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《点光源 #10》 今この時代、アーティストとの心地よい距離感とは?

昨年の3月。私は「『はじまりはいつも雨』を語ろう。」という企画に取り組んでいた。ASKAの代表曲でもある「はじまりはいつも雨」について、その発売30周年記念日にファンでもファンでなくても大勢で一斉に語れるよう、noteとTwitterの連動企画を仕組んでいたのである。

ASKAさんがTwitterを個人で始められたのがその前年の春頃だっただろうか。音楽とはまた別の糸口ができたことにファンとしては狂喜し、毎日Twitterを開くのが楽しみになった。

ところが不思議なことに、心の中でアーティスト・ASKAとの距離感のチューニングに迷うファンの方々が続出し始めていたのが、ちょうどその年の末頃だったように記憶している。他人事のように書くが、この私もそうだったのだ。


なぜ迷ってしまうのだろう。好きなアーティストと繋がれるのなら、どんなツールでもどんな発信でも嬉しいはずなのに。
だが、理屈はどうであれ、戸惑いは疲れのような形でそこここに滲み出しているようである。

何か自分にできることはないかなぁ…。
‘21年はチャゲアスが大ヒットした年からちょうど30年の節目だったので、平和な祭りを開くにはちょうど良いタイミングでもあった。
それでやってみたのが、この企画だった。

これを終えた時に、とても嬉しいnote記事を書いてくださった方がいた。

”ファンと近くなる場面があるとしたら、そこはやっぱり音楽を介した世界であってほしい。そういう意味で、今回はあまりにも理想的で感動的な「ファンとのやりとり」の形でした。”

ただの祭りではあったけど、ここまで私の真意をしっかり汲み取って参加してくださった方がいたのだと、心の底から嬉しくなった。

憧れの人と近くなることを拒むのには、エネルギーがいる。人は、大好きな人とは片時も離れず一緒にいたい、もっと知りたいと思うものだ。
けれど、「愛しているからこそ遠くから見守りたい」という気持ちだって同時にある。なぜこの二つが両立するのだろうというところに、私はいつでも興味がある。
その裏にはきっと、アーティストというある種の「偶像」を存在させ続けてくれるファン心理が隠れているはず。

結局、芸能とは双方向のやり取りなのだ。
昨年3月7日のあの日、ASKAからのハイタッチ(Twitter上のいいね)を受けながら愛が膨れ上がっていくタイムラインを見た時に、私はアーティストとファンのチューニングが、がっちりと嵌ったのを見たような気がしたのだ。この形で膨らむ幸せがあるのだ、と。

ASKAの音楽を愛する人たちへのインタビュー連載《点光源》も、ようやく10人目を迎えた。今回はASKAを30年ものあいだ遠くから見守り続ける大和撫子、先ほどのnote記事を書いてくださったyoshimiさんである。


●ASKA史の中で最も熱い「今」を追いかけて

ーーyoshimiさん、やっとお話しできて嬉しいです! 私がnoteを始めたばかりの頃から記事へのコメントをくださったりしていて、いつかお話ししたいと思っていました。
yoshimiさんの私の中での印象は「知的でアクティブな人」なんです。ライブも複数公演に遠征されると知って、すごくアツい方だなと!

複数公演観に行くようになったのは、ここ数年のことなんですよね。「今のASKAさんを観られるうちに出来るだけ観ておきたい」と、3年前にASKAさんが復活ライブをされた時に思いまして。これには終わりがあるんだ、ということを意識してしまったんですよね。行けるだけ行っとかなきゃって、変な焦りのようなものが生じたんでしょうね。
今回の「-higher ground- アンコール公演」もツアー箇所の半数ほどのチケットを取りまして、遠征で観に行くつもりです。コロナの状況で移動や開催自体がどうなるかわからないですけど、なんとか完走して欲しいですね。


ーー半数も行くんですか! 私は一月の公演を観ましたが、きっとこれは一公演ずつ貴重なものを観させていただいてるに違いない、と感じたんですよね。なぜそう思うんだろうなぁ…。yoshimiさんが思うに、ASKAさんの活動史の中で一番アツいのはどの時期ですか?

それはもう間違いなく今です! ここに至るまで4〜5年ほどの流れが一番アツいんじゃないかな。30年くらいファンをやってるんですが、実感としてそう思います。

ーーすごいなぁ! '79年にデビューし、’90年代にあそこまで円熟した形でヒットを飛ばしていたアーティストが、さらに還暦を過ぎた今こそ一番アツいとファンに感じさせている現象…これ、何なのでしょうね。

ASKAさんのライブって、ここ近年が特にそうですが、パワーがすごいんですよ。’90年代はChageさんと並んでエンターテイメントとして完成度の高いステージをされてましたが、最近のASKAさんを観て思うのは、もうただ圧倒的で、全身全霊ってこういうことなのかと。同じ公演を何度も観に行ってしまうのも、これを感じるためですよ。

ーーエネルギーを感じに行ってるというのは、一般的な音楽ライブとは別次元の感動ですよね。やっぱり今のASKAさんは、浅く広い層にリーチしているというよりも、深く好きになったファンの方々に支えられていますよね。

そう、しかも意外と新規ファンの方もいらっしゃるんですよね。若い方もライブやSNSで見かけますが、この方々の熱量もすごいと思いますよ。

ーー確かにそうですね! 私たちと同世代の方でも、'90年代はなんとなくヒットし過ぎてて聴いてなかったけど、今あらためて聴いてみたらすごくいいじゃない、ということでファンになった方々をよく見かけます。
新しいファンの方って、どういうルートで好きになっていくんだと思います?

今はYouTubeで代表曲が聴けるので、オススメ表示を辿ってどんどん聴き、楽曲の良さに惚れ込んで好きになっていった人が多い印象ですよね。他のアーティストはサブスクという入り口がありますし、チャゲアスもぜひやった方がいいんじゃないかと私は思ってます。
やっぱり曲が良ければ、どんなタイミングであろうと普遍的に愛されますよね。

ーーしかも色々なアーティストがいる中で「敢えて今ASKAを聴く」からこそ、理由がアツくならざるを得ないんでしょうね…。そのファンの気持ちが今のASKAさんを支えてるような気がします。


●ずっと「好き」を語り合える仲間がいた

yoshimiさんは’80年、岩手県生まれ。一人っ子の彼女がチャゲアスに初めて触れたのは、近所の遊び仲間がくれたお手製のカセットテープだったそう。

J-POPは7〜8歳の頃から好きだった記憶があるんですが、うちは両親が音楽にあまり興味がなくて、流行りの曲のCDを買ってくるという習慣がなかったんですよね。テレビや車で流れるラジオなんかが、音楽に触れる入り口だったんです。
'91年の時は小学5年生でしたが、近所のお兄ちゃんお姉ちゃん達と仲良しでいつも遊んでて。そこで、当時のヒット曲を集めたカセットテープをもらったんですよね。

ーーあの頃ってなぜか、テープを交換する文化ありましたよね! 手書きのラベルが付いていて(笑)。

そう(笑)、そこで初めてチャゲアスの「SAY YES」を聴いたんです。もうこの一曲にハマってしまって、そこだけ何度も巻き戻して壊れた機械のように聴きまくったんです。

ーー「101回目のプロポーズ」の主題歌でしたが、ドラマはリアルタイムでは観てませんでした?

小学生でしたからね。曲を聴いたのはそのテープがきっかけでした。それで親にCDを買ってもらい、曲が出たら買う…というファン活動に入るんですが、私のチャゲアス好きはもう学年中に知れ渡るほどでしたよ(笑)。

ーー学年中に、ですか!

あの頃はみんな「チャゲアスが好きで当たり前」でしたからね。幼稚園の時に引っ越してしまった幼馴染の子と連絡を取ったら、その子も向こうの地でチャゲアスファンになってた、なんてことを知って盛り上がった記憶もあります。

ーー私はファン友達がほぼいなかったので羨ましい環境です。周りに好きなものについて話せる人がいると、「好き」が強化されますよね。

そうなんですよね。当時のチャゲアスのファンクラブの会報に、文通相手募集のコーナーがあったの覚えてます? 私、そこに載ったんですよ! そうしたら冗談でなく、100通くらいの手紙がポストに届いて。ちょっとした有名人気分ですよね(笑)。

ーー100通も! その中からどうやって相手を選ぶんですか?

最初は本当に全員と文通していました! 時とともに一人減り、二人減り...最後は互いに筆まめな同世代の女の子数人が残りました。その子たちとは今でもツアー遠征中に会ったりする仲なんですよ。ずっと長く続いてる大事な関係です。
文通って、今のSNSの原始版みたいなものですよね。顔が見えなくて本当に存在する相手なのかわからないけど、好きなものが同じなので話が尽きないというのは、昔も今と同じようなことやってたんだなぁと。

ーー話し相手や、価値観を共有しあえる関係ってすごく大事なんですよね。チャゲアス自体の魅力としては、どういうところに惹かれたのか覚えてます?

やっぱり、ChageさんとASKAさんお二人のバランスですよね。「SAY YES」から好きになって「僕はこの瞳で嘘をつく」で真反対の方向性の音楽を聴かせられ、そこからさらにバリエーションの全く違う曲を次々出され、ソロ活動に入りと…。音楽的にはついて行くのが大変だったと思うんです。
それでもあの頃、どんどん好きになっていったのはなぜかと考えてみると、やっぱり私はお二人の音楽性以前のところで、そのキャラクターに惹かれてるんだなと思いますよね。曲が好きという以前に「チャゲアスだから聴く」となってましたから。

ーーお二人のようなキャラクターは、アニメや映画などの創作ではよく見るけれどリアルではなかなか現れないですよね…。三枚目のCHAGEさんに二枚目のASKAさんというバランスがまず完璧。そのお二人が声を重ねた美しさにはやっぱりグッときてしまう。
デビューから42年経った今でも、お二人がそれぞれ音楽活動を続けてくださってるからこそ、今なおファン同士で語り合えるんですよね。

本当に、今でも応援できていること自体がありがたいですよね。ここまで深く長く好きになったものは、他に無いですよ。



●「好き」や「得意」って、簡単にわからなくない?

ーーyoshimiさんは収集癖もあるそうで、凝り性ですよね。私がグッズ収集とかに興味の無いタイプなので、そういう気質って環境からくるのか、それとも生まれつきなのか伺ってみたいところです。

生まれつきだと思いますよ。うちの両親は全くそういうところが無いんで、今でも同じライブに何度も行ったり色々と買い集めたりしてるのを不思議がられてます(笑)。

ーーそうか、完全に生まれ持ったものですね(笑)。好きなことに没頭するような子供でした?

実はそうでもなくて…。何が好きなのかを、やってる時にはあまりわかってないタイプかもしれないです。
ピアノを3歳から20歳くらいまで続けたんですが、習ってるうちは好きかどうかわからなかったんですよね。どちらかというと続けることを大事にするタイプで。
大学で東京に出て一人暮らしを始めて、住んでたマンションにたまたま共用のピアノ室があったんですよ。もうレッスンは無いんだけど、ピアノがあるんだったら弾いてみようとチャゲアスの楽譜とかを引っ張り出してきて弾くようになって。あれ、レッスンの為でなくても弾きたくなるんだ、とその時に気付きました。私、ピアノが好きだったんだと(笑)。

ーーいっこく堂じゃないけど、好きが遅れてやってくるんですね(笑)。

いつもそうなんですよね…。得意というのにもやってる時は気付けなくて、離れた時にようやく客観視できて気付けるという。
大学を卒業後、故郷の岩手の新聞社に入社したんですが、入った時からとにかく忙しくて。がむしゃらに書き続けてましたが、そこを辞めることになり書くことから離れてようやく「あれ、私って書くことが得意だったんだ」と気付けたんです(笑)。

ーーああ、そういうことありますよね…。特に若いうちは、誰も「それが出来てるってすごいことなんだよ」なんて教えてくれないですからね。自分で気付くのは後になってしまう。

出来てしまうからこそ、ですよね。周りも普通に出来るだろうと思ってたことが、実はそうではなく得意なことだったと後で気付くんです。

ーーyoshimiさんの場合はピアノのお話で感じたけれど、継続できる力がすごくありますよね。好きという意識が生まれてなくて、どうやってそのモチベーションが作れるんですか?

うーん、思い返してみれば、ちょっと先の目標を持ち続けてきたようには思いますね。ピアノで言えば「発表会でこれを弾いてみたい」とか「とりあえずこの年まで続けよう」というのを積み重ねていった気がします。

ーーちょっと先の目標を自分で作れるって、実はすごい能力ですよ。ナチュラルに誰でも出来ることじゃないです。

そうなんでしょうか…。続けたことで言うと、中高生で剣道も6年やっていました。

ーーおおー、ASKAさんの影響で?

もちろんそうです! ASKAさんが打ち込んだものなら自分もやってみようかな、という憧れだけで始めて、二段まで取得しました。

ーーそれは本当にすごい。人を成長させるには、憧れのエネルギーも大きく作用するってことかもしれないですね。

飽き性でもあるので三日坊主で捨ててしまったものもいっぱいあるけど、その中で続けられたものはやっぱり好きということなんでしょうね。

ASKAという存在に憧れ続け、音楽や剣道を通じて自分の中の何かが重なる喜びを大切にしてきたyoshimiさん。
答えがすぐに出てしまったら、楽なのかもしれない。
けれど、じっくりと自分に向き合う中で距離感を確かめ続けるyoshimiさんのスタイルに、私は奥ゆかしさと芯の強さを感じ取ったのだ。


●オタク気質は世に価値を生む?

元新聞記者でもあり、書くことが好きというyoshimiさん。同じnote仲間として、「好きなものについて発信すること」について伺ってみた。

ーーyoshimiさんは好きなことについて話せる相手がずっといたことが、すごく良い環境だったと思うんですよね。私なんか、隠れキリシタンのようにチャゲアスファンをいい歳まで隠してましたからね(笑)。カミングアウトした時に、自分の熱量に引かれて会話が続かないのがわかるので、怪我したくないなと(笑)。

そりゃやっぱり、好きなものについて同じ熱量で話せる相手は限られますよ。私も深く狭く好きになってしまうタイプなので、それはよくわかります。
普通「○○ってアーティストが好きなんだ」と言う時って、数曲知ってるくらいの熱量だったりするじゃないですか。そういう方々に比べて、
私はオタクだしミーハーですよ(笑)。

ーーオタクとミーハーって、どちらもネガティブな印象をまとう言葉だけど、今の時代はそうやって「熱く深く」好きになれる人の発信する情報が重宝されるじゃないですか。ご自身なりに、オタク気質の活用法って見出されたりしてます?

それが、あまり…。発信系が自分の一番弱いところかもしれないですね。
オタクって、やってみるとわかるんですがオタク内のピラミッドが存在するんです(笑)。頂点にいる人達は本当にすごくて、データをしっかりと調べて頭に入れてる方が多いですよね。私はそういうのが不得意で。


ーーデータ面は、私も同じく弱いんですよ。チャゲアスファンには情報系の猛者が多いですね。

そうなんです! チャゲアスって、同じ楽曲でも数枚のアルバムに収録されていて、それぞれ微妙にアウトロの長さやミックスが違ったりするじゃないですか。オタクの重鎮達は、その秒数を見比べるだけで「お、この曲はどのアルバムに入ってるバージョンだ」ってわかるんだからすごいですよ(笑)。

ーーそれはまた、チャゲアスご本人達も絶対忘れてるようなことを(笑)! そういう重鎮達に触れると、yoshimiさんはどう感じるんですか。

もう、完敗ですよね(笑)。自分なんてまだまだと思ってしまいます。だから自分は、浅い情報をひっそり発信するくらいにしておこうと。

ーーそうかぁ…。noteもやられてるのに、非常にもったいないですよね。私が思うに、情報に精通しているのってすごいことだけど、一方で情報量だけが全ての価値基準になってしまったらつまらないじゃないですか。ぜひyoshimiさんのパーソナリティや視点で、ご自身の居心地のいいフィールドを作って、発信をたくさんして欲しいです!

そうかな、何だかありがとうございます(笑)。

ーーいえ…こちらも自分ごとのように感じてしまって、アツく語ってしまいすみません(笑)。


●ファンの経験した'10年代のリアル

ずっとファンを続けているyoshimiさんに、この機にどうしても聞いておきたいことがあった。
それは、おそらくASKAのファンとしては最も辛かった事件時、'10年代から今に至るまでの文脈を、どのように捉えてらっしゃるかだった。

ーーyoshimiさんは、ASKAさんの応援から離れたことはなかったんですか?

「離れよう」と決めてそうしたことはなかったですね。熱量の上下はあるにしろ、やめようと思ったことはないです。

ーーそうか…。ずっとファンを続けているyoshimiさんにだからこそ伺ってみたいんですが、私は’00年になる前にチャゲアスの活動を追うのをやめてしまったんですよね。’16年に再び戻ってきたんですが、チャゲアスやASKAさんにとって大事だった'00年以降の活動を実感としてよく知らない。
だからきっと今のASKAさんに対する温度感も、アツいことはアツいのだけどずっと追ってきた方のそれとは違うんじゃないかと思ってまして。ぜひそのあたりの実感を聞かせていただけないかと。

いや、私に語れるのかな(笑)。’00年代は韓国ドラマから次第にK-POPにハマり、RAINやBIG BANGへの熱量の方が高かったですから(笑)。
大学に入ると、時間が自由になり活動範囲が広がりますよね。私は海外への興味が高まって、休みさえあれば色んな国に行っていてチャゲアスへの熱量は少し下がってきてたと思います。住所変更の手間とかでファンクラブも途中で退会してしまいましたからね。


ーーうーん、これは私も今になりあらためて思うことなんですが、チャゲアスの熱のようなブームが落ち着いていったのは、音楽性の変化とかブームになり過ぎたとか色々な解釈があるけれど、「ファン層の生活パターンの変化」は大きな要因として見過ごせないんじゃないかと思うんですよね。事実私もそうですし、同世代の方々からは一様に同じような話を聞くことが多いんです。
これを逆に言うと、あんな大人な音楽に当時10代、下手すれば一桁代の年齢の子供達が熱狂したというのがすごいことで、これぞブームの力なんだというのも感じますけどね。
ではyoshimiさんの中で再び盛り上がってきたのはいつ頃なんですか?

’13年に、チャゲアスが復活ライブを代々木でやると知った時ですね。’09年から活動休止してましたから、4年のブランクを経てあの二人がようやく並ぶところを見れるんだ、という期待がすごくて、私も絶対にチケットを取らなきゃと、この時にファンクラブに入り直しましたから。

ーーやっぱり、お二人の並ぶところが見たかったんですか。

もちろんそうです。お二人とも活動休止に至るまでソロ活動も充実されてましたが、色んなところで「ここで培ったものをまた二人揃った時にどう見せるか」ということをそれぞれ口にされてましたからね。それがずっとファンにとっては楽しみだったと思いますよ。

ーーそれが、まさかの大きな事件への序章になってしまいましたよね。

もう本当にびっくりしました。あの時のことははっきり覚えていて、ライブのチケットの抽選結果メールが昼になっても届かなくて、発表を延期しますというメールが代わりに届いて。もしかして人気が集まり過ぎてシステムエラーでも起こしたのかな? と呑気に考えてたら、数日後にASKAさんのご病気と療養に入ることが発表されたんですよね。

ーーそこから一連の報道がずっと続いて。

週刊誌の報道はほとんどスルーしていたんですが、さすがにNHKのテロップに出た時は「ああ、本当なんだ…」と。そこから加熱していった報道については、記憶に無いです。あまりにも辛過ぎてシャットアウトしてましたからね。
でもあの時はようやくファンとして浮上し、音楽もたくさん聴き直して良さを再確認していた頃だったので、ショックだしパニックにもなったけど、離れるという気持ちには一切ならなかったです。


ーー辛い数年を経て、そこからASKAさんは’16年に「FUKUOKA」をYouTubeで公開され、音楽活動の再開となりますね。

もう、事件によってCDが世の中から回収され曲も聴けないと思った時期もあったから、本当に嬉しかったですよね。公開日の12月24日は私の誕生日なんです。もう…言葉にできないほどのスペシャルなプレゼントでした。

この「FUKUOKA」という復活曲が出た時も、激しい紆余曲折があったのを私も記憶している。この当時のファンの気持ちをしっかりと書き留めてくださっている、点光源7人目にご登場いただいた犬山翔太さんの記事をここにリンクさせていただきたい。


●アーティストとの気持ち良い距離感を探る時代

ーー’16年というこの時期、音楽以外の大きな変化としては、ASKAさんがブログを開設され、ご自身の言葉で気持ちを語られるようになったことだと私は捉えてるのですが、yoshimiさんはASKAさんの直接のご発信をどう感じられました?

それはもう嬉しかったですよ。今までは雲の上の存在で、世の中に出る言葉も当然、他のアーティストと同じく全て管理されていたと思うんですよね。それで守られる秩序もあるけど、アーティストの本当の気持ちは後から知るということばかりだったので、リアルタイムで知れるのはすごく嬉しいことだと思いました。

ーー今は多くのアーティストがSNS発信を自然にやっていて、「アーティスト=雲の上の人」という感覚が世間から廃れてきていますよね。でも昔は確かに違った。ただ憧れるだけの時間を過ごしてきた古くからのファンが、突然SNSの生々しいトーンに触れることになり、嬉しい一方で戸惑いも生まれてるとも感じます。

やっぱり戸惑ってしまいますよね。私は常に一線を引いていたいタイプなので…。

ーーもう目の前のゲートは開いてフリーになっているのに、行くに行けないという…すごくピュアな気持ちをキープしてるのが、ASKAさんのカリスマ性に若い頃存分に触れたファン層だと感じます。それをご自身の方から軽々と乗り越えて来られてるのが、最近のASKAさんという(笑)。

本当に(笑)。色んな手法で情報が届くからこそ、ファンが自分の中に「こういう距離感が気持ちいい」というのは持っておいた方が、今の時代はいいですよね。

ーーそれはASKAさんの発信方法を否定することではなく、ですよね。ASKAさんは独自のレーベルも設立されて、ご自身の舵取りで運営しながら時代に合う色んな手法を試してらっしゃる真っ最中だろうから、逆に言えばあんなに大御所の60代でここまで実験できてる人って、むしろすごいことだと思います。

きっとASKAさんは元からそういう方で、これまで我慢を感じてきた分、今の自由にできる状態がすごく嬉しいんじゃないかなと思いますね。ちょっとファンは振り回されますけどね(笑)。

ーーASKAさんはそういう、ヒリヒリするところが引力になってもいますよね(笑)。こういう強烈なエネルギーや一般常識に捉われないところなど、自分では出来ないからこそ好きだというファンも多いんじゃないかと思う。やっぱりyoshimiさんも、ご自分との違いを感じますか?

もちろんですよ! だからこそファンを辞めずにここまで来れたんだと思いますしね。ファンとしての一番のモチベーションや原動力は、ステージにいる彼の圧倒的な魅力やパワーを感じる時なんです。ライブでこれを感じられる限り、ファンである自分は続くと思いますよ。どんな事があっても、ライブを観れば毎回引き戻されてしまいますからね。

ーーそう思うと今回のツアーも、途中で終わってしまってはもったいないですよね。おっしゃる通り「いつか終わりのあるもの」ですし、ASKAさんの側からも今を大事にしようという気迫がステージからは伝わってきますよね。
yoshimiさん、最後に、今ツアーを回られてるASKAさんにメッセージはありますか?

ありがとうございます、ではこの場を借り、あらためて…。
40年以上も現役で第一線を走り続けてこられたASKAさんに向かって言うのもおこがましいですが、いちファンとして望むのは「歌い続ける姿を一日でも長く見ていたい」ことにつきます。
一時期「生きてさえ、いてくれたら。それだけで何も望むことはない」状態を経験したことを思えば、こうして心身ともに健康で、どんどん新曲を生み出し、毎年のようにライブツアーを開催してくれている今は奇跡であり宝物のような時間なんです。その時間が、少しでも長く続いて欲しいな。

今、ASKAさんはミュージシャンとしての立場だけにとどまらず、使命を感じ、世の中への貢献を信念と情熱を持って進めていらっしゃる。それを等身大の言葉でリアルタイムで発信し続けてくださることに感謝しつつ、やっぱり私が期待するのは、ASKAさんが生み出す次の音楽との新しい出会い。
生が続く限りマイクに向かい、ステージに立つ「アーティスト」で在り続けてくれたら。純粋で、とっても欲張りな希望です(笑)。

ーーありがとうございます。きっと多くのファンの方々が画面の向こうで深く頷かれると思いますよ!


yoshimiさんとお話が終わり、振り返ってみると彼女に対し最初に持っていた「知的でアクティブ」なイメージにもう一つ、「芯の強さ」が加わったように思う。
自分が愛しているのは「アーティスト・ASKA」であるという強い思いを、彼女の言葉からは常に感じたからであった。

ストリングスとロックの融合をテーマに掲げた「-higher ground-」ツアーを2年にも渡って続けているASKA。このツアーで音楽的な「さらなる高み」を表現し続けてくれていることが、ファンにとっては何にも変えがたい喜びである。

そしてそのASKAの姿は、彼の生み出す音楽にこそ惚れ続け、その活動を静かに見守り続けているファン達の思いによって支えられている。それを今回また私は強く思い知った。
まだ見知らぬたくさんのファンの方々の声を図らずも聞けたような…そんなインタビューであった。


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ASKAの音楽を愛する人たちへのインタビュー連載《点光源》。
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