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世界5分前仮説を考えていた当時

世の中の出来事

1月1日
アメリカ合衆国 と中華民国国交断絶
アメリカ合衆国と中華人民共和国が国交樹立。
1月16日
イランのモハンマド・レザー・パフラヴィー国王がエジプトなどへ亡命。
クイーンがドント・ストップ・ミー・ナウを発売。
1月28日 -鄧小平が、米中国交樹立をうけ、同28日から2月5日にかけて訪米。首都ワシントンで大統領ジミー・カーターとの会談後、ヒューストン、シアトル、アトランタなどを訪問。最先端の航空・宇宙産業、自動車産業、通信技術産業を視察した。
1月30日 - ヴァリグ・ブラジル航空967便遭難事故。

世界5分前仮説を考えていた当時の話

”世界は実は5分前に始まったのかもしれない”という仮説。
これはバートランド・ラッセルによって提唱された、哲学における思考実験のひとつである。
この仮説では
”世界は5分前に出来たのではないことと、過去というものが存在すると示す事について確実に否定する事が不可能なため、
”記憶とはいったい何なのか?”
という根源的な問いへと繋がっていくものである。
たとえば5分以上前の記憶がある事は、その何の反証にもならないのである。
なぜなら”偽の記憶”を植えつけられた状態で、もしかしたら5分前にこの世界が始まったのかもしれないからだ。
以下、ラッセルの文章

”世界が5分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した”という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は5分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の記憶と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである。

ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)

2歳頃の当時、母親と一緒に家で毎日同じような生活を繰り返し過ごしていた。
テレビは内容がよくわからなかった為、観ても面白くはなかった。
そのため、玩具やクレヨンを使って思考遊びを繰り返していた。
窓の外の空に見える”雲”は、ボクが絵を描いている間も空に存在しているのか?
もしかしたら、ボクが窓の外を見ているときだけ存在しているだけなのか…
”昨日”という日は本当に存在したのだろうか?
もしかしたら”昨日の記憶”自体が錯覚ではないのか…
昨日の”夢”と”今の世界”どちらが本物なのだろうか…
言葉をまだ完全に覚えていない2歳当時のボクは、母親に聞いたところで何も伝わらない。
今考えると、下手に伝わらなっくてよかったのかもしれない。


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