見出し画像

なぜ、男は別れた女に「ねえ、抱いていいかな」と尋ねてしまったのだろう。

私がチャゲアスを真剣に聴き始めたのは、中一の時だ。
初めての電車通学、ラッシュアワーの隙間で肩をすくめながら、カセットテープのウォークマンで毎日かかさず聴いていた。

初めてCDの予約購入という手を覚えたのが、1992年発売のアルバム『GUYS』からであった。
このアルバムは他のアルバムに比べ、かなり濃厚にアーバン&アダルトな雰囲気が充満している。
横浜の隅にある小さな町から都心の学校に通うようになった私の、ちょっと背伸びしたい気分とこのアルバムの雰囲気は、絶妙にマッチしていた。
それゆえ、忘れがたい一枚である。

『GUYS』に収録された全12曲のうち、7曲がASKAの手によるものだ。
その7曲の中で、ラブソングは4曲。
2曲は「if」「no no darlin’」とシングルカットされた甘い恋の歌で、残り2曲は渋い恋の歌。
そして13歳の私の心は、なぜかこの”渋い恋”を描いた「WHY」という曲に鷲掴みにされていた。

今日はこの想い出の曲、「WHY」について語ってみたい。


「WHY」という曲は、別れることを決めた日の恋人たちの歌である。

恋愛というのは不思議なもので、人に恋する気持ちは曲線を描いて増していくのに、どちらかの「付き合おう」といった宣言を合図に、デジタルに「恋人同士」という関係は始まる。
そして、冷めゆく気持ちはまた曲線であるのに、「別れよう」というデジタルな合図で二人は離れることになる。

それでもロングテイルな残り香は、ずっと胸の中で続いていく。
その「ロングテイル感覚」を知っている男が、今日からぱったり別れることになる二人の関係について発した疑問、それが「WHY?」という想いだ。

この曲には、複雑な男心がぐるぐると何重にも絡まっている。
まずは歌詞をじっくり味わって、謎の男心に心底モヤモヤしていただきたい。


感じてた 君のこと
力つきた二人だから 返す言葉もなくて

少しだけこのままで
横を歩いてくれないか
別れてもきっと君のこと
変わらずに愛してる

Why
あした また逢える気がする
いつもの夜だね
Why
僕の肩に もたれてみせる
恋人のしぐさで

いつの日かうつむいて
君がここにあらわれても
僕は別の恋をしている

いつまでも泣けるような
恋をしたとも言えなくて
寂しいね
ねぇ 抱いていいかな こんな夜に

Why
ひとりでは 生きて行けない
君だったはずさ
Why
帰り道えらんでみたの
それとも 何処かへいくの

ただ 離れて行く…
ただ 流れて行く…

Why
あした また逢える気がする
いつもの夜だね
Why
僕の肩に もたれてみせる
恋人のしぐさで
Why
ひとりでは 生きて行けない
君だったはずさ
Why
帰り道えらんでみたの
それとも 何処かへいくの


まずモヤモヤする点といえば、この男が彼女のことを愛しているのかどうかわからないところだろう。

男は「別れてもきっと君のこと 変わらずに愛してる」と口にはしている。
なのに、「いつの日かうつむいて 君がここにあらわれても 僕は別の恋をしている」とか、「いつまでも泣けるような 恋をしたとも言えなくて」などと、君との恋は自分の中で二流であったと胸の内では寂しく思っているのだ。

しかもその結果として「ねえ、抱いていいかな」などと、別れを切り出した女に軽々しく尋ねるのだから、とんだ勘違い男である。

これを聴いた当時13歳の私が思ったことは、「大人ってすごい」
この一言に尽きる。

ティーンエイジャー的な感性で片付けてしまえば、「大人ってすごい。以上、終わり!」って感じの曲なのだ。
しかし一応大人になってしまった私は、この歌詞にひとまずの決着をつけてみたいと思い、グダグダここまで書き連ねているのである。
*
*
*
「WHY」というのは非常に地味なアルバム収録曲であるが、実はASKA史を追ってみるとちょっとしたターニングポイントになっている

80年代後半に女性主観の悲恋の歌を封印してしまった、ということは以前記事にも書いたことだが、その理由をASKAはいみじくも「WHY」のライナーノーツにて、こう語っている。

歌というのは悲しいものである、ベースメントには別れがなくてはいけない、という風潮が一時期あって、自分たちもその中に浸っていたわけなんだけど、あるとき悲しさばかりをつまんで歌にする必要はないと思えて、しばらく遠ざけてきました。以来、幸せなら幸せのままの気持ちを大切に歌ってきたつもりなんですが…。

確かにチャゲアス名義での別れの歌は、88年の「恋人はワイン色」あたりで一旦封印されている。
そんなASKAがメガヒットを経た92年に、この「WHY」で久しぶりに別れの歌を解禁してみた、ということなのである。
そしてこの「WHY」から、ASKAの描く「別れの哲学」は段違いにグレードアップしていくのだ

「WHY」に秘められた別れの哲学とは、一体どういうことだろう。
それを紐解くには、前年の1991年に発表された「tomorrow」と合わせて考えてみるといい。
かなり難解な歌詞が混乱を誘うのでここには載せないが、ライナーノーツには、こんなASKAの気持ちがある。

昨日・今日・明日と日にちが続いていくだけなのに、人の心はどこで変わってしまうんだろう……。
同じように時間が過ぎていくだけなのに、どうして幸せや痛みを分け合えなくなるんだろう……。

いつまでも愛だと思っていたものが、いつのまにか時の連続の中で形を変えている。
そのやるせなさをASKAという人は30代の間中、ずっと胸に秘め、時折作品として放出する。

「tomorrow」に引き続き「WHY」でASKAが描きたかった心情、それはタイトルに込められた「なぜ?」と言う想いである。
男はこれからも何となくずっと続くと思っていた恋の相手に、勘付いてはいたものの突然別れを切り出され、意識がフワーっと観念のレベルに登っていってしまう。

男は考える。何でいつも恋って、こうなんだろう。
明日また会える気がするのに、まだまだ恋人のふりでいられるのに、なぜここで線を引かなきゃならないんだろう。

もはや男と女というのは目に見えない気流に乗り、自然とただ流れ、ただ離れていってしまうものなのかもしれない。
ならば、少しでも恋の気持ちが残っている今という瞬間、もう少しだけ一緒にいよう。
温もりを感じ合おう。

それが、別れた彼女に向かって突然の「抱いていいかな」発言になったのだろう。そう考えれば、意外とロマンチックな言葉である。


まるで恋人のように寄り添い、最後の時間を共に過ごす二人。
だがやがて彼女はそっと男の元を離れ、去っていく。
それはいつもの足取りのように見えるが、しかしいつも知ってる帰り道には向かわない。
離れた瞬間から、女は男の知らない女になってしまうのだ。

帰り道えらんでみたの
それとも 何処かへいくの

というラストのフレーズに込められた、消えていく女を見つめる男のちぎれそうな想い。
この一節の切なさを、13歳だった私も確かに感じていた。

いったいどんな感情について歌ってるんだろう。
まだわからないけど、言葉にもできないけど、でもいつかやってくる未来の感情。
大人になるってめんどくさそうだけど、こんな気持ちを味わえるなら早く大人になってみたい。
そう思いながら、「WHY」をリピート再生していた思春期の私。

そして、、、大人になった今思う。
こんな高度な感情は、なかなかフツーの大人の日常には訪れないものなんだよ…と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?