関からのほのかな光が差し込み、そよそよと風が吹き込む薄暗い廊下でスヤスヤと眠る娘。

これが私にとって泣きたくなるぐらい一番大切な夏の思い出なのです。





この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?