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無言の世界―『星の子』(今村夏子)

私は、今村さんの書く物語がとても好きだ。
とてもシンプルな言葉で書かれた文章の中に、子供の頃に感じていた(大人になってから感じるものとは少し異なる、けれども現在にも確実に繋がっている)虚しさや不安のようなもののすべてがつまっていると感じる。
このような感覚をありありと思い出させてくれる人は、今村さん以外にいない。

大好きな作品である『星の子』が映画化されることを知り、主演・芦田愛菜さんのコメントに感動し、いそいそと映画を観にいき、その後小説を読み返すという『星の子』づくしの日々を送ったので、考えたことをまとめておきたいと思う。

あらすじは、以下のとおりである。
(「BOOK」データベースより、あらすじを拝借しました。)

大切な人が信じていることを、わたしは理解できるだろうか。一緒に信じることができるだろうか…。病弱なちひろを救うため両親はあらゆる治療を試みる。やがて両親は「あやしい宗教」にのめり込んでいき…。第39回野間文芸新人賞受賞作。

この物語の主人公であるちひろの立ち位置は、はっきりしている。
両親 → 好き
宗教 → 信じている、信じていないのどちらでもない である。

この物語で両親が信じている宗教は、その教えなどは具体的に書かれていないのでわかりかねるが、宇宙のエネルギーを宿した高価な水などを通信販売している団体である。
おそらく大部分の人が、この宗教を「あやしい」と考えるだろう。

一方、宗教との結びつきについて、周囲からは以下のように思われている。
両親と宗教 → しっかりと結びついている
ちひろと宗教 → ちひろの心境が曖昧なゆえ、人によって異なる

このちひろの立場が絶妙なことによって、周囲の反応は様々となる。
ちひろと宗教の結びつきは曖昧なままで、ちひろをちひろとして見て接する人、結びついていると考えて友好的に関わってくる人、結びついていると考えて嫌悪を示す人、結びつきが強固になる前に切り離そうと躍起になる人。
こういった多種多様な反応について、ちひろを通して追体験できることが、この小説の肝だと個人的には思っている。
ちひろの心の中を、過不足なくそのまま味わっているかのような感覚は、作者の今村さんの表現がすばらしいからに他ならない。
文庫版には、小説家・小川洋子さんと今村さんの対談が載っている。
その中で、今村さんの小説について、小川さんは以下のように話されていた。(抜粋)

・書き手が語り手の目に映ったものしか書かないということに徹しているから、語り手の声になって届いてくるんだと思うんです
・すべてを言葉にしないで無言の世界を残しておく
・言葉にしていない世界をちゃんと書けるというのは理想

ああ、だからこんなにも今村さんの作品は心をえぐってくるのかと納得した。
語り手の目に映る世界は、私が子どもの頃に経験した正体をつかめない虚しさや不安そのままだ。その言葉になっていない無言の世界を、当時より少しだけ正体をつかんだ現在の私が、想像し、当時の心も含めて慰めようとする。
『星の子』におけるちひろの立場の絶妙さも、中学3年生までのちひろが見た世の中の諸々から受け止めた結果であり、現在の私がちひろの立場だったらどうするか、あるいは今でもどうしたらいいかわからない(どうしたらいいか)ということを絶えず考えてしまう。

そして、この物語のテーマといえる「信じるとはどういうことか」について。
私は「わかりやすさを求めない」作品を愛でる性質で、世の中のほとんど全てのことは、二択で分けられるものではないと思っている。
よって、信じる・信じないもどちらかに分けることはできないと考えており、『星の子』はこの点においても、好みな作品である。
この作品では、ちひろの揺らぎはもちろんのこと、本当に様々な、分けられない問題について書かれている。個人的には、宗教を信じ込んでいると思われている両親を始めとする大人達の揺らぎのさりげない書かれ方が、特に好きだ。
そして、このテーマのひとつの答えなのでは、と私の考える台詞が、終盤の(主要人物ではない人の)宣誓シーンに出てくる。
この台詞が、本当に、本当に素敵だ。映画でも使ってほしかったな。

私はおすすめの本を聞かれた時、老若男女問わず、最近は今村さんの作品を紹介している。
誰にとっても読みやすく、同時に誰にとっても難しい本だと思っているし、今村さんの世界観を知った人と語りたいからだ。
おすすめの本を聞かれる機会がそもそもあまりない故、語り合う機会もそんなにないのだけれど、この記事を書いたことで少しすっきりした。
ぜひ皆さんも読んでみてください。



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