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絶妙なバランスをもつ人―『横道世之介』(吉田修一)

『横道世之介』(吉田修一(著)/2009年)は、長崎から上京してきた大学生・横道世之介の入学から一年間を追った青春小説である。
バブル期の東京での大学生活を中心に描かれ、合間には当時世之介と関わった人たちの小説連載時(2008年前後)の姿も紹介されている。

主人公の横道世之介は、世之介と関わった人の言葉を借りれば「いろんなことに、『YES』って言っているような人」である。
世之介のような人が近くにいたら、私は確実に好きになっている。
自分の気持ちは素直に表現しながら、デリカシーも持ち合わせている。
どんな人のこともまっすぐに受け止めながら、誰でも信じてしまうようなお人好しというわけではない。
自分の考えが無いわけでもないし、ありすぎる頑固さもない。
世の中をあるがままに見ることのできる、とにかく絶妙なバランスの人物である。
世之介と似たようなマイペースタイプの祥子さんという女性も出てくるが、私はこの二人が大好きである。この二人のやりとりを読むのが、とても楽しかった。

そして小説を読んだのは最近だが、私は公開当時に映画『横道世之介』を観ている。実は映画を観た時から、この作品は私にとって特別な存在として残り続けている。
それはなぜかというと、「私が他者の中にどういう存在として残りたいか」というイメージが明確になった作品だったからだ。
長い間会っていない相手や、今後一生会う機会が無いかもしれない相手が、私のことをふと思い出してくれた時、その時にちょっとだけ幸せな明るい気持ちをもたらすことができるような存在。そういう存在として、関わった人の中に、ほんの少しずつだけ残りたいと思ったのだ。
私は、もともと宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のような生き様に憧れというか格好良さを感じ取っていたのだけれど、私の中で世之介はゆるい宮沢賢治のようなイメージなのだ。何というか、いい塩梅で、やはり絶妙なバランスをもっている素敵な人間だなと尊敬している。

『横道世之介』は、登場人物たちが魅力的なことに加え、バブル期の東京での大学生活の描写も最高である。大学生活を過ごした時代は異なるが、その空気感には、強烈なノスタルジーを感じる。
世之介ほどではないが、大学生活では、ほんの一時だけ交流があったような人たちが不思議とたくさんいた。
大学前半だけ仲が良かったり、短期バイトでたまたま知り合ったり、友達の友達で何度か一緒に飲んだりした人たちとの思い出。
これらの思い出は、圧倒的な解放感と大人になることへの不安が綯い交ぜになったようなモラトリアムという器の中で、ぐにゃぐにゃと形のはっきりしない状態で混ざっている。 

社会に出てからの期間はあっという間に過ぎていき、モラトリアムなんて言っていられないほど歳を重ねてきた。
まだまだ新しい記憶だと思っていた大学生活は、気づけば懐かしく思い出すほど昔のことになっていて、当時の自分が今の自分と地続きとは思えないほど遠くに感じる。
普段はそのことを成長と捉えて自信に繋がっているし、また戻りたいというわけでもない。けれど、当時の全てが無性に懐かしくてしょうがなくなる時がある。
そんな時に、人生がどんどん進むのを止めることはできなくても、『横道世之介』を読めば、当時の感覚をありありと思い出すことができる。
思う存分浸りたくなった時には、この本を開きたい。

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