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逆説だけで歌われた奇跡の萌え曲、MIDNIGHT 2 CALL。

国語好きだった私が、授業で出てくるたびテンションの上がった大好きな手法がある。
それは、反語。
「◯◯だろうか…(いや、そうではない)」という、つまり逆説の表現である。
言いたいことは皆までいうな、という奥ゆかしい手法であり、その奥ゆかしさと思い余った感じが何とも好きだ。
授業中は、もっとちょうだいとばかりに例文を読みまくったものだ。

しかしこれを実生活で自然に使ってみようとするとなかなか難しい。
例えば、

「今日は唐揚げだったんだけどな…」(早く帰ってきてくれれば良かったのに)

なんて使い方をすると、ただのいやらしいクレームである。

やはり逆説的表現は、文句や注文のために使うと途端に逆効果となってしまう。
しかしポジティブな気持ちを伝えようとするときには、爆発的な効果を発揮すると私は信じている。


ASKAの楽曲の中に、この逆説だけで構成された奇跡の一曲がある。
あまりにも優れた逆説使いなので、自前の解説を挟みながらご紹介したいと思う。
(結構な歌詞以上の情報量で解説してしまったが、全て私の妄想力なので気にしないで頂きたい)
1984年にシブガキ隊に提供し、88年に自身で歌い直した「MIDNIGHT 2 CALL」という曲だ。
*
*
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昔の合図に懐かしい声
何があったの 久しぶりだね
こんな時間に涙声
いきなりサビからじゃ わからないよ

深夜に突然、聞き慣れた調子で電話のベルがなる。
2コール鳴らして一度切れるのは、付き合っていた時の約束事、つまり懐かしい別れた彼女からの電話だ。
男は急にフラッシュバックした過去に驚き、電話を取る。
受話器の向こうには懐かしい、しかし涙混じりの彼女の声。
「会いたい」
といきなりすがるような調子の彼女に、何があったの、と戸惑う男。

歩き疲れて 想い出したの
長い日々だよ 二人離れて

恋につまづいたのかも、と思い浮かべる男。
もう別の恋が始まっていてもおかしくないくらい、二人が別れてから月日は経っていた。

ずるいよ君から 去ったくせに
こんな時だけ呼び出して
少し大人になった僕と
あのころのままの君がいる

別れを切り出したのは君だったくせに。
こんな時だけ、衝動的に電話をしてくる彼女のずるさにもう男は気づけるほど、少しは大人になっている。
けれどあの頃のままの彼女の幼さを、懐かしく、そして愛おしくも感じてしまう男。
まだ胸の中に君の存在を、大切にしまったままだったから。

ほこりをかぶった君の写真
動かせないまま いたんだ
今でも愛してるっていうわけじゃなく
ただ気づかなかっただけ 本当さ

男の部屋には、付き合っていた時に飾っていた彼女の写真がまだそこにある。
どうしても心が断ち切れずに、ずるずるとそこに置いたままにしてあった。
男はそんな自分を彼女に悟られぬよう、努めてクールに、言葉を選びながら話している。

今夜は少し 暖かいから
やさしい風に 一人お帰り

「すぐ行く」とはとても言えない。
だって、そんな別れ方はしなかっただろう?
僕ではなく、夜風に抱かれて一人で帰りなよ。
そう、僕にだって意地がある。

ずるいよ君から 去ったくせに
こんな時だけ呼び出して
今夜は無理だと言いながら
片手は上着をつかんでた

彼女のずるさはわかっている。それは百も承知しているのだ。
しかし、「今夜は無理だ」と受話器に告げつつも、片手で上着を掴む男。
すぐにでも飛んで行って、君に会いたい。
*
*
*
切ない、なんとも切ない、男の意地と情のせめぎ合い。
男のいじらしさを描いたら、ASKAの右に出るものはいないと思わせる一曲だ。
ASKAの楽曲には、抑えているのに抑えきれない感情がちらりと見えてしまう「萌え曲」が多数あるが、私が一番萌えるのはこの曲の主人公の姿である。

この曲がなぜ奇跡の萌え曲になったかといえば、それはやはり詞が逆説のみで構成されているからであろう。
受話器に向かって彼女のお願いを断り続けている男。
しかしその行間から溢れてくるのは、どんなに彼女のことを大切にしていたかという事実なのだ。
5分という短い一曲の中の世界でありながら、もう私はこの二人の恋に恋してしまう。

作詞した当時のASKAは弱冠26歳。何という円熟ぶりであろうか。
こんなテクニックを、アイドルのために依頼された曲でさらりと使えるのだから、やはりASKAという作家は贔屓目なしで見ても偉大である。
この偉大な作家の恩恵に少しでもあずかろうと、実生活にやはり反語を生かしてみたくなった。
深夜、夫から駅まで迎えに来て欲しいと電話がかかってくる。
「今夜は無理だ」と言いながら、片手で上着をつかんでみようかな。
いや、きっと何ひとつ伝わらないからやめよう…

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