見出し画像

救いの本―『ファーストラヴ』(島本理生)

私は、気が緩んで話しすぎてしまった時に高確率で言われることがある。
それは「考えすぎだよ」という言葉だ。
その言葉は、心配の表情とともに寄り添って言ってもらえることもあれば、呆れたように言われることもある。そして、怒るように言われたこともある。
ネガティブな愚痴をずっと聞かされていると思われていたのかもしれない。
自分の考えている不安や煮詰まった考えを、聞いてくれるからと甘えて言い過ぎたことが良くないのかもしれない。
自分の考え方が、相手を間接的に責めるようなものだったのかもしれない。

そういうことを何度か繰り返した今では、話す相手にあわせて、自分の考えていることに関しても、より取捨選択して表に出すようになった。
相手をうんざりさせるのも嫌だし、うんざりされることも怖いからだ。
些細なことに大げさで面倒くさい人だと思われることが、普通は気にしないものを気にしている弱い人だと思われることが、怖かった。

そんな私にとって、『ファーストラヴ』(島本理央・著)は、まさに救いになるような本だった。
『ファーストラヴ』は、ミステリーの形をとり、父親を殺害した容疑で逮捕された女子大学生・環菜の心を探っていく物語である。
この事件に関するノンフィクションを依頼された臨床心理士・由紀や、環菜の国選弁護人かつ由紀の義弟である迦葉(かしょう)が事件を探り、環菜との会話を重ねていく。

現在の状態になった経緯が明らかになっていく環菜と、環菜との会話をきっかけに過去を回想する由紀。
彼女たちの辛い出来事に胸が苦しくなると同時に、この辛さをここまで形にしてくれたこの物語に感銘を受けていた。
環菜の心の傷となる出来事とそこから派生してできる様々な傷は、ミステリーにおける動機として語られるような、明確かつ大きな一つの原因(例えば、大事な人が殺害されたことへの復讐など)とは異なるかもしれない。
しかしその出来事の当事者にとっては、とても深く、多大な影響を及ぼす傷となる。
この「傷」について、これ以上は考えられないぐらい、丁寧に丁寧に紡いてくれていたのが、この作品であった。

環菜や由紀の傷については、同じ女性としてもの凄く理解ができるものであった。状況は違うとしても、同じような恐怖や不安を持ったり、そういう負の感情を押し込んで見ないふりをしながら、多くの女性たちが生きているはずだ。この傷についても言いたいことはたくさんあるが、ここではネタバレになってしまうこともあるので、書かないでおこうと思う。

この話は、そういった女性の苦しみを表現することで、誰もが抱える可能性のある心の傷について描いている。
傷の深さは本人にしか分からないものであるにも関わらず、傷なんて無いと周りから評価をされ続けることで、自信が無くなること。
そもそも傷ができたのは、自分が悪いのだと自分を責めること。
自分が持っている傷を認めたくなくて、自ら傷口に塩を塗って、痛いのに平気なふりをすること。
自分自身でもコントロールができない心情や行動があるという事実を丹念に表現してくれていることにも救われる上、「こういう傷の存在は、あなたが弱いからじゃない。一緒に傷を捉えてみよう」と由紀や周囲の大人たちに優しく見守られているような気持ちにもなれる物語である。
また、このような傷を複合的なものとして捉えていることも、自己責任という考え方に縛られている私たちにとっては、救いとなる考え方である。
外側に現れる一つの行動の背景にあるものは、一つの単純な動機とは限らない。本人にさえわからないこともある背景を断定し、当人だけに責任を負わせようとする行為の過ちについて世間に問いているような気もした。

どのような角度から見ても、読みごたえが抜群な小説である。
こういう物語が直木賞をとり、映像化もされ、多くの人に知られていくのは、素晴らしいことだなと思う。
私も、読んで良かったと思える大事な作品になった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?