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大人の心の中には、個室が必要だ。

先日、友人と雑談ついでに相談めいた話になった。
「夫がそっち系のお店に行ってた」のを知ってしまった、らしい。
色々と胸に積もる想いをポツポツ述べながら、彼女は言った。
「別に、行ったってことを怒ってるんじゃなくて。それを『ただその場の流れで』って理由だけでやってたのがムカつく」

そりゃそうだね。
慣れ親しんだ間柄で深く傷ついたり、激しく怒ったりするのは、大事にしてるものへの温度感の圧倒的な違いを感じた時だ。

色々考えてしまう彼女。
とくに何も考えてなさそうな彼。
夫婦って難しいなぁ、とため息をつく。

一番困るのは、彼と彼女が同じくらいいつも、いっぱいいっぱいなスケジュールで働き、家事をし、子育てをしてることだ。
隙間なんて、週末を含めてほぼ無しの夫婦。
その上で毎日色々と考えていたら、平和に回してる日常など簡単に崩壊してしまうのかもしれない。
彼の「考えない」という態度は、どこか護身術めいている。

「せめて彼の中にさ、そこへ行った理由があってくれたらいいのにね」
やっと私が言えたのは、これだけだった。

彼の中に「夫」でも「パパ」でもない「男」としての個室があって、そこを少しでも語る言葉を持っていてくれたら。
そしたら彼女も「妻」でも「ママ」でもない目線で、「女」として彼との和解を試みることができるのかもしれない。
いや、どうかな……かなり外野の理想論ではあるけれど。

いくら愛し合っていようと、同じ屋根の下に暮らしていようと、他人は他人だ。
それは血の繋がった家族であろうと、やっぱりそうなんだろうと思う。

友人と話しながら、私の頭にはASKAのある曲のワンフレーズが浮かんでいた。

恋人も知らないひとりの男になる

そう、彼の名曲「月が近づけば少しはましだろう」の中の一節である。
発売された当時、まだ若かった私はこのフレーズにとんでもない孤独と色気とを感じたものだ。


「月が近づけば少しはましだろう」(1995)

いろんなこと言われる度にやっぱり 弱くなる

いろんなこと考える度に 撃ち抜かれて
恋人も知らないひとりの男になる

壁にもたれて もう一度受け止める
小さな滝のあたりで

角を曲がるといつも
消え失せてしまう言葉だけど
心の中では 切れて仕方ない

この指の先でそっと
拭きとれるはずの言葉だけど
積もり始めたら 泣けて仕方ない


ごまかしながら生きて来たなんて 思わないけど
夢まみれで滑り込むような事ばかりで
毎日の自分をどこか 振り分けてた

僕の中を 通り過ぎ行く人
ほんの一瞬の人

朝の改札では 大勢の人が流れて行く
カーテンを引いて ベッドに転がる

静かに変わる時間を 閉じるように瞼を閉じる
月が近づけば 少しはましだろう


動きたくない身体を 毛布に沈めて聞いてた
鳴り止まないサイレンの音
胸の音なのか

角を曲がるといつも
消え失せてしまう言葉だけど
心の中では 切れて仕方ない

この指の先でそっと
拭きとれるはずの言葉だけど
積もり始めたら 泣けて仕方ない

静かに変わる時間を 閉じるように瞼を閉じる
月が近づけば 少しはましだろう


この曲は、デビューして16年も経ったASKAが初めて、胸の中の「個室」を見せてくれた曲だと思う。

ASKAには、恋愛を歌った曲と同じくらいの割合で、心情を歌った曲が存在する。
有名どころで「PRIDE」とか「YAH YAH YAH」とか。
でもこの曲が発表された1995年まで、どの曲においても一人の男の「個室」までは感じたことがなかった。
どこかパブリックな印象がどの曲にもあった。
なので、初めてこの曲を聴いたときには度肝を抜かれた。
歌い方も含めて、個室の中で発される独白を聴いてしまったようだった。


一般的に歌というのは、家の中に例えればリビングなんだろうと思う。
そこに行けば誰かがいるリビングでは、いろんな気持ちを抱えつつもやっぱり相手を心配させぬよう、前向きな言葉だったり答えめいたことを織り込んだりする。
その人の顔を見て、元気になれるのが一番。
いつものあなただと、落ち着くのが一番。

それまでのASKAの曲も、そうだった。
いつでも前向きで、ちょっと先の答えに触れている。

いつか寒い五線紙の中
動けなくなる未来を見て
もしも君が倒れたならば
愛が愛を語れ
「君が愛を語れ」(1991)



生きることは哀しいかい
信じる言葉はないかい
わずかな力が沈まぬ限り
涙はいつも振り切れる
「YAH YAH YAH」(1993)


もしくは答えの出ない状況でも、豊かな比喩を織り交ぜてその辛さを直接感じないで済むようにしてくれる。

俺の日めくりは 他人とは違うらしい
5枚ずつめくるような
それともただ落ちるような

遮断機を降ろされた 少年兵みたいだよ
退くことができないまま
雨の行方をずっと気にしてるようさ
「BROTHER」(1995)


だが「月が近づけば少しはましだろう」の中に、答えは見つからなかった。
タイトルにもなっている「少しはましだろう」という投げやりな言葉がそれに当たるのだろうか。

比喩だって、探してみても「小さな滝」というフレーズ一つのみ。
いつものASKA印の詞のように、比喩の多用で意味を断絶させる遊び心は抑えられ、日用的な言葉で意味をイメージをつなげ、明らかにその胸の内を「伝えようとしている」。
そして伝わってきたものは、重くネガティブだ。
こんな作品、それまでのASKAにあっただろうか。



ちょうど同じ1995年に公開された、スタジオジブリが制作を手がけた前代未聞のPV「On Your Mark」というものがあるが、オタキングの岡田斗司夫さんがこれについての詳細な解説動画を最近アップして下さっていた。
その中で語られていた「スターが抱えがちな欺瞞」についての言及が、私にはとてもタイムリーで、うーーーんと唸らされるものであった。

スターは既に金も名声も多くの人からの愛も、手に入れている。
それなのに詞の世界で表現するのは、夢や挫折や、それでも持ち続ける勇気や希望。
今はそんなに足掻くこともないのだから、若くて泥臭かった時代の経験を思い出しながら書くことにどうしてもなってしまう。
実際の姿とはズレているのに、それに気づかぬ人達から「私のスター」として愛される。
こんなことを、宮崎駿の演出を解説する中で、あくまで一般論として語っていた。

そうなのだ、スターは「個室」ではなく「リビング」の顔で人々に愛されている。
だがそれは、一概に欺瞞とも言い切れない。
リビング的な作品は、スターから発される一方向だけのものではなく、実は大衆もスターのリビングな側面を求めていたりする。
そういうルールの内側で遊ぼうとしている。
本当は違うのかもしれない、という疑念に蓋をして「愛する・信じ込む」という側面が、どんなファンの中にもきっとあるだろう。


これを了承し、リビングと個室を完全に分けるタイプの作家もいる。
だがASKAの詞の魅力はそもそも、個室とリビングに半分足をかけたような作風であった。
そのどちらにも偏らない姿勢が、とても上品かつ繊細で胸に迫り、世の中のニーズに適っていた。

そうこうしている内に大衆からの支持がマックスに高まり、スターとして「リビングの顔」が固定されてしまった1995年に、ASKAはこの「月が近づけば少しはましだろう」を発表したのである。
ものすごい作風のチェンジであり、冒険であった。
これからはロマンでなく私小説で挑んでいく、という宣言のようだった。


ミッドライフ・クライシスという言葉がある。
中年に差し掛かり、自分の限界も見えてきて、人生ってこんなものだろうか、と落ち込んだり悪あがきをしたりする時期のことである。

昨年のクリスマスに公開されたYahoo!ニュースの特集記事において、ASKAは’91年「SAY YES」大ヒット時の心情についてこう語っている。

「これが自分の人生のピークなのだとしたら……。恐怖に似たものを感じました」
https://news.yahoo.co.jp/feature/1527 記事より引用)

まさにミッドライフ・クライシスの心境だ。
しかも当時33歳。
43歳にして感じるよりも、恐怖の色は濃かっただろう。

このまま続けて行っても、過去の自分を超えることはできない。
もしそう感じていたなら、作風を大胆にチェンジしてみるというのは、とても精神衛生的に良い判断だったんだな、と思う。

胸のうちの個室に思いを馳せ、言葉にすることが、中年を救う。
その不安の遠吠えは、きっと遠くにいる数多くの中年の遠吠えを誘って、共鳴するだろう。
単なるアルバム曲の一つだった「月が近づけば少しはましだろう」が、ASKAと共に歳を重ねてきたファンからいまだに深く愛され、オールタイムベストとなっている事実が、なんだか胸に沁みる。

娘が突然、ハムスターを飼いたいという。
犬もいるしダメだよ、というと、しょんぼりしながらどこかへ行き、そして冒頭の写真の人形を作ってきた。
しばらくそれで遊んでいたのだが、「やっぱり本物を飼いたい」という。
「なんで?」と聞く私に、

「人形は、自分で動いてくれないもん」

そうなんだよね。
いくら餌やりとか掃除とか面倒が多くても、生きてるハムスターの方が一緒にいて楽しい。
先が見えてる人形との遊びは、つまらない。
偶像は長く愛せないんだよね。
そんなこと、こんな小さな子供まで知ってるんだよね。

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